1-3rd. ED ソウル・ライド
それは模様というにはあまりにも荒々しい傷跡を聚合させた灼熱色の鎧を纏った豪剣士だった。身の丈以上ある
その巨大な赤き影が今、永劫の空間を持つ銀河を覆い尽くさんばかりに立ち塞がる。これは物語の中の話ではない。今、現実に起こっていることだった。
――― 時は今から十数分前に遡る。
トシと天馬のノベライズ勝負。その場にいた誰もが1EDで天馬の勝利に終わると確信していた。何故ならトシのタイピング速度は誰よりも遅いからだ。この15分間で200文字打てれば彼にとっては上等、「はい、良くできました」と同情の拍手に値するであろう。
天馬が【エクセレント:EX】で4ポイントか【リスペクト:RP】で2ポイントを取れば、あとはトシが最低文字数に達せず発生したペナルティ【アンフォームド:UF】の3ポイントと合わせて5ポイント以上。めでたくノベライズ終了だ。
天馬は星座のように配列したキーを華麗にリズミカルに叩きながら物語を紡いでいた。指とホログラムキーが触れる度に星の瞬きが起きる。それを何百、何千と繰り返すことで発生する流星群にギャラリーたちは釘付けとなっていた。
「順調だ……。そろそろ発動する頃か」
1st.EDが始まって5分が経過した。執筆が進むにつれて天馬の身体は温まり、気持ちは高揚する。筆者と物語がシンクロすることで脳内に創作特有の成分が文筆されノベライズ・ハイを誘う。
どこか遠くから、蹄の音と翼がはためく音が近付いて来る。幻聴でなければ、聞こえているのは天馬だけではない。この場にいる全員が確かに感じていた。音は段々と大きくなり、質量のない重圧がすぐ間近に迫ったと思ったその時だ。
刻彫された螺旋のように伸びる銀色の角を持つユニコーンが、天馬の背後上部から次元をこじ開けるように頭を出す。講堂にいた生徒が壇上に注視した。
やがて、藍色の毛並みの中にも白銀の輝きと翼を持ったペガサスとユニコーンの特徴を併せ持った幻獣が姿を現す。そして勇猛な雄叫びをあげた。
「出たぞ出たぞ。天馬さんのソウル・ライドだ!」
ざわめきの中から、その特性をよく知る者のひと声がした。
ソウル・ライド……【(R)izing Seed】ライジング・シードに搭載された、筆者の特殊アバター的な役割と筆力を象徴する存在。その姿形はライドのAIが筆者の思想、信念、趣向、性格、自信、経験など様々な部分を読み取り自動生成される。
ソウル・ライドは、ノベライズ中にイマジネーション(想像力)、モチベーション(意欲)、コンセントレーション(集中力)などが高まったノベライズ・ハイとなると、ホログラフィとして具現化される。ノベライズのソウル・ライド同士の戦いは、小説に興味がない層からも人気だった。
――― 星河の一閃 ラグラ・ユニサス ―――
天文学と神話を好む天馬が司る、その身に銀河を宿した幻獣。それがこの男のソウル・ライドである。
ユニサス!そこで立ちすくむだけの腰抜けを星屑にしろ!
筆者が頭で攻撃を思い描けば、ソウル・ライドは従順にそれを実行するが、意識をそちらに向けすぎると執筆に影響が出てしまう。無意識で過らせるそれなりの馴れと工夫が必要だ。
ユニサスが前足を高く掲げながら翼を動かす。すると、トシを目掛けて無数の隕石が流星となって降り注いだ。無論、本当に隕石が落ちたわけではない。ソウル・ライドと筆者の想像力が織り成すホログラムとエフェクトであり、これこそがノベライズで最も盛り上がる瞬間であり、見ものだった。
ソウル・ライドは相手筆者への牽制や心理攻撃としても重要な役割を持つが、トシはそれを一度も発動させたことがなかった。当然だ。今までは少しでも多くの文字を入力することだけで精一杯だったのだから。
「トシ。お前はその真っ白な画面を見つめながら何を……思っ……て?」
1st.EDの残り時間も二分を切り、物語もほぼ一段落つき推敲を兼ねて執筆を続ける天馬はある異変に気付く。違う。それは異変ではなく、ノベライズが始まった時から至極普通に起きていた。ただ天馬がそちらに目を向けていなかっただけのことだ。自分だけではなく、トシの文書画面にも文字が埋め尽くされているという現実を。
天馬の方から見れば、反転こそしているが、確かにトシの文書画面に無数の文字影が確認できる。現代のホログラムがいかに優秀でも、現実と区別をするために若干の透明度はあり、視界を完全に遮断するようには構成できない。
よく見るとトシの手元は動いていた。力強く小刻みに勢いよく。天馬は手に集めていた神経を僅かに耳の方に意識させると、まごうことなき微かに聴こえてくる。カタカタと無数に鳴り響く、短く渇いた施錠音のような調べが。
「あれは、まさか……」
―― 技術の進歩によって人類がもたらされた便利かつ豊かな生活の規模は計り知れないが、それに伴い失われた物も数多く存在する。
チャットやSNSの概念すらなかった100年ほど前は趣味の王様とも言われたアマチュア無線は、インターネットの誕生で瞬く間に消滅した。
