ライジング・ノベライザー

鯨武 長之介

敗北など恐れるな。真の敵は諦めることだ。

Episode.1【Starting - Nove(R)ize】

 1-1st. ED ライジング・シード

 書籍化。それは物語を愛する多くの者が一度は夢見る、出版社レーベルという名の称号を冠した創造と空想の結晶。


 筆に覚えのある強者だけがその栄冠を手に掴み、そしてプロの小説家としての第一歩へと踏み出すことが許される。


 自身の感動と存在意義を求める若者たちは、己の筆に命を託し、己の物語を全身全霊でぶつけあう。そんな闘いを人はこう呼ぶ。ノベライズと……!


- 西暦2068年8月 -


「オーバーライズ! ポイント10対9で、勝者……」


 勝負の決着と勝者の名を告げる、審判員の喉を揺るがす叫び声がスタジアム内に響いた。


 一瞬、静寂の後に沸き上がる、加速ゼロから瞬く間に最高速度へと到達する、まさに音速で巻き起こる観客たちの歓声。その渦の中にいた一人の幼い少年が驚き、その身をビクりと震わせる。


「うぉおおおおおおおっっ!!!!!!」

 

 学生服姿の、自分より十歳以上の青少年。戦いの勝者である彼は、肉がちぎれんばかりの勢いで腕をまっすぐに高くかざし、勝利の雄叫びをあげながら涙した。


 その凄まじい感情の塊と大粒の涙を放つのは、彼の対面にいるもう一人の男も同じだった。決戦の舞台、ひとつの光景に流れるその二つの感動の差……それは、勝利か敗北か、それだけのことだった。


 観客席でそれを立ちすくみながら見つめる少年は、幼いながらも初めて、勝利だけではなく、敗北にも価値と誇りの素晴らしさがあることを心のどこかで感じとるのであった。


 このままではいつか鼓膜が破れるのではないか、と言わんばかりの歓声と熱気はいつまでも止まなかった。スタジアム内の空調設備は適温にするべく自動調整を繰り返すが、人々の熱気がそれを追いつかせてくれない。寒くもないのに鳥肌が立つことを覚えた少年は、いつまでもその光景を目に焼き付けるのであった。


 これがあの日、第5回ライジング・ノベライズ決勝戦で見た、少年だった頃の野鐘 昇利のがね まさとしの記憶。


 ─ 物語はそれから十年後より始まる。


    ■


- 西暦2078年6月 -


「オーバーライズ。ポイント10対0で勝者、一角 天馬いずみ てんま


 放課後の学び舎、二年生校舎の一教室から聞こえる、審判役を務める生徒の声。なんとも気の抜けた掛け声だ。それと同時に勝者を指し示した反対側、つまり敗者側では、人の目線ほどの高さに浮かぶ、片手で数えられる個数ほどの約21インチのウインドウ画面が粒子となり、風化を描くようなエフェクトと共に消滅した。


「ははは……やっぱり強いな、天馬は」


 ウインドウ画面を失い立ち尽くす操作者。飛陽高校の二年生である野鐘 昇利は小さく笑いながら言う。


 その内向的ながら人当たりよさそうな顔立ちと、高校生として健康かつ平均的な体格の彼は、青少年らしく整った黒髪を軽く掻きながらその場に立っていた。


「これで49勝0敗だ。トシ、何度も言ったがお前じゃ練習相手にもならん。いい加減に無駄な挑戦……いや、ノベライズはやめたらどうだ」


 トシと対峙する同級生の一角 天馬いずみ てんまは、呆れと蔑みの言葉を投げかけて、眼鏡の位置を直しながら鼻で笑う。インテリで知的なマスクとつり目から滲み出る歪み寄りな性格と口調は、どこかベストマッチにも思える。


 天馬は右腕に巻かれた腕時計型の遺伝子端末セルラブルを操作する。すると、彼の周囲に浮かぶホログラムのメニュー画面やキーボードと共にウインドウ画面、そして傍らにいた、両翼と研ぎ澄まされた藍色の毛並みと銀色の角が伸びるペガサスとユニコーンの姿を併せ持つホログラフィがセルラブルに吸い込まれた。


