8-4th. ED そして、時は動き出す
野鐘 昇利というノベライザーは、真っ直ぐで熱い男だった。それに引き替え、自分は根っからの弱虫だったのかもしれない。
皇儀はまだノベライズの余韻が冷め止まぬまま、激戦を交えた相手とがっちりと握手を交わしていた。
「……これまでのノベライズの中で、きみとの一戦が最高の執筆歴となった」
「……僕の方こそ、皇儀さんがいたから、ここまで書き続けられました」
僕に新しい世界を教えてくれて、ありがとうございました……!
トシは皇儀に一礼すると、俯いたまま一人で颯爽とスタジアムの出口へと向かった。いつもなら口にするはずの心からの約束も忘れながら。だが、そんな彼に観衆からは、尊敬……称賛……感動……敬うすべての意味を込めた惜しみない拍手が送られた。
『……どれだけ讃える言葉を並べても足りないくらい、素晴らしいノベライズでした。このような試合がエリア予選で見られたこと。今ここにいるすべてのノベライザーとライズ・ノベルを愛する者たちにとって忘れられない光景になったと、私は思います、もちろんこの戦いだけではありません!』
総勢128名。百試合以上にも及んだ己の筆力と創造力をぶつけたライジング・ノベライズという名の物語。
筆力を尽くして勝利を得た者。創造力半ばで舞台から去った者。決着の形は無限にあれども、そこに至るまでの物語に凡庸な内容は一行たりともなかった。
たった一人という狭き栄光があるからこそ。それぞれの書籍化への思いがあるからこそ、それがより輝いたのだ。覚悟を決めたすべてのノベライザーが文豪であり、誰かに伝えたいすべてのライズ・ノベルが名作だった。
『……そして、結果は…………新星が筆聖を打ち破るには至りませんでしたが、それ以上に劇的な価値を残した一戦であることは間違いありません!第15回ライジング・ノベライズ、エリア予選決勝を制して全国へと進出するのは、紋豪学園、二年……皇儀 莱斗選手でした!おめでとうございます!』
5th.ED
【NOGANE:12 ― 17:SUMERAGI】
ロビーのディスプレイに映し出されたノベライズの結果は、皇儀の圧勝で終わったことを示すが、皇儀自身は辛勝どころか、“試合に勝って、勝負に負けた”という思いだった。
皇儀の5th.EDでサヨナラとなったポイントは5ポイント。だが、ライズ・ノベルで獲たのは2ポイント【RP:リスペクト】だったのだから。
トシがあのままライズ・ノベルを完筆していれば、4ポイント【EX:エクセレント】を得て自分の負けだったと、皇儀は確信していた。
■
「あ!こんなとこにいたのか、トシ!」
トシは聞き慣れた幼馴染みの明朗快活な呼び声に、慌てるようにセルラブルを操作して、宙に映し出されたホログラム画面を落とす。
「もう配信されてたんだね。決勝戦と会見の映像」
「うん、今さっきね」
皇儀とのノベライズが終わってから数時間が経った放課後。トシは午後の授業を受けようと学校には来たものの、この屋上で日陰に隠れながら、夏空を眺めたり物思いにふけながら、独り時を過ごしていたのだ。
「そういうのを、真面目系クズって言うんだぞ、トシ」
「ほんとだね。僕って中途半端だな、行動も考えも……ノベライズも」
姫奈はトシを茶化す。本当はここにいると分かっており、ほとぼりが冷めるのを待って訪れたつもりだったのだが、言葉を間違えたようだと反省する。
「あれ、トシ。手に持ってるのって、もしかして……」
「うん。いくつか拾っておいたんだ。捨てようとも思ったんだけどね」
トシはベンチに腰かけながら握っていた左手をそっと開く。黒くて小さい、1センチ四方の薄いチップのような物。それぞれに【E】【I】【R】【Z】と、印字された掠れた文字の欠片。
「まさか、壊れちゃうなんてね……キーボード。私が昨日、トシに……」
「姫奈のせいじゃない。僕が皇儀さんとのノベライズに力を入れすぎたんだ」