携帯電話の世界普及により、緊急用ですら滅多に使用されなくなった公衆電話も今では、お地蔵様のような神仏的なスポットに見えなくもない。
記録媒体に至っては、レコード、CD、DVD、ブルーレイ、マイクロフィルム、フロッピーディスク、ビデオテープなど数を挙げるとキリが無く、最も多種多様な繁栄と衰退を辿ったと言えよう。
必要最低限の目視サイズの機器でも、高解像で莫大な情報入力、伝達、表現が可能となったホログラムの誕生により、かつてはコンピュータに欠かせなかった入力機器が失われたとしても、何ら不思議はあるまい。
「……キーボードか!!」
そう。様々なソフトウェア上で文字をはじめとした入力の役割を果たす機器だ。タイプにもよるが、長方形の板状の筐体に百前後の文字、数字、記号、機能が印字されている、キーと呼ばれる“鍵“が配列された、かつてはユーザーとコンピュータを繋ぐアナログにして最も身近にあった存在である。
トシが使用しているキーボードは、2020年頃に発売された近接無線による接続とキーピッチは浅めながら流れるように指が這うパンタグラフ型。“目の付け所が閃細“というスローガンを掲げた創業150年以上を誇る老舗電気メーカーの確かな鍵触と健打が保証された一級品だ。
「こんなに早いタイピング初めてだよ。凄いよトシ……!」
ノベライズが始まる前よりトシから一番近い席で彼を見守っていた姫奈は、胸に手を当てながらずっとそのタイピングに心を奪われていた。
音が止むことなく巧みに鍵打音を炸裂させるトシの姿は、ホログラムが生み出す絢爛さこそないが、“静寂な迫力“ ともいう矛盾した融合が生み出した覇気に満ちており、それに気付いた皆が注目し始める。
「凄い……。打ちたい文字が何百字。思い浮かぶ文章を指が次々と追いかけてくれる!」
わずか一日半でキーボードを、しかもタッチタイピングで使いこなせるようになったことによる劇的な変化に驚いているのはトシ自身だった。
紙の本と電子書籍では、同じ内容でも脳に入る情報量や記憶は異なるというデータがある。かつて、アナログとデジタルのどちらが情報媒体としての伝達力に優れているかで研究者たちが論争をした時代もあったらしいが、結果はケースバイケースだ。つまり反対を言うと、文字入力の操作でも同じことが起こったのだ。
野鐘 昇利は現代人でありながら、ホログラム入力デバイスよりもアナログ機器による入力の方が速度に優れている。単純明快にして盲点だった。彼はようやくして自身の脳と指を繋ぐ最高のパスコネクションに巡り逢えたのだ。
キーボードがトシにもたらした恩恵は高速タイピングだけではない。その歴史的瞬間を全員が目撃しようとしていた。
「お、おい。トシの腕、燃えてねえか?」
講堂にざわめきが起きる。トシの左腕に巻かれたセルラブルから炎があがっていた。進行役を務める教師は一瞬、ノベライズを止めようと思ったが、炎がトシの袖を纏っても何の反応も示さないのでホログラムだと判断した。
「ノベライズ中に入力以外でエフェクトが発生する条件はただ一つ……!」
執筆開始から一度も休むことのなかった天馬の指が固まる。今度こそ紛れもなく異変である、その正体に真っ先に気付いた。
「もしかして……ソウル・ライド!」
姫奈がその名を口にした瞬間、トシのセルラブルから幾つも連なった鉄槌が吹き出るように伸びる。それは講堂を一撃で破壊しかねないほどの鋸のような大剣だった。そして、炎の渦とともに西洋の武神とも例えよう巨体が姿を現す。天馬の銀河を象徴したライズ・フィールドが霞んで見えた。
――
ノベライズの道を昇り始めてから、これまで一度も絶望することなく、努力を惜しまず、純粋に前だけを見据えた彼のノベライザーとしての未来を切り開くべく覚醒したソウル・ライドだ。
それは模様というにはあまりにも荒々しい傷跡を聚合させたような、灼熱色の鎧を纏った豪騎士だった。身の丈以上ある
その巨大な赤き影が今、永劫の空間を持つ銀河を覆い尽くさんばかりに立ち塞がっていた。これは物語の中の話ではない。今、現実に起こっていることだった。
「これで……エンド・ライズだ!!」
「なにっ……!」
ジーク・ブレイカーの圧倒的な存在感に動きを止めてしまった天馬だったが、僅かな時間を残して執筆終了を告げるトシの言葉に身体が反応する。不覚を取った自分に苛立ちを覚えるか否かのその時だった。
星は砕け、銀河が泣いた。
集中力が途切れてしまった天馬のソウル・ライドであるラグラ・ユニサスは、トシが最後に叩いたエンターキーによる開放感と達成感で生じた、ジーク・ブレイカーの振り下ろした大剣の一撃によって粒子となって消滅したのだ。そして……
『アウト・ライズ!』
時間いっぱいとなった1st.ED終了を告げる声が講堂に響いた。
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