7-3rd. ED 果たされた約束


 人を疑うよりも信じる方があまり疲れない。その代わり、裏切られた時の傷の深さは前者と比べると計り知れない。だが、人が独りで生きられる居場所は限られている気がする。


 随分と代償と罪を背負ってしまったが、世界の広さを思い出させてくれたあの男に今度会う機会があれば何と伝えようか。そんなことを考えていた。


龍兄たつにい。早くしないと決勝戦、終わっちゃうよ!」


 スタジアムの入り口からおよそ数十メートルの所。別れた両親の父方に引き取られた栖雲 透香すぐも とおかは、足踏みをしながら兄の鉤比良 龍彦かぎひら たつひこを急かせる。だが彼は、自分ペースの徒歩を崩そうとしない。


「時間的にまだ2nd.EDが終わる頃だろ。もっとも、違う意味で終わってるかもしれないがな。野鐘の奴はもう大差をつけられて……」

「龍兄ったら、自分から誘っといて、ほんと素直じゃないんだから!」

「とにかく。野鐘が負けるところを笑いに来ただけだ。俺はあいつの偽善面と態度が気に入らないんだよ」


 自分勝手な悪態と嫌味を並べる兄の手を引っ張りながら、栖雲はふくれっ面を見せるが、鉤比良の言うことは半分が嘘だった。


 それにしても、あいつ正気か……。俺はあれだけ酷いことをしたんだぞ?


 あることを思い出しながら引っ張られる鉤比良だったが、栖雲が突然足を止めた反動で、よろめきそうになる。


「どうした。透香。急にとま……」

「凄い声……」


 皇儀……!皇儀……!皇儀……!皇儀……!皇儀……!

 皇儀……!皇儀……!皇儀……!皇儀……!皇儀……!


 スタジアムの入り口近くに来た二人は、外まで響く歓声に立ち止まる。それは、筆聖である皇儀 莱斗を応援して讃えるものだった。


「……だから言っただろう。もう勝負は決まっているんだよ」


 鉤比良は分かり切っていたように、それでもどこか残念そうに言う。


「やっぱり、野鐘さんでも、皇儀さんには敵わないのかな……」

「当たり前だ。野鐘と筆聖じゃ実力は雲泥の差だ」


 自動ドアが開く寸前、鉤比良はその言葉が自身も劣っていることを認める諸刃であることに気付き、右脳にグサリときた。


「…………ん?」

「…………あれ、ここってスタジアムだよね?」


 スタジアムに足を踏み入れた兄妹は、我が目と耳を疑った。今しがた外まで伝わっていた盛り上がりは嘘か幻だったのか。ロビーは静まり返っていた。


 観客たちは皆が、立ちながら、あるいは椅子に座ったまま動きを止めていた。時間が静止したようだった。


「た、龍兄……あれ見てよ」


 中央のディスプレイを指差す栖雲に連れられて、鉤比良はその方向に目を向けると、【8:1】という数字が目に入った。


「やはり皇儀のワンサイドか。最初から結果は見えて……」


 視界を広げてディスプレイの全体を認識した鉤比良は、栖雲とこのノベライズを観戦する全員と同じく、体の動きと思考が停止した。


2nd.ED

【NOGANE:8 ― 1:SUMERAGI】


「あいつ、すげえ……ミステリーでも皇儀から最高得点をもぎ取ったぞ……」


 鉤比良からすれば名前も顔も知らぬ観客。皇儀と一回戦で戦った周信高校の猪里のひと声でロビーに小さなざわめきが起きる。


「おい、きみ……」


 鉤比良は、表の顔で猪里に詳細を訊ねようとしたが、あの準々決勝から、自分は甘いマスクに秘められたニヒルな残虐性を持つ男として話題になりかけていることを思い出す。


 目立つコミュニケーションは取るまいと、鉤比良はスマホからディスプレイの隣にあるホログラム・コードで決勝ノベライズの経過情報を読み取る。


 鉤比良はあることを確かめたい一心で、筆聖の窮地と点差に目もくれず、この2nd.EDの項目だけに関心と操作を走らせる。



2nd.ED 後攻:野鐘 昇利 Turning (R)ize Novel

―――――――――――――――――――――

【異世界転生倶楽部】 ジャンル:学園ミステリー


 どこにでも居る、いたって普通の女子高生の猪誅 快は、電車が迫りくる駅のホームに身を投じようとした同級生、伊勢海 典正を寸でのところで救うも、「あと少しで異世界に行けたのに!」と逆上される。そんな彼を「異世界なんか存在しない!」と力強く説き伏せる猪誅だったが、彼女はある奇怪な出来事に見舞われていた。