トシにとっては筆力と創造力と同じくノベライズの要となる入力機器キーボード。皇儀との決着寸前、勝利を目前にして砕け散った欠片だった。
これまで繰り広げた激しい執筆により、通常であれば数百万回もの鍵打にも耐えるキーボードの寿命を激しく消耗させた。
トシは急いでホログラムキーボードを起動したが、かつてのような錆びた機械の動きと化したタイピングでは百文字と打つことができず、トシは自身のノベライズ公式記録としては、三度目となる【UF:アンフォームド】が決め手となって敗北した。
姫奈は前日にトシにノベライズを挑んでいなければ、壊れることはなかったと思ったが、キーボードの深刻な劣化は、皇儀との激しいノベライズからだとトシは分かっていた。
「こんなところにいたのか、トシ」
姫奈と同じ台詞で現れたのは天馬だった。今回のノベライズで担当者として、最もトシを支えた相棒であり立役者だ。彼がいなければ、トシは決勝まで辿り着けなかっただろう。
「天……」
「ほらよ。お祝いだ」
天馬にここまでの感謝と同時に、全国に連れていけなかったことの申し訳なさを伝えようとしたトシだったが、急に放り投げられた缶飲料を慌てて受け取り遮られる。
「……
トシは笑う。いつもの冗談を交えた二人のやり取りを見て、姫奈は思ったより元気そうだと一瞬、安心した。
「違う。これはお前が成長したお祝いだ。ノベライザーになった、な」
だが、眼鏡を直しながら言う天馬の表情はいつもと違っていた。鋭い眼光はなく、友のすべてを見据えた、彼らしからぬ優しい笑みを浮かべていた。
「……ありがとう。今日だけ許してくれ……悔しいよ。悔しいよ!」
先ほどまで見せた落ち着きから一変して、トシは自ら錆び止めていた涙腺を解放するように大粒の涙を流し始めた。
まだ底辺と呼ばれていた頃から、どれだけ負けようとも、誰から嘲笑されようとも、辛さや悔しさなど辞書にないようなマイペースなトシが、初めて負けたことへの感情を表に出した。
トシがノベライズを始めた動機は、皇儀という好きになった女に告白したいがためだった。だが、戦いを繰り返す中で才能が開花すると同時に筆力と創造力だけに留まらない大きな成長を見せていた。
天馬のおかげで、ノベライズを楽しむ喜びを覚えた。
剛池のおかげで、ノベライズが持つ熱さを知った。
詩仁のおかげで、ノベライズがもたらす可能性に気付いた。
鉤比良のおかげで、ノベライズで己を貫く大切さを学んだ。
姫奈のおかげで、ノベライズを通じて本音で語り合えた。
皇儀のおかげで、ノベライズの本当の誇りに目覚めた。
「僕は……僕は、男として皇儀莱斗と隣に並びたかった!だけど、ノベライザーとして、彼女を超えたかった……!ちくしょ……ぢくじょおおお……!」
トシは二人をはばからず、嗚咽や
「天馬と……姫奈と…… 一緒に全国に行きたかったよ……」
「思い切り泣いとけ。そこまで悔しいと思えるものに出会えただけでも、お前は立派なもんだ」
「すっかり、いい
何を志すでもなく、無為に等しい日々を送る高校生も溢れるなか、筆を執ることに巡り逢えたトシはどれだけ恵まれていることだろうか。こうして、また一人。本当の意味でノベライズの夏が終わった。
今度こそ、皇儀に勝ちたい、という思いを胸に抱きながら、ノベライザーの物語は幕を閉じる……
「ところでトシ。お前、皇儀があの後に何て言ってたか知らないだろ?」
「そうだよ。トシったら、急に帰っちゃうんだから。ほら、続き続き」
「え……?」
……には、まだ早いようだ。トシは天馬と姫奈に言われるがまま、セルラブルを取り出すと、先ほど中断した決勝会見の映像の続きを再生する。
浮き上がったホログラム画面には、メディアからエリア優勝のインタビューを受ける皇儀の姿があった。
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