1-2nd. ED セット・ライズ

 20世紀の文明発達のスピードは、19世紀までと比べると目まぐるしいものだったと言える。わずか百年で人は空中で戦争をするようになり、月面着陸に始まり、制限付きながらも宇宙の滞在と往復を可能にした。インターネットによって、地球の裏側の情報までもがリアルタイムで、尚かつ片手でその場で確認できるようになった。


 2078年の現在はどうか。実現も遠い未来ではないとされた宇宙旅行や空陸両用車、そして意識と完全隔離した仮想現実(VR)の世界。それらの技術開発は着実に進みつつはあったが、実用化にはまだ少し遠い時代を人類は歩んでいた。これはもう、20世紀は宇宙人か未来人からのオーバーテクノロジーの供与介入があったのではないか、と言われても何らおかしくはない。


 その代わり、ホログラフィによる投影現実(HR)の高度な発達により、コンピューターを用いた生活と文化だけは、50年前と比較すると劇的な変化を遂げたと言えるであろう。


 現在の20代若者が生まれた頃には、ナノホログラムとそれを高画質で投影するモバイル機器の大量生産と一般普及は既に現実となっていた。


 かつてはSF作品の中か何十億円と投資が必要な大掛かりな装置や設備、またはAR技術を用いなければ体感できなかったものが裸眼で直接見られるようになったのだ。


 わざわざ画面に目線を向けずとも、空中に情報を表示することが可能となったことで、いかにコンパクトかつ薄型で大画面、高処理性能を保つかが課題であった携帯端末機は、今では名刺サイズからリストバンド型にまで小型化されたのであった。


 トシはそうこう現代社会史の授業で出された課題のレポート内容を考えるうちに姫奈と自宅の前にたどり着いた。


「……ってなわけだから。もう一度言うけど、負けるなよトシ」 

「え?あ、うん」


 本屋からの帰り道、姫奈はしきりに何か話していたようだが、あいにくトシの耳は既に明日の休日を迎えていたようだ。


「トシが、もしもさ……ライジング・ノベライズで全国に行けたら……」

「ん?」


 二人とも隣同士で家の玄関を開けようとした時、姫奈がトシを引き止める。


「もし、全国に行けたら……ご褒美として私が付き合ってやるよ」

「付き合うって、どこへ?」


 どさくさ紛れと勢いながら、彼女なりに勇気を出して伝えられた気持ちは合気道の達人の如く受け流される。


「……ば、馬鹿!冗談だよ!何でもないよこの底辺木ていへんぼく!」


 姫奈は駄洒落の効いた罵声を浴びせながら思い切りドアを閉めて家の中へと入って行った。


    ■


「うーん……。これも違うな」


 学校が休みの土曜日の朝。トシは自室で研究を兼ねたタイピングのトレーニングをしていたが、昼を回っても満足いく結果とスタイルに至らず眉をしかめる。何もこれは今日に始まったことではない。


 空中に浮くように映し出されたメニュー画面や文書画面、ホログラム・キーボード。それらの位置や角度を長押しタップで変更する。特にキーボードは文字毎に分離、サイズやカラーを変更させるなど、様々な配列カスタマイズを試みるが良いフォームが見付からない。


 トシは壁に貼られた手書きの『10分内:タイピング目標字数!』の紙に目を向ける。


 小さな文字で書かれた第一目標である100文字を最小に、500文字…1000文字…1500文字と順々に書きなぐられた文字サイズは太く大きくなり、最終目標である5000文字には『GOAL!』と書かれている。しかし無情にも達成を示す赤丸は、第一目標の100文字だけであった。


「ライジング・ノベライズの予選まであと三週間……。このままじゃ厳しいな」


 姫奈や天馬がこの場にいたら、このままどころではないとツッコミを入れられかねない一言だ。端から見れば楽観的か諦めが悪いようにしか思えないかもしれないが、トシの表情に焦りや絶望の色はまったく見えなかった。


