レイヤー4 【4/7】

──三日後。


 工兵ははる通りを南に向かっている。

 ほりどめ証券のデータセンターはこうとう区のとよにあった。周囲には建設中の高層マンションが建ち並んでいる。まだ造成地が残っているのと道幅が広いためか空は広い。抜けるような青天の下、バスやタクシーがまばらに行き交っている。

 ……疲れた。

 白っぽい太陽をあおぎ工兵は肩を落とした。

 てつで検証をり返し作業の準備を整えた。並行してふじさきさん経由で社長に掛け合い、堀留証券に連絡してもらった。要件はもちろん案件担当の件。あそこをなんとかしないと安心して作業を進められない。

 室見はすっかりへそを曲げていたので客先での一件を説明したのはおもに工兵だった。社長は相変わらず人の話を聞かず、すぐに「分かった、分かった」と言って話を打ち切ろうとする。そこをなんとか説明しきやくに工兵達が担当だと認めさせるまで丸二日。一方で室見のしごきは今まで通りだったため工兵は気の休まるひまもなかった。おまけに少しでも目をはなすと横でだれかさんがあられもない格好になっていたりする。まったく生きたここがしなかった。正直もうへとへとだった。

さくらざか、遅い」

 先を行く室見がげんそうに振り返る。

 室見はボーダーシャツにジーンズ、スポーツバッグというラフなちだった。細身のパンツのため、くりりと形の良い小さなおしりのラインがあらわになっている。生まれたての子鹿を思わせるきやしやなシルエットだった。

 ──こっちはこっちで大変だった。

 こうへいたんそくした。

 カモメに協力をあおぎ、むろの作業着を準備した。やれ可愛かわいくないだの、が固いだの、いやがる彼女をなだめて着替えさせたのがの九時。はつした挙げ句、どうにかそれなりの格好を整えられた。社内ならともかく客先で三日前のようなことがあったら目も当てられない。今日きようの作業を成功させるためにも、室見にはじようしきてきよそおいでいてもらう必要があった。

 まったく……なんで自分がここまでやらなきゃいけないんだ。

 しみじみとそう思う。

 自分はもう辞めるつもりでいるのに。というか、この仕事が一段落したら今度こそふじさきに辞表を渡すつもりなのに。

 本当に知らないぞ。自分が辞めたあと、彼女が外で客を殴ったりパンツを見せたりしていても。ていうかに今までどうしてたんだろう? だれも気にしなかったのか、社内も客も含めて。

 工兵はためいきを一つ、ゆううつな表情で室見を見返した。

「そんなに急がなくても時間はありますよ。集合は十一時五十分ですよね?」

 現在の時刻は十一時二十分。ゆっくり歩いても三十分には到着する。だが室見はかぶりを振った。

「一秒でも早くついて準備しておきたいのよ。特に今回はラック周りの状況も分からないわけだし。聞いてた情報と違うところがあれば早めに手順を修正しないと」

「……それはまぁ、そうかもですけど」

 そこまであせる必要があるのだろうか。何せ今回はたっぷり事前準備をしてある。コンフィグはかんぺき、問題が起きた時のリカバリー手順も用意してある。特別心配することはないように思えた。

 だが室見は工兵のしゆんじゆんを気にしたようもなく早足で歩いていく。

 ──まぁ、いまさら気にしてもしょうがないか。

 工兵は鼻の頭をいた。しよせん自分はサポート役だ。室見の言う通り動くしかない。どちらかといえば自分のせいで足を引っ張ることがないようにしなければ。ええっと、作業の手順。もう一度おさらいしておかないと。──