「懲りずによくやるよな」

「天馬さんにノベライズ挑むなんて百年はぇーぞ」

「さっすが、飛陽ひよう高校ワースト1の底辺ノベライザー」


 天馬を中心とした校内のノベライザーたちが集う“ 天馬クラスタ “の面々が辛辣な言葉を次々とトシに重ねる。それに共感するように、二人の様子を眺めていた他のギャラリーたちもクスクスと嘲笑する。


「やっぱりここにいた。トーシー!!」


 その時、教室のドアが開き、トシの姿を確認するや否や、一人の明朗快活な短髪の女子生徒が入ってきた。


「……姫奈ひなか。調度いいところに保護者が来たな。早くその底辺を連れて帰って自慢の胸で慰めてやれ」

「じ、自慢なんかしたことないだろ!この種馬スケベ!」


 連中の嘲笑はより大きくなる。天馬クラスタの一人が教室に備わった電子黒板に『野鐘 昇利 × 相場 姫奈』の名前とネオンのような輝きを放つエフェクトのハートを電子ペンで描いた。


「や、やめろ!私とトシは家が隣同士なだけの幼馴染みだ!」

「幼稚園の頃から一緒だけどね」


 顔を紅潮させながら親密な関係を否定する姫奈。

 それに反して涼しい笑みながら、誤解を招きかねないフォローを入れるトシ。


 そんな二人の夫婦漫才のようなやり取りに、天馬はため息を吐きながら再び眼鏡の位置を直した。


「トシ、あんたもろくにタイピングもできないのに、何でノベライズなんか続けるのよ」

「でも。今日の対決は【1ED(エディション):10分】だったんだけど、140文字も打てたんだよ。この前は116文字だったし」


 涼しい口調ながらも嬉しそうに今回の成果を告げるトシ。天馬クラスタとギャラリーたちの笑いは本日の最高潮を迎える。そして、天馬が続けるように言い加える。


「……その結果、俺が勝利したわけだが、自分で獲得したポイントは俺が書いた作品評価の4ポイントだけだ。残りの6ポイントは、トシの文字数不足による作品不成立のペナルティ。しかも2ED連続だ。初心者じゃあるまいし、1ED:10分のノベライズだったら、5000文字が最低基準なのは知ってるだろうが。お前は小鳥もさえずるSNS小説の方が向いてるんじゃないのか?」


 そう言いながら天馬は、もはやトシたちを見ることすらせず、セルラブルで自分のノベライズ情報を閲覧していた。


「なにさ天馬。あんただって小学生の頃からずっと私たちと同じ学校なのに、なんで弱い者イジメみたいなノベライズなんかするのよ!」


 姫奈はそう言いながら天馬に指を突き付ける。


「……こんな底辺でも倒せば経験評価の足しくらいにはなるからな。まあ、ノベライズにおいてはそんな数字は飾りみたいなものだが、僅かながら書籍化に繋がる指数にもなる。つまり来る者は拒まず。興味ない者は俺からは絡まずだ。人聞きの悪いことを言うな」