 新たなカスタマイズを模索しようとしたその時、部屋のドアを叩く音がした。


    ■


「悪いわねトシ君。お休みの日なのに物置の片付けなんか手伝わせちゃって」

「いいですよ、おばさん。気分転換したいところでしたから」


 こうしてトシが男手として借り出されるのはよくあることだ。野鐘家、相葉家は両親同士の仲も良く、家族ぐるみの付き合いがあった。


「何よ。さっき私が呼びに行った時は露骨に嫌そうな顔したくせに」

「そ、そんなことないよ姫奈」 


 トシは頑なに否定しながら、指示通りに荷物をテキパキと分別した。その手際の良さから、普段コンピューターを扱う時のあの不器用さは微塵も感じさせない。


「それにしても、年代物そうなのがたくさんありますね」

「ほら。一昨年まで家にはお爺ちゃんいたでしょ? あの人、貧乏性だったから何でも残してたのよ」


 処分する物として分類された箱には、AIを搭載したワイヤレスイヤホンやスピーカー、初めてOSが搭載された端末型ウォッチなど。どれも半世紀以上前の骨董品ばかりだ。


 その時代を知らずとも懐かしさを感じさせる物の中に、ふとトシの目を引く物があった。


 埃を被り、アイボリー色にくすんではいるものの、それは黒色で15cm×30cmほどのまな板のような形状をしている。


 初めて見る物だが、見覚え馴染みあるその板をトシは手に取り軽く掃うと、現代でも見かける近接距離型の無線通信規格の名称がアルファベット文字で記されていた。


 角部の丸い、小さな四角の突起の集合体で構成されたその一つをトシは軽く押す。その瞬間 ―


 ッッッッッッッッッッッッ!!!!!!


 指先から伝わるその柔軟とも堅硬とも言える初めての感触。トシの中で分厚い雲を一気に突き抜けて光が拡がるような覚醒が起きた。


「どうしたのトシ? 腰でも痛めた?」


 時が停止したかのように硬直するトシの目前で、姫奈はワイパーのように手を振る。


「……あの、おばさん、これ貰ってもいいですか?」


 我に帰ったトシは、手にした物を差し出して姫奈の母親に訊ねる。


「いいわよ。廃品回収の費用も省けて助かるわ。よかったらついでにそこのジャジャ馬娘もお持ち帰りしてちょうだい」

「いや、これだけでいいんですけど……」

「ちょっ!お母さん何言ってるのよ!って、あんたもあっさり流すな!」


 トシの微塵の動揺も照れも見せない態度に、姫奈は女としての苛立ちと悔しさを見せる。


「姫奈。昨日の約束だけど」

「約束……って?」

「ほら。僕がライジング・ノベライズで全国大会に行けたらって話」

「あ、あれはその……なんだな、効果は男の子限定の“やる気の呪文“って言うか……」


 姫奈は昨日、自分からふった言葉をノーカウントにしようと必死にごまかそうとする。


「その時は付き合ってもらうからね。約束だよ」

「ふへ……?」

 

 予想だにしなかったトシからの半日遅れの返事。周囲の酸素が燃焼されたかのように姫奈の呼吸が止まる。それが本心か冗談か、判断することも言い返すこともできないまま、トシは収穫物を手に家へと帰って行った。


「どうしたの姫奈? 女心でも射抜かれた?」


 時が停止したかのように硬直する娘の目前で、姫奈の母はワイパーのように手を振った。


    ■


『それでは、ただ今よりノベライズを開始します。皆さん。両選手の健闘を祈念して拍手をお願いします』


 事務的なアナウンスから少し間を置いて、雨が降り始めたと思えばすぐに止んだような、まばらな拍手が聞こえてくる。


 トシが最初に思ったのは、自分のリサーチ不足、であった。


 まさか、こんなことになるなんて……。


 今さらどう足掻いても仕方がないが、ギャラリーたちの前で今、ノベライズが始まろうとしていた。だがそれは、ライジング・ノベライズの予選ではない。しかも相手は……


「トシ。逃げずに来たのだけは褒めてやる。だが、遠慮なく叩き潰させてもらうぞ」


 男は眼鏡のズレを直しながら、これまで何度も味あわせた鋭い言葉と眼光をトシに向ける。対峙する相手は、これまでトシにとって49戦、49連敗となるあの一角 天馬である。


ライジング・ノベライズは、全国47のエリアから予選を勝ち抜いたエリア代表選手たちによって行われる。当然、各地方で予選から始まるのだが、各高校から参加できる人数に制限があることをトシは知らなかった。


 希望者が多数の場合は校内選抜が行われるということを今日初めて知ったのだ。いや、正しくは聞き流していた。先日、姫奈は書店の帰り道に説明していたのだ。


『今度の月曜に校内選抜があるけど、天馬と対決するのはトシだったんだな……』と。


 各校からライジング・ノベライズに参加できる人数は、全生徒数や設置された学科など様々な基準に応じて決まる。生徒数が全国平均以上であれば2名。芸術学科など文化方面に注力した学校であれば3名などだ。


 残念ながら普通科のみにして、生徒数が大型自動二輪の排気量にも満たない市立飛陽高校の参加枠は僅か1名。トシは早くも狭き門の前に立たされたのである。


 不幸中の幸いともいうべきか、飛陽高校からの今年の出場希望者はトシと天馬の2名のみ。校内にノベライザーは何人かいれども、二人を除けば皆、遊びか趣味の一環、もしくは公募やWeb小説、同人活動の方に力を入れている者ばかりであった。