「──さくらざか

 物思いにふけっていると室見が声をかけてきた。顔を正面に向けたままつぶやく。

ようのことだけど」

「土曜日?」

「藤崎さんに言われて休日出勤した件」

「……ああ」

 いやおくよみがえる。社会人になって初めての休日がうばい去られた件。それがどうかしたのか? むろは「ん……」とうなったあと、躊躇ためらいがちに言った。

「カモメに言われたんだけどさ。あんたがふじさきさんの依頼受けたのって、休出手当がどうとかじゃなくて。その……」

 口をつぐむ。なんだ……? 続く言葉を待っていると室見は首を振った。

「……なんでもない。まさかね、あんたがそんな……気利かせるわけないし」

「なんのことですか?」

「なんでもないって言ってるでしょ。ほら、急ぐわよ」

 わけが分からない。げんな表情で室見の背中を追う。本当に、この人は──何を考えているのか理解しづらい。

 しばらく歩いていくと集合住宅の向こうに巨大な建物が見えてきた。七階建ての横長なビル。おくじようから長大なアンテナが二本、つののように生えている。

「あ、あれですかね」

 こうへいは地図をのぞき込み位置関係をかくにんした。コンビニのかどを曲がった公園の奥、間違いない、あれが自分達の目的地、ほりどめ証券のデータセンターだった。

「なんか……意外に普通のオフィスビルみたいですね」

 拍子抜けした気分だった。

 データセンター──強力な電源設備とたいしん構造、各種通信かいせんあわせ持ち、情報システムの核となる施設。ネットで調しらべた時は、もっと工場みたいなところかと想像していた。

「まぁ都心型のDCならこんなものよ。郊外型だと研究所みたいな施設もあるけど。そういうところはアクセスが悪いから」

 メンテナンスの多いユーザーには嫌われるということか。いろいろあるのだなぁ。工兵は感心した。

 ───。

 データセンターのロビーはかんさんとしていた。

 受付で身分確認をすませにゆうかんカードを受け取る。荷物検査を終えけいたい電話を預けると、しよくいんが作業場所まで案内してくれた。

 殺風景な廊下を進み、いくつものゲートを抜ける。奥へ進むにつれ照明が弱くなり空気が冷え込んできた。エレベーターを降りるとすぐ正面に金属製の引き戸があった。かべに大型のカードリーダーが見える。

「あ、そう言えば伝え忘れたてたかも知れないけどさくらざか

「? なんですか」

「この中、超寒いから」

「……は?」

 ごう、と音をたて引き戸が開く。たんきりのような冷気が室内から漏れ出してきた。わきむろがそそくさと上着をる。

「だから、防寒具は必ず持参すること」

「遅いよ! 本当!」

 凍死させる気か! ていうか、何これ。マジで寒い! やばい、やばいから!

「処理能力の高いかいは大量の電力を消費するでしょ。その分、はつねつも多いからこうやって冷やす必要があるの。特にデータセンターは設置する機器の密度が高いから、機械同士の熱かんしようを防ぐためにも念入りにね」

「いや、冷静な解説とかいいですから! どうするんですか、これ。こごえ死にますよ!」

「大げさねぇ、そこまで言うほど寒くないでしょ」

 室見はめんどうくさそうに首をひねった。スポーツバッグを探り灰色のジャケットを取り出す。

「はい、これ」

 ……え?

「会社で作業用に買ったやつ。最近はカモメくらいしか着てないけど、サイズはあうはずよ」

「……わざわざ、持ってきてくれたんですか?」

 どういう心境の変化だろう。裏にびようでもついてるんじゃないか? 工兵は恐る恐るをひっくり返してみた。何もない。………? げんに思いにおいをかいでみる。あ、ちょっとなんかいい香り──

 ………。

 殴られた。

「ちょっと! あんた何してるのよ!? 変態!?」

「い、いや違います。室見さんが僕のために何かしてくれるなんて意外だったんで。なんかわけありの品なんじゃないかと思って」

 室見はまなじりり上げたまま、そっぽをむいた。細い肩が上下に揺れている。

「出がけに気づいて取ってきただけよ。大事な作業だから、途中で気分悪くなられても困るし」

 ない調ちようで言って室内に入っていく。なんだろう、やさしすぎて気味が悪い。ていうか出る前に気づいたのなら言ってくれればよかったのに。そう思いかけて出がけのドタバタを思い出す。まぁたしかに出発直前は荷物のかくにんに夢中で室見と話している余裕もなかった。でもだんの彼女ならそんなこと気にせず『おらさくらざか、私の分の荷物も持ってけ。うらー』くらい言いそうなはずで。うーん……。工兵は釈然としない気分のまま彼女に続いた。

 室内は広々としていた。殺風景な空間に金属製の箱がびっしり並んでいる。白、黒、灰色、クリーム色。色合いこそバラバラだが形状はほとんど同じだ。高さ二メートル、たてよこ六十〜七十センチ。前面に取っ手がつき開閉できるようになっている。サーバやネットワーク機器を格納する設備、──ラックだった。

