レイヤー2 【7/10】
とりあえず訳してみるか。
工兵はゆるゆると手をキーボードにのせた。
一単語、一単語。
だが理性は
何も見えてなんかこない。意味不明な英文を訳しても意味不明な日本語が現れるだけだ。だいたいこれはコンピュータの設定ファイルだ。まともな英文でさえない。
……だからって、……じゃあどうすればいいんだ。
このまま液晶と見つめ合っていても
思考がぐるぐると
考えがまとまらないまま、指先は
───。
どのくらい時間が過ぎただろう。
最終コンフィグを
窓の外はすっかり暗くなっている。ブラインドの
テキストを書いては消し、消しては書き直し、コピーとペーストを数え切れない回数
その結果がこれだ。
もう一度、最初から──
(………)
くらりと
だめだ、これはだめだ。
全身の気力が抜け落ちていく。今のミスを修正し、もう一度最初から作業する気にはなれなかった。考えてみれば夕食も食べていない。電車だってそろそろ終電のはずだ。
ひょっとして
ぞくりと
「すいません」
立ち上がりながら呼びかける。久しぶりに出した声はかすれていた。
こちらは見ない。
「そろそろ──終電です」
「できたの?」
室見は感情を含まない声で
「……まだです」
「じゃあ続けたら」
「……電車がなくなるんですけど」
「だから?」
「だからって」
ギィと
「仕事の
工兵は
なんだ、それ。
じゃあ、自分はこの仕事が終わるまで帰れないのか? 眠ることもできず、先行きの見えない作業を続けるのか? 延々と、連綿と。ひたすらに、終わることなく。
ぷつりと何かの切れる音がした。やり場のない不満が波頭となって理性を押し流す。限界だった。
「無理──です」
ぴくりと室見の
「無理? 何が?」
「こんな作業、僕にはこなせません」
「こなせない?」
室見は心底
「なんで?」
「なんで……って」
「できるわけないじゃないですか、ルータのことなんて何も知らないのに。こんな──いきなり専門的な作業──」
「できない仕事を渡したつもりはないわ」
「ルータの基本的な挙動とIPアドレスの考え方、NATについての
「だから、……その基本的な部分が分からないって言ってるんです」
工兵は語気を強めた。
「いくらなんでも
「へぇ」
言うじゃない、と室見は笑った。つんと
「じゃあ
「それは……」
「まさか一日かけて分かったことが、昼ご飯の場所とノートPCの使い方って言うんじゃないわよね?」
ぎりっと奥歯を食いしばり
「作業、まだ終わってないでしょ」
室見の言葉に工兵は振り向いた。
「
「藤崎さんと?」
室見は鼻の両
「藤崎さんと何を話すつもり」
「今日一日のOJT内容と、今の状況についてです」
ついでに言えば室見の
正面に向き直り
「逃げるつもり?」
逃げる?
「そうでしょ、やりかけの仕事を放り投げて上司に泣きつこうとしてるんだもの」
「逃げるつもりなんてないです。無理なものは無理って言うだけですよ」
「それが逃げるってことじゃない」
「報告や連絡、
「この場合、同じようなものよ」
──だめだ。
絶望的な気分になる。この人とは何時間
背中を向ける。もはや何を言われても
その時だった。
背後で風が動いた。タン──と
「な──」
室見は
「一つ、はっきりさせておくわ。私を押しのけてここから出ていくつもりなら、その時点でOJTは終了。あんたにSEの適性はなかったと判断する。そこまでの覚悟があって、あんた出ていこうとしてるの? 仕事を投げ出そうとしているの?」
工兵は
「言っている意味がよく分かりません。なんで、
「
「分かりませんよ。僕はこの業界について何の
「今のあんたの上長は私! 藤崎さんじゃないわ。──答えなさい、あんた、この会社でやっていく気があるの? ないの?」
頭に血が上る。
だが、
「はぁい、
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