 一年ほど前に自殺した友人から定期的に届く、異世界の様子を映した動画や写真が添付されたメール。これは本物なのかと疑う日々を過ごす中で、猪誅は学校に秘密裏に活動する異世界転生倶楽部の存在を知る……。


【EX:エクセレント 4ポイント】

―――――――――――――――――――――


「あいつ、本当に執筆かきやがった……」


 それはエリア予選の準々決勝の翌日のことだった。ライジング・シードを起動した鉤比良の許に一通のメッセージが届いた。送信元は、野鐘 昇利。自分が卑劣な策略でノベライズを陥れようとした相手からだ。


 他愛もない挨拶に交えて『感想を聞かせてほしい』という一文。そして添付されていた電子文書ファイル。


 それは【異世界転生倶楽部】という小説だった。プロットではなくて全文だ。鉤比良は無視しようと思ったが、自分の不正を見逃された借りがある。何よりもトシが書いたミステリーに関心もあった。


 異世界と転生という、50年以上も昔に作品飽和で崩壊した現代においては最も取扱いが難しいと言われる二大懐古ジャンル。その複合テーマを学園とミステリーを通じて、等身大の年代の死生観と青春を上手くミックスした文法と叙述トリックに鉤比良を感心した。


 しかし、やや狙い過ぎた感あるミスリードや仕掛けというには不親切な部分が数箇所みられたので、その箇所を指摘した一文だけを追記して返信した。


 ─『僕に今度、ミステリーの書き方を教えてください』


 あの時、トシの言った言葉は綺麗ごとでも社交事例ではなかったことに鉤比良は戸惑いを覚えた。


「その気になれば、俺はあの作品をWebに公開して、盗作に仕立ててやることだって出来たんだぞ……」


 ─『鉤比良さんのミステリーは、今まで僕が読んできたどのミステリーよりも最高でした』


 不信や恨みはまだ完全には拭えていない。しかし、それ以上に自分を上書きした、“頼りにされた”という感情。


「ふふふ……」

「龍兄。どうしたの? 笑ったりして」


 鉤比良は、不適な笑みながらも、愉悦ではない安らかな雰囲気を醸し出す。


「透香。俺はやっぱり野鐘あいつのことは好きになれそうにない」

「まだそんなこと……」


 そして、続けて言う。


「……だが、あいつの作品は好きになれそうだ」


 ノベライザーたるもの。相手を認められずとも、作品だけは公正な目で評価せよ。先入観は己の可能性を閉ざす。


 トシに対して冷めた存在を口にしながらも、ノベライザーの暗黙の誇りだけは、鉤比良の中で熱く込み上げていたその時だった。


「な、なんだ、ありゃ……」


 誰かの声に知らされるように鉤比良はまばゆい光に気付く。彼だけではない。ロビーにいる全員が突如、ディスプレイに映るノベライズの様子にざわめき始めていた。


「そういえば、野鐘がとんだ番狂わせを見せていたな」

「今ごろなに言ってるの龍兄!8:1だよ?野鐘さんが筆聖を倒して優勝しそうなんだよ?」


 鉤比良が色々と思慮を巡らせる内、いつの間にかトシと皇儀のノベライズの3rd.EDが始まっていた。あまりに静かだったので気が付かなかった。


「……だが、この決勝戦。まだまだ退屈しないようだな」


 目の前に映し出される金色に輝くソウル・ライドの姿に鉤比良の握られた拳に期待とも不安とも言えない感情が篭った。

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