 入って左手、まどぎわのスペースにほりどめ証券のラックはあった。番号はA−105と106。しよくいんはラックのかぎはずすと注意事項をいくつか説明し去っていった。

「さて──と」

 気を取り直したようむろゆかに座る。スポーツバッグからぎわよく荷物を取り出し周囲に広げた。

さくらざか、まずかいの場所をかくにんするわよ。ラック図と比較して、事前の情報と違いがないかチェックしてちょうだい」

「はい」

 ラックとびらを開け中をのぞき込む。うすがたのサーバやネットワーク機器がびっしり詰め込まれていた。大量のケーブルが機器をつなぎ、つたの絡まるジャングルのような眺めを見せている。こうへいは手元のラックマウント図を確認し作業対象となる機器を探していった。

「ありました。ホスト名、D17−RT01。繋がっているポートも情報通りです」

「LEDは? きちんと点灯している?」

「……みどりいろ……ですね。100Full、大丈夫です」

「OK、じゃあコンソールとるわよ」

 室見からコンソールケーブルを受け取りルータに接続した。事前にかいせんエラーやポート不良がないか確認しておくのだ。ここで正常な部分を洗いだしておけば機器交換後のトラブルシューティングが楽になる。ついでにコンフィグのバックアップも取っておく予定だった。

 時刻を確認する。現在の時間は十一時三十五分。

 十一時五十分になればきやく担当者も到着する。だいたい機を持参し自分達に作業開始の指示を出すはずだ。それまでに準備を終わらせておければ──、気持ちをめ確認手順を見直そうとした時だった。

「あれ? もう着いてたんですか」

 きつねの男性がラック列の入り口に現れていた。後ろに二人ふたり、若い作業員を引き連れている。色白で神経質そうな表情は見間違えようもない、堀留証券の担当者だった。大きな台車に段ボール箱を二つのせている。

 …………、二つ?

 一つは代替機だろう。だが、もう一つはなんだ?

「早く着いてたならちよういい。もう作業始めてもらえますか。今の機械も取り外しますんで」

 担当者の言葉に工兵は目を丸くした。かたわらで室見も顔をこわばらせている。

「どういうことですか?」

 室見の声はきびしかった。の目をすぼめ顧客をにらみつける。

「作業は十二時からですよね。それに向けて今、いろいろ準備してるところなんですけど」

「ちょっとね、事情が変わったんですよ」

 きやく担当者は悪びれずに言った。作業中のラックにあごをしゃくってみせる。

「この、別の現場で使うことになってるんですけどね。業者のごうで設置が一時からになって、今すぐ送付しないと間に合わないんです。……ああ、大丈夫ですよ。通信はもう止めていいと社内に了解とったんで」

「な──」

 むろの口がぽかんと開く。いつしゆんの空白、次いでまゆじりが急な角度でり上がる。彼女はこぶしにぎりしめった。

「何考えてるんですか! 新機器のどうかくにんも取れないうちに今の機器をてつきよするって。問題が起きたらどうするんですか? 切り戻しもできなくなるんですよ!」

 すさまじいけんまくだった。きつねの担当者はされたように口ごもり不快げな表情となった。

「問題って、ただコンフィグを入れ替えるだけでしょう。しかも同じコンフィグを同一メーカーの機械に。トラブルなんて起こるわけないじゃないですか」

「何が起こるか分からないのが現場なんです! 理屈通りに話が動くなら私達エンジニアなんていりません!」

 担当者ははなじろんだようで手を振った。

「あー、はいはい。あなた方お得意のリスクとかバッファってやつね。そうやって作業時間や単価を吊り上げてるんでしょうけど、おあいにく様。私らにはそういうの通じないから。今までそういうの全部削らせてコストカットしてきたんで、うち」

 ほら、はずして外して。

 担当者の指示で若い作業員がラックに取りつく。止める間もなかった。現行ルータはバックアップを取る間もなくコンソールケーブルを抜かれ取り外されてしまった。

 台車から段ボール箱が降ろされ大きな方の包みに現行ルータが入れられる。かわりに小振りな箱からだいたい機が取り出された。古い機器の箱が台車に載せられ運び去られていく。室見はその一部始終をふんぎようそうで眺めていた。口元がひん曲がりはんにやのような顔つきとなっている。はらはらしているこうへいの前で作業員が新しい機器をラックマウントした。ぎわよくネジをめ電源コードをす。担当者は小さなあくびをもらした。

「じゃあ、あとはスルガシステムさん、頼みますよ」

 気の抜けた様子でかべにもたれかかる。そのままものげに手帳をめくり始めた。

「室見さん……」

 室見はこわばった表情のまま下唇をんだ。ややあって押し殺したつぶやきが漏れる。

「……さくらざか、作業に取りかかるわよ」

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