レイヤー2 【9/10】

「ごめん」


 ラボルームに入るなり室見に謝られた。

 工兵はぽかんと口を開け立ち尽くした。

 深呼吸し、あるじに頭を下げようとした矢先だった。テーブルの向こうでの少女がバツ悪げに顔をらしている。彼女はほおづえを突き唇をへの字に曲げていた。

 ………、は?

 一体今、何を言われた。耳を疑っているとむろは目だけをこちらに向けた。

昨日きのうは悪かったわ。新人相手にちや言いすぎた。ごめん」

 こうへいまばたきを数回、大股で室見に歩みよると、おもむろに彼女の小さなひたいに手を当てた。

 あれ、冷たい。

「何すんのよ!」

 殴られた。

「い、いや、そのなんかおかしなこと言い出してるから。ねつでもあるんじゃないかと思って」

「なんであやまるだけで熱があるってことになるのよ! ていうか、おかしなこと!? 私が謝るとおかしなこと!?」

 げつこうする室見をなだめ席に着かせる。彼女は肩で息をつきながらそっぽを向いた。

「──カモメに怒られたのよ。OJT張り切るのはいいけど、新人のたい調ちよう崩させちゃ意味がないって。ちゃんと部下の健康管理まで気を配ってこそ一人前のトレーナーだって」

「……はぁ」

 真っ当きわまりないせいろんに毒気を抜かれる。ていうか、そのあたり分かった上で無茶を押しつけていたんじゃないのか? ただ単に張り切ってただけ? あれで?

 むずかしい表情でだまっていると、室見はくしゃくしゃと髪をき回した。

「あー、だからもういいわ。昨日の仕事はいつたんなしで、ちょっと新しいタスク考えるから、今度はもうちょっと初歩的なやつで──」

「あ、いや」

 ちょっと待った。それは困る。何のために自分が昨晩、すいみん時間を削ったと思っているのか。ここでめられたらした調しらべが全部になる。

 室見はげんな表情になった。

「何よ」

「……ええっと、その。だからですね」

 工兵はいつしゆんちんもくし、ぽつりとつぶやいた。

「……昨日の仕事、もう一度僕にやらせてもらえませんか」

「はあぁ?」

 室見のとんきような声がひびく。彼女は両目をいっぱいに見開いた。

「あんた何言ってるの? 昨日一日かけて全く進まなかったでしょ」

「それはそうなんですけど、……なんていうか今日はちょっとできそうな気がして」

「なんで」

 詰問するような調ちよう。工兵はややされながらも答えた。

「あのあと家に帰ってからいろいろ調しらべてみたんです。IPアドレスの考え方とか、ルーティングのがいねんとか。自分なりにからまとめてみて。それで──」

 説明を終えたしゆんかんむろの大きな目がまたたいた。

 こうへいは無言で彼女の反応を待った。ややあって室見が鼻から息を抜く。のどの奥からうなるような声が漏れた。

今日きようの午後七時」

「……え?」

「午後七時、宅配便の最終しゆう時間。それまでにコンフィグを完成させてかいに投入、どうかくにんをすませてこんぽうする。一分一秒でも遅れたら設置の日取りに間に合わない。そういう状況で、私は本当にこの仕事を任せていいの? あんたを信用していいわけ?」

 室見の声は抜き身のやいばのようだった。

 はんな答えを返そうものならえんりよなくばっさりと切り落とされる。心のどこかでけいしようが鳴っていた。余計なことを言うな。せつかくやめさせてくれると言ってるんだ。ちよういいじゃないか。ここでやすいしたらまた余分な苦労をしょいこむことになる。──

 いや。

 工兵はごくりとつばみ込んだ。今逃げたら彼女を見返せない。会社を辞める時、自分の実力に問題はなかったと証明できない。呼吸を整え表情をめる。固くこぶしを握り込みよどみない調ちようで答える。

「はい、大丈夫です。きちんと責任を持って最後までやりとげてみせます」

 ───。

 ちんもくを満たした。

 室見はまっすぐに彼を見ている。とびいろひとみかがみのようで、工兵の心をすべて映し出しているようだった。

 思わずせんらしたくなる。そのくらい室見の眼光はすさまじかった。この小さな身体からだのどこにこれだけのエネルギーがあるのか。ひりつくようなプレッシャーが肌をふるわせる。だが、工兵は意思の力で彼女の視線を受け止め続けた。