 自分に非はないことを強調した天馬の口調と眼光に姫奈は少し後ろに背を反らす。


「書籍化と言えば、今年ももうすぐライジング・ノベライズのエリア予選ですね。天馬さん今年はきっと全国ですよ」

「なんてたって去年は初出場ながらエリア予選でベスト8でしたもんね」


 クラスタたちのおだてに天馬は、姫奈に向けた以上に鋭い眼光で睨みつけ連中をすくませる。


「なーにがベスト8よ。全国大会ならまだしもエリア予選じゃ自慢にもならないわよ」

「くっ……」


「行くわよトシ。今日は私と本屋に付き合ってくれる約束だったでしょ」


 姫奈は天馬への嫌味を込めた捨て台詞を吐きながら、トシの手を引いて教室を出ようとする。


「じゃあ、また勝負しようね天馬」


 トシは引っ張られながらも天馬の方を向き、軽く手を上げて教室を後にした。


「天馬さん、あいつまた勝負しようって。人をナメるのも……」

「うるさい、黙れっ!!」


 激昂した天馬の勢いある蹴りが、ドゴンッと室内の壁を一瞬揺らす。

 苛立ちの原因は姫奈の嫌味ではない。いつもあれだけ惨めな負け方をして、みんなから馬鹿にされても、悔しがることも卑屈にもならず堂々としているトシの態度が半分。残りの半分は……天馬はその先を考えるのはやめた。


    ■


――――――――――――――――――――――――――――――


 ―― Nove(R)izeノベライズ ―― それは書籍化をはじめ、小説家を夢見る多くの若者たちが足を踏み入れる、無限の可能性を秘めた新たな文芸の軌跡。文学賞……Web小説……自費出版……。それらすべての枠を超えて、己の筆力と物語をぶつけ合い頂点を目指す未来の作家たちを我々はこう呼ぶ。


 ライジング・ノベライザー、と。


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「これ、去年のライジング・ノベライズの決勝戦だよ」


 学校の帰り、街で一番の品揃えを誇る書店内の一角にある『ラ・ノベ』コーナーに投影されたホログラムビジョン。そこから流れる、司会者がノベライズとは何かを淡々と語る映像を見ながらトシは姫奈に説明する。


「今日発売なんだね。去年、優勝した人のデビュー作」


 “第14回ライジング・ノベライズ最優秀選手、堂々デビュー! “ という、定型ながら誰もが羨む売り文句が書かれたポスターが飾られ、そして、帯にも同じ言葉が記された単行本が新刊コーナーの平積み、最前列を連ねる。


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 著書名:邪火邪華ジャカン レーベル:KANAYAMA-BOOK

 作 者:黒須 正宗  イラスト:PIKE


 かつて、カテナス国で一流の腕を持ちながら己を奢り、数々の料理人の未来を葬る愚行に走った朱い眼を持つ料理人のジャカンは、燭虫獨の呪いにより己の命が残り三年であることを宣告される。どんな呪いや病にも効くと言われる伝説を持つ“命の食材“を探し求め諸国を旅をする中で本当の料理と生きる道を見出だすフードファンタジー。

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 人気イラストレータが描いた表紙と挿絵。デザイナーによる上品な装丁。誰もが聞いたことのある出版レーベルが掲げられた勲章。そして作者自身が打ち込んだ物語。それらすべてが織り成し、命と魂が込められた一冊を手に取るトシの表情からは純真な少年のような憧れと希望が窺える。


 書籍の販促プロモーションとして昨年の決勝戦の様子が映し出されていたホログラムビジョンでは、二人の学生が互いにカスタマイズしたホログラム入力デバイスであるライズ・フィールドを用いて、凄まじい速度で文字を打ち込んでいる。そして、何と言っても各々が持つ思想、信念、魂と筆力の化身ともいうべき『ソウル・ライド』が激しい戦いを繰り広げていた。


「いいな。またこのスタジアムの決勝戦に行ってみたいな」


 まるで自分が決勝進出を経験したかのように言うが、トシは小学生の時、家族旅行でライジング・ノベライズの決勝戦を見に行ったという話を姫奈は何度も聞かされていた。


「これほんと、小説で勝負してるなんて思えないわよね」

「ライド……ライジング・シードに搭載されたCTEは年々進化しているからね」


 CTE(クリエーション・トランス・エクスプレジング)とは、今からおよそ20余年前の西暦2056年。コンピューターを用いた操作やプロダクト(制作)の過程をCG、エフェクト、サウンドで立体可視(ホログラフィー)したHR(投影現実)規格である。


