レイヤー4 【3/7】

 オフィスに戻るとカモメがきやたつに乗っていた。てんじようのパネルをはずし中のケーブルをたぐり寄せている。彼女は工兵達に気づくと「あら」と口元をゆるめた。

「おかえりー。ずいぶん遅かったわね。昼前には帰ってくると思ってたのに。しようだん長引いたの?」

「いえ、ちょっと室見さんと食事してきたんで。……って、何してるんですか。そんな格好で」

 工兵はげんおもちでたずねた。カモメは軍手をはめ長い髪をバンダナでまとめている。本当、何してるんだ一体。

「ちょっと照明のきが悪くてねー。けいこうとう換えてもらって直らないからはいせん疑ってるんだけど……。お、ここかな」

「いや……だから、なんでカモメさんがそんなことしてるんですか」

「業者が今日きよういっぱい予定うまっちゃってるみたいでねー。修理に来るなら明日あしたとか言うから。──大丈夫よ、あたし、昔電気工事の仕事してたから」

 本当なんでもやってるな! この人!

 目を白黒させていると室見がわきばらを小突いてきた。

「何ぼうっとしてるのよ。早く荷物片づけてラボルーム行くわよ。少しでも早く今日の件、検証しとかないと」

「あ、はい」

 あわてて自席に荷物を置く。室見は彼を待つことなくジャケットをに引っかけラボルームに向かっていった。

 なんだよもう、せっかちだな。メールくらいチェックさせてくれてもいいのに。

 こうへいは説明資料を紙袋から取り出した。必要のない資料はすぐに廃棄、かつに残しているとセキュリティ事故の元。──むろに教わったことだ。

 打ち合わせメモを取り分け残りをシュレッダーにかける。ノートPCをわきに抱え室見を追いかけようとした時だった。

「本当、りつちゃんに気に入られてるわよねー、工兵君」

 しみじみした調ちようで言われた。工兵はまゆを寄せ振り返った。

「気に入られてる? だれが?」

「工兵君が。立華ちゃんに」

 カモメは明瞭な発音で言った。小首をかしげ、ひどくりよくてきな微笑を浮かべる。工兵は手を振った。

「いや……いやいや、それはないです。絶対」

「そうかなー」

「そうですよ。今日きようだってちやちや怒られたんですから。客先で余計なことをしたって」

「余計なこと?」

 工兵はほりどめ証券での一件を説明した。自分の言葉がいかに室見のプライドを傷つけ彼女を怒らせたか話す。しかも彼の不用意な発言により、だいたいざいの検証もできずリスクの高い作業を引き受けることになってしまった。彼女が腹をたてるのも当然だろう。

 聞きながらカモメはぱちぱち目をまたたいていたが、やがて「……ああ」と声を漏らした。なんとも言えないみが口元に浮かぶ。

「んー、そういうことか。やるなぁふじさきさんも」

「? どういうことですか?」

 なぜいきなり藤崎の名前が出てくるのか。だがカモメは質問に答えることなく肩をすくめた。

「ま、とにかく工兵君は立華ちゃんに嫌われてないよ。あの子が人を嫌いになったらね、怒ったりなんかしない。ただ無視するだけ」

「……無視」

「自分のそばに寄せつけない、……なんとなく分かるでしょ?」

 ああ、と工兵はうめいた。

 たしかに、最初のころ、室見は自分のOJTをかたくなにこばんでいた。抱えている仕事が忙しい、素人しろうとに渡せる業務なんてない、人のめんどうまで見ている余裕はない──、自分の周りにかべきずき周囲のかんしようをはねのけていた。あの時に比べれば室見とのコミュニケーションは格段に増えている。ほとんど怒られるだけにしても。

 だがだからといって『気に入られている』? ……どうにも実感がかない。

さくらざか? いつまで荷物片づけてるの? 早くラボルーム来なさいよ」

 ラボルームからむろの声がひびいてくる。こうへいあわててノートPCを抱え直した。

「工兵君」

 カモメがきやたつから下りていた。バンダナをはずつややかな黒髪をさらしている。彼女は口元からみを消し、ひどくな表情になっていた。

「あんまり納得してないみたいだから、一つだけ言っておくけど」

 首をかしげる工兵にカモメは静かな調ちようで告げた。

「あの子──、この会社に入ってから、あたし以外とお昼ご飯食べに行ったことないのよ」


 カモメの言葉をはんすうしながら工兵はラボルームに向かった。

 どうにも釈然としない。いやまぁ百歩ゆずって自分が室見に気に入られているとしよう。だがだとしたら自分はなぜこうも生傷が絶えないのか。今日きようだってあやうく耳の穴を増やすところだった。あれだ、いじめの現場をもくげきした大人おとなに「男の子って元気よねー、ひまさえあればじゃれあって」と言われている気分だった。

 ……うーん。

 腕組みし首を傾げる。

 やっぱりカモメさんのかんちがいじゃないかな。たかが食事をいつしよに行ったくらいで好かれているとか。中学生じゃあるまいし。……って、そういえば室見さんのねんれい、結局けていなかったな。まさか本当に中学生とか。あはは。

 ………。

 まずいまずい、遅れた上にニヤニヤしていたら何と言われるか分かったものじゃない。表情をめて、なるべくしゆしような顔で。深呼吸を一回、ラボルームをのぞき込む。

「すみません、遅くなりま」


 室見がストッキングを下ろしていた。


 ………。

 工兵は石のように凍りついた。

 室見はに腰掛け、片足を伸ばした姿勢でタイトスカートをまくり上げている。細い指がストッキングに絡まりひざうえまで下ろしていた。

 彼女は工兵の姿を認めるとまゆをひそめた。

「遅い、何してたのよ」

 ノオオオオオオ!

