5-3rd. ED ミスディレクター

 ミステリーやサスペンスにおける最良の結末は何か?と聞かれたら、人はどう答えるだろうか。復讐劇を主題とした完全犯罪達成や謎を残したままのリドル・ストーリーもあるが、多くの者は事件の無事解決を一番に挙げることだろう。


 正解は『被害者を出さずに事件を未然に防ぐこと』である。推理物の根底を揺るがす、支離滅裂かつ矛盾した答えだが、誰も死なず、傷つかず、犯行すらないに越したことはない。少なくとも現実においては……。


    ■


 なぜだ……!? 鉤比良かぎひらは苛立ちと焦燥に駆り立てられる。


 トシと鉤比良のノベライズ、3rd.EDも折返しを過ぎた頃、舞台は凄惨を極めていた。


 豪剣士ジークは、中央で三体の劉欺士からの斬撃で身を紅色に染め、トシも時おり、残る一体の無慈悲な一閃で刀の錆となるべく血飛沫を見せる。


 ロビーでは、自校他校の応援を問わず、ある者はそのノベライズの様子とトシの無事を見守り、ある者は目を背けて早く終わることを望んでいた。だが、追い詰められていたのはトシではなく、鉤比良の方だという事に観客は誰も気付いていなかった。


 3rd.EDが始まってからトシのタイピングはこれまでよりも勢いを増していた。決して、がむしゃら、必死ではない。微塵も徒爾を感じさせない軽快な鍵打から発せられる一音一字が、熱い物語を予感させる前奏曲のようだった。


「どうしてあいつの目と執筆にはあんなに生気が満ちているんだ!」


 このEDをこれまで通りの筆力で乗り切れば勝利は目前のはずだ。

 目の前の獲物は疲労、衰弱、空腹で生きる屍と化したはずだ。

 仕組まれた罠と呪いで既に心もボロボロに蝕まれているはずだ。


「もしかして、俺の声が届いてないのか……?」


 鉤比良は自身の抜かりなき計画と疑問を納得させるべく呟いたこの一言が、破綻へのカウントダウンとなる。

 

「届いてるよ。だけど、もう通用はしない……!」


 トシの小声ながらも力強い言葉に鉤比良は執筆の手をピタリと止めた。迂闊と言わんばかりに目を見開き、動揺を見せる。


「最初は驚いたよ。幻聴じゃないかって。まさかあの時、天馬の声紋を採取していたなんてね……」


 トシが言うあの時とは、栖雲と鉤比良がグルになって現れた昨日のことだ。

 

「……そして、合成加工ミキシングした天馬の声をこれに載せた」


 執筆を休めることなく、指とキーボードとのコンビネーションを見せながら、トシは隣で刀を向ける深緑の暗殺者に目を向ける。アサシネスはまるで臆病な感情が芽生えたように、後ろに半歩下がる。


「ソウル・ライドを模ったカスタマイズ型式タイプ。それにホロスピーカーとホロマイク。そしてあとは、僕の耳元で僅かな時間差で天馬の声を立体音声にして流せば、仮想幻聴が出来上がる」


 ホロモデラーとは、自分の意思と操作に完全同調した動きを見せる、バトルに特化したホログラムだ。先日、トシと天馬が下校中に見掛けた子供向けのものから、本格的なプロ用まで、ノベライズとは比較にならないユーザー数を誇るホログラムeスポーツの花形のひとつだ。


 鉤比良は気丈に坦々と続けるトシの推理に体温が失われつつ、冷や汗が流れる。絶対の自信があった計画、強固な鱗は一枚ずつ剥がされる。


「もしかして、残りのソウル・ライドも全部、ホロモデラーなの?」

「ち、違うっ!他の三体のアサシネスは、すべてソウル・ライド……あっ!」


 黙秘という最後の鱗は、鉤比良の自白ぼけつによって剥がれ落ちた。


『おっと!鉤比良選手、執筆が止まってしまいました!何かアクシデントでしょうか!?』


 アナウンスの声に我に返った鉤比良は執筆に戻る。だが、焦りによる力みすぎか、ホログラムキーボードの微弱な静電気に弾かれることなく、指が突き抜けて認識エラーを起こす。


「認めん……認めんぞ!お前は俺たちを信じた時点で負けてるんだ!」


 これまで見せていた優雅な執筆から一転、平静を装いつつも半狂乱となったタイピングは、蜘蛛の巣でもがく蝶のようだった。


「それに、お前の相棒はまだ俺の手中にある。万一、お前が勝つようなことがあれば……」


 鉤比良は大声で叫びたい気持ちを抑えて、切り札と言わんばかりに人質(てんま)を突き付けるが……


《TB》《TB》《tb》《tb》《TB》《Tb》《TB》《てーびー》《TB》《tb》《tb》《tb》《TB》《Tb》《TB》《TB》《Tb》《TB》《TB》《tb》《TB《Tb》《TB》《TB》》《TB》《Tb》《TB》……


『な、なんでしょうか? T……B? 流行りのネットスラングでしょうか?』

「な、なんだこれは……?」

 

 突如、ホールを埋め尽くす、謎の暗号ともいうべき二文字に鉤比良とアナウンスが同時に怪訝の声を挙げる。


「剛池さん、やってくれたんだ……うぉおおおおおおおおお!」


 何の脈絡もなく真底から喜びの叫び声を挙げるトシと、どこかで聞き覚えのある名前に鉤比良は益々の焦りの色を見せる。


「鉤比良さん。切り札は潰えた!あなたにはもう筆力しか頼れる物はない!」


 珍しく自分の形勢を奢るトシを見た鉤比良にまさかの予感がよぎる。そのまさかであった。


 トシは剛池に託していた。もしも天馬を無事に救出できたら、ロビーで観戦する姫奈に、同校の仲間たちに知らせてみんなでメッセージを打ってほしいと。


 TB:天馬無事と。


 ウォオオオオオオオオオ!!!


