レイヤー2 【6/10】

 冷や汗をぬぐいつつラボルームに戻るとむろが机につっぷしていた。寝ているのか、いつしゆんそう思ったが彼女はノートPCをのぞき込んでいた。背中を丸め、うっとりした表情でマウスをあやつっている。なんだろう、画面に映っているのはジャケットやスカート、それに……ブーツ?

 しばらく考えたのち、ふっと気づく。ああ、なんだ通販サイトか。そう言えばこの人エンジニアにしては意外に着るものとか金かけてるっぽいしな。タイつきのシャツとか、バーバリーチェックのミニスカートとか。自分はあまり服に詳しくないけど、かなり高級そうな感じだった。いやまぁ会社に来る格好としてどうなんだというのはあるけど。やたらしゆつ高いし。今だって正直目のやり場に困るけど。ふとももとか、胸元とか、白いうなじとか。──

 いかんいかんいかん。

 頭を振りせんを戻すと、画面にカラフルなバナー広告が現れていた。

『季節のツナ缶詰め合わせ。こだわりの味を食卓に直送』

 ……ぶっ!

 顔を引きつらせるこうへいの前でむろこうにゆうボタンを押す。小さな唇からほおっと幸せそうなためいきが漏れた。季節のツナ缶……そんなのあるんだ。ていうか、どんだけツナ好きなんだ。ねこかよ。

 工兵のはいに気づいたのか室見が顔を上げた。たんさきほどまでのじようげんうそのようにれたぶつちようづらとなる。

「遅い」

 不機嫌なまなしが工兵をつらぬく。工兵は「すみません」と頭を下げた。たしかに──コンビニで雑誌を読みふけっていたせいか思ったより時間が経過している。しんに思われても仕方がなかった。

 室見は声を低くした。

「どこまで行ってたのよ。あんたまだやりかけの仕事あるんだから買い物くらいとっととすませてきなさいよね。……って、まさかとは思うけど、ゆうに食後のお茶とかしてきたんじゃないでしょうね?」

「……そんなこと、してませんよ」

 むっとなって答える。少し遅くなったとはいえまだ三十分もっていない。通常の昼休みで十分収まるはんだった。大体自分だって、仕事を中断しネットショッピングしてたじゃないか。

 ───。

 いや……いい。こういう言動をいちいち気にしてもしょうがない。早く仕事を終わらせればその分早く会社をはなれられる。室見と別れられる。今はそれだけを考えるべきだった。

 無言でまるに腰掛ける。ノートPCを引き寄せコンフィグファイルを開いた。

 ……といってもな。

 結局、何も打開策を思いつかないまま戻ってきてしまった。だいたい自分のような素人しろうとにそうそう良案が考えつくはずもないのだ。抜け道というのはどこに障害があるか分かってこそ探すこともできる。何も分からない状態では策の練りようもなかった。いっそ、ネットの掲示板でいてみようか。どうせまともな答えは返ってこないだろうが。室見にたずねた時と同じだ。せいぜい『ググれ、カス』と言われるくらいで──

 ……待てよ。

 ふっとしきが引っかかりを覚えた。

 ──ググる。……いいんじゃないのか、それ。

 コンフィグ内のキーワードで検索してみたら何か引っかかるかもしれない。設定例のまとめサイトとか、メーカーのサポートページとか、あるいはそのまんまずばりコンフィグファイルとか。

 案件資料を見る限りCiscoのルータはかなり一般的なかいのようだった。であればこうへいの欲しい情報だって公開されているかもしれない。

 よし。

 だめもとでブラウザを起動する。検索キーワードは……そうだな。『Cisco』と『設定』、いや『設定例』でどうだ。あとはコンフィグ内の単語を適当に入力していけば。

 かたみエンター。カーソルが青色に変わりページの読み込みが始まる。

 ほどなくして検索結果が表示された。トップのサイトは──「コンフィグレーション・サンプル」、Cisco機器の設定例を集めたサイトだった。

 ビンゴだ。

 下唇をめサイトのリンクをクリックする。いつしゆんの間をおいて白と緑、ツートンカラーのホームページが現れた。上からATM、FR、PPPoE(LAN型接続)と目的別にコンフィグのサンプルが並べられている。今回は……どれだろう。たしむろさんはNATとか言ってたから……これか。

『インターネット接続(NAT構成)』

 リンク先のページが開いた瞬間、工兵はおどりしそうになった。見覚えのある文字列が画面に表示されている。工兵の手元にあるコンフィグファイル、その完成形とおぼしきテキストが目の前に現れていた。

 即座に全文をコピー、手元のエディタにペーストする。横にぞん機器のコンフィグを並べ内容を比較した。相変わらず意味はよく分からないが要は数字っぽい部分だけ置き換えればいいのだろう。なんだ、かんたんじゃないか。最初からこうすればよかった。今まで悩んでいたのが鹿みたいだ。

 横で室見がくそな鼻歌を歌っている。相変わらずやかましい人だ。だがまぁいい。今の自分は寛大だ。ちょっとやそっとのことで心を乱されたりしない。

(ここをこうして……、こうしてりつけて──、よし)