 どのくらい時間が過ぎただろう、

 室見がためいきをついた。表情をゆるめ、ふっと視線を逸らす。

「いいわ、やりなさい。ただしタイムリミットは午後五時、その時点でがついていなかったら残りの作業は私が引き取る」

「………!」

 顔をほころばせかけた工兵に室見は「ただし」と続けた。り気味の目がきゅっとすぼまる。

「大口たたいた以上、結果は見せてもらうわよ。できなかった時はそれなりの評価をするから、分かってるわね」

「はい」

 こうへいはうなずいた。いまさら甘えが許されると思っていない。自分の出した言葉は自分で責任を取るしかなかった。

「分かりました。五時までに作業を終わらせて報告します」

「あと問題発生時は即レポート、ギリギリまで抱え込まないようにして」

 できないならできないで、とっとと白旗をげろということか。もう一度うなずいて工兵は自席に向かった。会話は終わりだ。時間の余裕もない。さっさと作業に取りかかろう。

 途中でふっと思い立ち振り返る。工兵は「むろさん」と呼びかけた。

「なによ」

昨日きのうはすみませんでした。言いたいことがあるなら室見さんと話すべきでした。室見さんの言う通り、僕の今の上司はふじさきさんじゃなく室見さんですから」

「な」

 室見はきよを突かれた表情になった。見ているうち白い顔がかぁっとこうちようする。彼女はあわてたようせんらした。

「あ、あたりまえでしょ! そんな当然のこと。あらためて言わないでいいわよ!」

 ……あれ、なんで怒ってるんだろう。きちんとあやまったのに。

「早く作業に取りかかりなさいよ。ゆっくりしているひまないでしょ!」

 せいに背中を押され着席する。

 ノートPCを立ち上げコンフィグのファイルをクリックした。

 たん、すっと周囲の音が消える。視線がメモ帳に吸いつけられ、それ以外のしきいろどりを失う。

 深呼吸を一回、キーボードに指を置く。せつ、感じる一体感。自分とPCが結合したような感覚。

 さぁ、──始めよう。

 指先をタッチパッドにすべらせる。

 ぞんコンフィグと新しいコンフィグ、二つのウィンドウを並べ上から順にめていった。

 コピー、ペースト。スペース。もう一度別の文字列をペースト、エンター。

 指先は迷うことなく新コンフィグを書き換えていく。のうにはくっきりと作業の完成形がある。あとは、それに向けてひたすら手を動かしていくだけだった。

 リズミカルなけんおんは、だがとうとつに断ち切られる。「ADD FIREWALL POLICY=net NAT=STANDARD」、昨日調しらべきれなかった単語が画面に現れていた。NAT……? そう言えば昨日室見が何か言っていたな。アドレスの……変換規則とかなんとか。ブラウザを立ち上げググってみると、ネットワークアドレス変換という説明が現れた。プライベートアドレスをグローバルアドレスに変換する? なんだそれ。

 ………。

 リンクをたどるうち目当ての説明を見つける。

 なるほど、IPアドレスにはプライベートとグローバルの二種類あるのか。電話でたとえるならプライベートアドレスはないせん番号。そのままでは外と通信できないのでNATのうを使ってグローバルアドレス──普通の電話番号に変換するということか。分かればあとは早い。ぞんコンフィグのとうがい行を分解、必要なパラメータを取り出し新しいコンフィグに投入する。

 その後も新しい表記に出くわすたびこうへいは立ち止まった。だが決してあきらめない。調しらべて調べて調べ尽くして、体当たりで障害を突き破るように進んでいく。

 ───。

 どのくらい時間がたっただろう。

 飲まず食わず、いつさい席を立つことなく作業を続けて。

 工兵はわれに返った。

 カーソルが新コンフィグの最終行にたどりついている。[EOF]表記の横になく「end」の文字。

 気づけば時刻は午後四時になっていた。一体どれだけ集中していたのか、まったく時間の流れを忘れていた。

 どうはげしい。ねつかたまり身体からだの中でうずいている。工兵は小さく息を吐き出してコンフィグを見直した。ミスタイプがないか、余分なスペースが入っていないかかくにんして最後にエンターを押す。上書き保存、完了。

むろさん!」

 工兵は立ち上がった。机の向こうで明るい色の髪が揺れる。室見はするどまなしで彼を見た。

「できたの?」

「はい」

 つっけんどんな物言いに、だが今日きようは自信をもって回答できる。ノートPCを電源からはずし室見のもとに運んでいった。液晶ディスプレイを広げ机に置く。

「………」

 室見はきつい表情でノートPCを引き寄せた。細い指をタッチパッドにのせ、工兵のコンフィグをかくにんしていく。

 何度も見た光景、昨日きのうはこのあと必ず「やりなおし」の言葉がひびいた。

 今度は──どうなのだろう。

 自信はある。あれだけ調べたのだ。昨日のようにサンプルのコピペでない、一行一行しきと理解の伴ったコンフィグ。正直、ネット上のどの設定よりもシンプルでがないと断言できる。

 だが……どうだろう。

 余分なコンフィグは一切入ってないはずだ。だが不足についてはどうだろう? 既存機器には存在しない、新特有のコマンドが抜け落ちていたら?

 不安な思いでむろを見守る。室見は冷たい表情でキーをたたいていった。一行、一行。カーソルがメモ帳の中を移動していく。ややあってけんおんえた。最終行でたてながのカーソルが点滅している。

 彼女はむずかしい顔でちんもくしていた。

 だめなのか?

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