 出場を賭けた決戦の放課後。ノベライズに興味はないが、その戦いの様子を一目見ようと、校内の講堂には多くのギャラリーである生徒たちが集まっていた。


 幅10メートルほどの壇上では、トシと天馬が両端で互いにテーブルを陣営に始まりの時を待つ。


『今回はショート・ノベライズとしまして、1ED(エディション)15分の2ED制。5ポイント先取した方の勝ちとします。2ED終了時点で同点の場合は判定……』

「せんせえ~。勝負は1EDで決まると思いますよ~」


 校内では一応はノベライズに詳しく進行役を務める国語教師のマニュアル説明に口を挟む生徒。天馬クラスタのひと言に所々で笑い声がする。トシのノベライズ連敗記録はそれだけ校内でも有名だった。だが本人は微動だしない。逆に天馬の方が舌打ちを鳴らす。


『……続けます。作品の最低文字数は1EDで5000文字以上。そこからレギュレーション解析のアナライズに入り、有効作品、すなわちライズ・ノベルと判定されれば、選手同士のジャッジ・ライズとなります……』


 その場にいる誰もが判定するまでもないと思った。ギャラリーの大半は、トシがいつも見せる惨敗を笑いに来たといえよう。


『……ポイントの発生条件は二つ。ひとつは転送された作品を読んだ相手がどれだけ感銘を受けたか。ふたつ目は、違反や反則等に応じたペナルティによってです。配点は御覧のとおりです』


 進行役がホログラムウィンドウをタップすると、配点の一覧表が映し出される。


ポイント配分

――――――――――――――――――――――――――――――


4P:エクセレント【EX】

素晴らしい作品。とても感動した。凄く面白かった等。


2P:リスペクト【RP】

敬意を表する作品。刺激になった。なかなか面白い等。


1P:ブックマーク【BM】

期待できる作品。続きが気になる。参考になる等。


0P:ノーリアクション【NR】

特に何も感じなかった。面白くなかった等。


相手に3P:センサードアウト【CO】

2ED連続、同じ作品で【NR】が発生した場合。打ち切り扱いとなり相手のポイントとなる。


相手に3P:アンフォームド【UF】

最低文字数に到達していない。物語として成り立っていない。または、誤字脱字が著しく多い場合。相手のポイントとなる。


相手に1~4P:バイオレーション【VL】

規定に反した作品と判定された場合。反則行為が認められた場合。規模に応じて相手のポイントとなる。


――――――――――――――――――――――――――――――


『御覧のルールは主な項目より抜粋して判りやすく要約したものです。詳しいルールに興味がある生徒はこちらにアクセスしてください。それでは両選手ともノベライズの準備ができたら合図をお願いします』


https://kakuyomu.jp/shared_drafts/0GyWA7GhiJWUGkMNq1gSqahUzcDnDXO8


 トシと天馬が立つ壇上の上部の壁面にホログラムコードが投影される。何人かの生徒はそれを読み取ろうと携帯端末を取り出す。


「……俺はとっくに準備完了だ。セット・ライズ」


 ノベライズのルール説明中に既に態勢を整えていた天馬は、待ち侘びるように机に片肘をついて目を閉じていた。


 天馬のホログラム・キーボードは、彼を中心に手が届く範囲に扇型に広がり、藍色を基調に映し出されている。白く配列された文字キーは一見すると無規則でバラバラに見えるが、背景も含めてパノラマ星座図のような神秘さがあった。これがノベライズにおける己の陣形を示すライズ・フィールドだ。


「……僕も準備できてます。セット・ライズ」


 一方、トシ側のライズ・フィールドはというと……打ち込んだ文面を表示する一畳ほどの大きさの画面、しかもデフォルトでクラシックなデザイン一枚のみである。天馬と比べると質素の一語につきる。何よりも入力デバイスであるホログラム・キーボードすら見当たらないのだから。


「なんだあいつ。試合放棄か?」

「あれだろ。 システムエラーですとか言って負けの言い訳にするんじゃね?」

「さっすが底辺ノベライザー。逃げ方まで底辺だな」

「だったら最初から参加なんかするなっつーの」


『そ、それでは、1st.EDのカウントダウンに入ります。レディ・ライズ!』


 皆が口々に侮蔑の言葉を並べ、半ばシラけ気味な割れそうな空気の中で、壇上中央のホログラム掲示板にカウントダウンを示す数字が10から順番に回転しながらのズームアウトを繰り返す。9……8……7……


「トシ……お前ってやつは……」


 天馬は歯を喰いしばりながら、根を張るように足元に力を込める。

 6……5……4……


「……それでも俺の……」


 続けて両手を開き、前方に差し出すように入力体勢をとった。

 3……2……1……


「……それでも俺の……かぁああああああ!」 

『ゴォオオオオ・ライズ!!』


 天馬の怒号を合図に筆戦の火蓋は切って落とされた。

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