 はじかれたように背を向ける。ぶたに柔らかそうな白いふとももが焼きついていた。しんぞうがばくばくと脈打っている。

「な、な、な、何してるんですか! ちょっと!」

「あんたがあんまり遅いから着替えようと思ったのよ。この服、きゆうくつでたまんないし」

「だ、だからってこんなところで脱がなくてもいいでしょ!? せめてかぎくらいかけてくださいよ」

 むろげん調ちようで答えた。

「別に裸になってたわけでもないんだし、いいでしょ。何あわててるのよ、変なの」

 へ、変?

 変なのか、自分が。

 いやまぁたしかにかんじんなところは見えていなかったけど。スカートもギリギリまでまくれ上がっていただけで付け根の部分は隠れていたし。え? あれ……僕、過剰反応?

ちよういいわ、そのままそっち向いてて。着替えちゃうから」

 きぬれの音がひびく。何か柔らかいものがゆかに落ちた。ごくりとつばみ込む。……今のスカートだよな。ていうことは振り向くと……そういう光景が見れちゃうんだろうな。ま、まぁでも別に全裸ってわけじゃないし。うん、そうそう。室見の言う通り、自分の過剰反応──


 な、わけあるかああ!


 こうへいは心の中で絶叫した。

 何これ!? なんなのこの状況。

 としごろの男を前にしているとは思えない、あきれるほどの無防備さだった。一体何を考えてるのか。ひょっとしてわななのか? 実は服を脱いだりしていなくて、ゆうわくに負け振り向いたしゆんかん、ドライバーを投げつけてくるつもりなのか?

 混乱のあまり意味不明な想像がのうを満たす。のどがからからにかわいていた。布のこすれ合う音がするたび、全身の肌がびくりとあわつ。身体からだ中が耳になり背後の音をひろっているようだった。

「もういいわよ」

 永遠にも思える時間の末、声をかけられた。振り向くとシャツワンピース姿の室見が立っている。片手にスカートとストッキング、ブラウスをまとめ引っかけていた。

「どうしたの?」

 怪訝な表情で室見がたずねる。気づけば顔中の筋肉がこわばっていた。慌ててほおを挟み表情を戻す。だらだらと背中にいやな汗が流れていた。

「なんでも……ないです」

 そう答えるしかなかった。室見は本当に、何事もなかったかのようにあっけらかんとしている。見ているこっちがやましくなってくるようなじやさだった。

 なんなんだ、この人──

 今度という今度こそ本当に分からなくなりそうだった。天才的な技術力、ビジネスパーソンとしてのプロしき、それに相反するかいめつてきなコミュニケーションスキル、そして異性のせんに対するとんちやくさ。

 いびつだった。一体どんな人生を過ごしてきたらこんな人格が形成されるのか。常人なら普通に歩んでくるはずの道をいくつか素っ飛ばしてきたとしか思えなかった。

 どうがまだ乱れている。気を抜けばきぬれの音が耳元でよみがえってきそうだった。こうへいは動揺を押し殺した。

「え、えっとそれで何からやりましょう。検証作業」

「そうね──」

 むろあごでながらラボルームを見渡した。

「とりあえずざいの準備ね。サーバルームにあるのをこっちに運んでけんかんきようこうちく。ラックマウントされているからはずすのちょっとめんどうだけど」

「あ、僕やります!」

 ノートPCを机に置き工具を取り上げる。しんそうな彼女をしりにサーバルームへ。照明をつけラックの間に入る。正直、これ以上彼女に動いて欲しくなかった。何せ室見は背が低い。上の方の機材とか、手が届かなければきやたつに乗ってあちこちよじのぼるのだろう。スカートでそんなことをさせたらどんな眺めになるか分かったものじゃない。

「とってくる機材は──どれですか?」

「ウニとイクラ、スイッチはアナゴで」

 スルガシステムの検証機材はなぜか寿ネタの名前をつけられている。最上位機種のルータは「ツナ」。だれが命名したかは考えるまでもない。

 うすぐらい照明の下で目当ての機器を探す。はつしたあと、なんとかすべての機材を外しラボに戻った。室見の姿は──見えない。どこに行ったのか、不審に思い見渡すと長机の下から小さなおしりが突き出していた。短いワンピースのすそから肉づきのうすあしが伸びている。生白いももひざうらが妙になまめかしい。

「な、何してるんですか」

 かすれた声でたずねると、室見は「んー」とくぐもった声を上げた。

ゆかしたはいせん、とりまわさないと。電源足りなくて、──あれ」

「ど、どうしたんですか」

「コンセント、フリアクの下にもぐってて。取りづらい。……ん、このっ」

 片膝を胸に引き寄せ奥に潜り込む。反対側の脚を残したままぐいと身体からだを伸ばした。前後に足を広げたせいでスカート部分の布地が伸び、ワンピースのすそまくれ上がる。いやちょっとそんな格好したら。……ああ、ほら。もう言わんこっちゃない!

「やります! そっちも僕がやりますから!」

 たたきつけるように機材を置き机の下に潜った。

 これは──たまらない。

 ひたいに汗を浮かべそう思う。

 ぶっちゃけ仕事にならない。むろは気にしないかもしれないが、こっちは健全なとしごろの男子なのだ。こんな光景を見せられて作業などできたものじゃない。

 カモメに頼んで、室見に作業用の服くらい買ってきてもらおう。何も専用の作業着じゃなくても、とにかくズボンとかキュロットとかパンツルックのようなものを。なんなら自分が金を出してもいいから。──

 いつしゆん、なんで自分がせんぱいの服を買わなきゃいけないんだと思いながら、こうへいゆかしたのコンセントをあさり続けた。

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