 コミック、イラスト、小説、作曲など主にサブカルチャーの分野で爆発的に普及した、その技術を用いた “ 魅せるプロセス ” は、クリエイターの一種のステータスとなり、新たなエレクトロニック・スポーツ文化を生み出した。


「ネットニュースでライドの最新バージョン発表されてたけど、トシはもう更新したの?」

「いや。僕のライドはVer1.2なんだ。特に不便はないし、それにバージョンアップする毎にせっかく馴染んだ操作感覚が無駄になるから……」


 トシは指で頬を掻きながら言う。姫奈は、10分間で100文字程度しかタイピングが出来ないのに経験も馴染むもないのでは、と思った。


「1.2って、ほぼ20年前の初期Verじゃない!? よく今のOSで不具合なく動作するわね」

「特に問題ないよ。色々なバージョンを試したけど、これが一番使いやすいんだ」


【(R)izing Seed】ライジング・シード

 “ 太陽に昇る種子 ”という意味を持つ、CTEの中でも文書作成と編集機能に特化した2058年に開発されたHRソフトウェア(通称ライド)。2078年の現在でバージョンは4.5。入力補整、語彙索引、自動推敲、構成管理などの機能が搭載されており、電子書籍やPODへの組み版などのDTP機能も充実している。


 カスタマイズ性に優れたホログラム入力デバイスにより、ユーザー好みのスタイルで執筆ができる。サポート機能と併せてフル活用することで、10分間の内に5,000文字以上の入力も可能だ。


 現代人のほぼ全世代が所有する、自身のDNAでしか操作認証がされない遺伝子端末機であるセルラブルをはじめ、スマホ、タブレット、ウェアアラブルなどダウンサイジング(小型化)されたPDA機器でも高解像度かつ高速処理でのホログラフィ投影、動作表現が可能である。作成した物語に挿絵や動画をマッチングさせるなど、他のCTEとの互換性も高い。


「トシがノベライズを始めてどれくらいになるっけ?」

「去年の暮れだったから、ちょうど半年かな」


 トシは昔から内向的で自己主張も控えめな男だが、誰から侮辱されようと気にする素振りを見せない。しかし、他人の喜びや悲しみにはいつも共感して、自分自身も嬉しい時は素直に感情をあらわにする。少なくとも他人との衝突やトラブルを自然回避する術と性格は天性のものと言える。


 そんなトシが長年気になっている姫奈だが、正直、トシがノベライズを始めると口にしたときは驚いた。二人とも昔から小説が好きでジャンルを問わず読みあさる方だが執筆までは興味がなかった。


 そんな彼も小学生の頃はよく、あの天馬とも互いに考えた物語をノートに書いては見せあっていた時もあったことを彼女は覚えている。


 二人の仲がすれ違うようになったのはいつからだろう……。

 姫奈はそんな過去を思い返す内にトシはいつの間にか少し離れた、店内にある取扱い書籍の検索と発注を兼ねた機器のモニター、タッチパネルを操作していた。


「何やってんの?」

「うん。ブレイヴ・レジェンズの最新巻が棚になかったから」


 累計部数1000万部超えの人気ファンタジー小説の在庫を確認するトシの入力操作は、百年以上整備されずに自然に晒されたロボットか、はたまた傷だらけで読み込み不良を起こしたディスク媒体の映像のように飛び飛びでぎこちない。


「わざわざ手で打ち込まなくても、音声デバイスでやればいいのに」

「う、うん。でも少しでも入力が早くなるように練習しなきゃ」


 トシのコンピュータ操作。特にタッチパネルやホログラム入力デバイスを用いた打ち込み速度は、健常な現代人とは思えないほど、折り紙付きの遅さだった。姫奈も当然、その不器用さを幼い頃から知っている。


「それにもうすぐ、ライジング・ノベライズも始まるし」

「なるほど。みんなから底辺と言われようとも必死に努力する姿勢、お姉さんはとても感動……ってトシ、あんたライジング・ノベライズに出るつもりなの!?」


 姫奈は思わず口にしてしまった本音を反省するように口元を押さえた。

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