 三十分後、それっぽいテキストができあがる。一度見直した後、簡単なタイプミスだけ修正しコンフィグを保存した。

 工兵は席を立った。

「室見さん」

 室見はめんどうくさそうにせんを持ち上げた。

「今度は何、トイレ?」

「違います。できました」

「……できた?」

「コンフィグです」

 むろの大きな目がぱちりとまたたく。ややあって、とびいろひとみに疑わしげな光が宿った。

「午前中いっぱいかかってもできなかったのに。……なんで食事から戻ったしゆんかん、できあがるのよ」

 う──

 なんと説明したものか、まさかネットの検索結果をそのままコピペしたとも言えない。

 室見の表情がけわしさを増した。

「まさか、やっつけで作ったんじゃないでしょうね」

「……ち、違いますよ」

 こうへいは両手を振った。

「でかける前にだいたいできあがっていたんです。戻ってから見直しして、それで完成させたんですよ」

「……だったら、終わらせてから行きなさいよね」

 ぶつぶつ言いながら、それでも室見はノートPCを受け取った。液晶の角度を調ちようせいし画面をのぞき込む。見ているうち、ぴくりと細いまゆが持ち上がった。

 ──どうだ。

 工兵は心持ち胸を反らした。細かなミスはあるだろうが、何せ答えを丸写ししたようなものだ。室見的には予想外の出来だろう。おどろくか、憎まれ口をたたいてくるか。どちらにしろいつむくいられる。このおうぼうせんぱいはんげきできる。

 さぁ、なんと言ってくる。

 ………。

 ほ、めたければ褒めてもいいんだからね!

「やりなおし」

 ───。

 ……え?

 ぼうぜんとする工兵に室見はノートPCを突き返してきた。それきりきようを失ったように、自分の作業を始める。

 いや。

 え?

 ちょっと、何それ。

「ま、待ってください」

 工兵はあわてて室見に詰め寄った。両手を机につき身を乗り出す。検証ざいの上から覗き込むようにして室見を見下ろした。

「ど、どういうことですか。全部間違ってるとでも言うんですか、これ」

「ううん」

「じゃあ、なんで!」

 むろはうるさそうにこうへいを見た。冷え切ったまなしが彼をく。

「あんた……それ、どっかから写したでしょ」

 ………!

「元コンフィグにsyslogサーバなんて指定されてた? SNMPコミュニティなんて設定してた? そんなズラズラと余計なACLかけてた?」

「………」

 工兵は口ごもる。どこを消してよいか分からなかったので、意味のつかめない部分はサンプルコンフィグを流用していた。つまりはそれが余分なのうだと言うのだろう。

 室見は語気を強めた。

「私言ったわよね、コンフィグを作れって。だれがサンプルを持ってきてそれをへんしゆうしろなんて言ったの?」

「で、でも……」

 そんなことできるわけないじゃないか。室見の言っていることはつまりこうだ。新旧の設定規則を理解した上で過不足なく、必要最小限の設定を作り上げろと。どう考えても素人しろうとにできる作業じゃない。

「でもも何もない。ていうか、三時間かけてやったことがサンプルのコピペだけ? あんたやる気あるの? ないならもう帰っていいわよ。ざわりだし」

「……っ!」

 さすがにカチンときた。

 一体全体、なぜここまで言われなければならないのか。自分が反抗的で物わかりが悪いなら話は別だ。だが実態として工兵は教育らしい教育を何一つ受けていない。ノートPCを渡されいきなり仕事を割り振られただけだ。

 だいたい、コンフィグを作成するのに一から作るのとサンプルをコピーするのとで何か違いがあるのか? 余分な行があるならそこだけ削除させればいい。問答無用でやりなおしさせる道理はなかった。

「不満そうね」

 室見は静かな調ちようで言った。キーボードから手をはなし感情の消えた顔で工兵を見る。

 ぞくり。

 冷たいものが背筋を走った。整った顔にいつもの子供っぽさはない。別人のようなれいてつさと迫力がとびいろひとみから伝わってきた。

「言いたいことがあるなら言ったら? なんで設定例があるのに、わざわざ一から作らなきゃいけないんだとか。余分な箇所があるなら、そこだけ削除させればいいだろうとか」

「………」

 ぼしをさされ口ごもる。心がガラス張りになっているようだった。んだ湖面を思わせるひとみが、まっすぐにこうへいを見つめている。

たしかにそれでも納品用の設定はできあがるわよ。でもね、そうやって作ったコンフィグがもし現場で動かなかったらどうするの?」

「? どういうことですか」

「仕様の伝達ミス、接続とのあいしよう、急な要件変更。想定外のトラブルなんていくらでも起きるわ。その時、現場できゆうきよコンフィグを変更しなきゃいけなくなったとして、あんたはどうするの? どこを変更したらいいか分かるの?」

「それは……」

 そんなことまで考えてもみなかった。とりあえず納品さえすれば話は終わりと思っていた。だまる工兵にむろは「それとも」と続けた。大きな目が引き絞られたゆみのようになる。

「サンプルをコピーしただけだから分かりません、とでもお客に言うつもり?」

「………!」

 そんなことはないと否定しかけて言葉をむ。自分がやろうとしていたことはまさに室見の指摘通りだった。表面だけつくろった──うわのみの仕事。

 室見は工兵からせんはずしノートPCを見た。

「もう一度言うわよ、一からコンフィグを作って。余分な行が一つでもあったらNG。分かったわね」

「……はい」

 はんろんする気力を失い工兵は自席に戻った。腰を下ろし、打ちのめされた気分で液晶を見る。

 かんそうな文字列がメモ帳を埋め尽くしていた。意味さえつかめないアルファベットと数字の連なり。この一つ一つについて必要不必要を判断し書き換える? しかも今日きよう中に?

 ………。

 無理だ、どう考えても。

 絶望が身体からだを満たしていく。血液がなまりと化し、血管の中で固まっていくようだった。

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