 これで両者の立場は対等となった。だが、鉤比良にとっては形成逆転に匹敵する危機と言える。寒気とも絶望とも言えない風雪に心身が凍りつく黒幕を差し置いて、トシは歓喜を己の紋心に乗せる。


 咆哮とともに熱を帯びたジークの身体が、痛々しい血の色から元の灼熱色へと変化する。喜びによる不安の血を蒸発させた蘇生の炎だった。


 ジークは鋸斬と鉄槌の形を併せ持つ大剣を床に突き刺す。揺れずとも激震の音を響かせて、至るところから火柱が上がった。


 鉤比良の思考、精神状態と疎通して、既に機能を失う寸前だった四体のアサシネスは、その火柱に素直に包まれて焦塵と化す。トシとジークの情熱の一言一撃は、鉤比良のノベライズ・ハイごと焼き払ったのだった。


『アウト・ライズ!』


 トシにとっては夢のような、鉤比良にとっては悪夢のような3rd.EDは怒涛の展開をもって終わりを迎える。

 

 野鐘あいつに、あの眼鏡以外に仲間がいたとは……!

 鉤比良は自分の調査不足と計画の甘さに怒りを浮かべながら、目で殺すべく眼光をトシに向けるが、まるで読まれていたのか、まっすぐ凛とした瞳を返されてよろめく。


「どうして、仲間の無事ことを二文字にした……? その気になれば、このノベライズを終わらせることだってできるはずだ。それとも後の楽しみか?」


 鉤比良の言うことは、もっともだった。“人質に取られた天馬は無事だ” とコメントを流せば、今ならほぼ現行で不正が発覚してトシの勝利となるのだから。


「それでも僕は、決着はノベライズでつける……!」

「あまちゃん野郎が……ならば、望みどおり後悔させてやる!」


 どうせこのEDですべて終わる。鉤比良はアナライズの間に僅かだが落ち着きを取り戻す。トシの推理に阻まれたライズ・ノベルは半端な部分までしか完成していないが、RP(2ポイント)は獲得できるだろうという確信と目前にした勝利に笑いを浮かべた。

 

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1【MASATOSHI – NOGANE】

字数:18,244 整合率:96% Turning (R)ize Novel release


-【TATSUHIKO –KAGIHIRA】

字数:12,394 整合率:72% reject

Unformed Point:3

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『な!?』


 アナライズが示した結果にトシと鉤比良は同時に声をあげる。それは二人にとって青天の霹靂ともいう事態だった。


『reject:没』『Unformed:未完成』すなわち鉤比良は、ペナルティとしてこのEDでの攻撃権を失うとともにトシに無条件で3ポイントが入る。


【NOGANE: 6―8 :KAGIHIRA】


『……鉤比良選手、ここでまさかのアンフォームドです!ボーダー90%の整合率に大きく届きませんでした!何があったのでしょうか!?』


 アンフォームドとなった原因は鉤比良自身が一番よく理解していた。


 1EDの執筆における、機能を用いた入力字数の許容範囲の境界線を狭義的に、広義的に極限まで見切った増筆技であるグレージング・ライズに鉤比良は失敗したのだ。


 トシの推理と計画破綻の動揺で、コピペと辞書機能の許容境界の見極めを誤った。

 策士、筆に溺れるという因果的な代償を受けた鉤比良は膝をつき、砕けそうな摩擦音を鳴らしながら歯を食いしばる。


『3rd.ED:ジャッジ・ライズ……野鐘 昇利』

『ターニング・ライズ・ノベ……「まだ終わってないぞぉおおお!」


 鉤比良はアナウンスの途中、髪をかき上げながらこれまでは必死に抑えていた激を露わにする。揺さ振られた感情による血の巡りからか、額の十字の傷跡が火山帯のように赤々と浮き出る。


 そうだ。俺は負けない……。あいつらを∴≠@<∞#┳ まではな!


 鉤比良は傷に誓った自らの過去と言葉にならまい決意を思い返す。そして、次のEDで確実にEX(4ポイント)を得て仕留める構成を算段しながら、ノベライザーとしての暗黙の誇りなど構いなしにトシの出来損ないのミステリーに期待した。


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ユートピア連続転生事件 ジャンル:アウトサイド・ミステリー


「はじめまして、真野康子まのやすこです!犯人ではありません!」 元ネタすらわからぬ自己紹介で盛大にスベッた女を見た空木うつぎは、意味を成さない嘆息をつきながら思った。この死にたてホヤホヤの女が俺の相棒なのかと。


 今、天国警察ではひとつの怪事件に翻弄されていた。その名は連続転生魔事件。被害者は皆、次々とその怪人の祓いにより、死後五年は滞在しなければならないこの天国のルールにおいて、強制的に転生させられて"あの世"を去っていた。


 天国=善人の集まりではない死後の世界で巻き起こる”天性”の推理力と直感を持つ新米刑事と死体以上に気持ちが冷めきった元・熱血刑事の凸凹コンビが送る、DEAD OR SURVIVE なオムニバス・ミステリー!


【EX:エクセレント 4ポイント】

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「……こんな……こんなミステリーが……認められるかぁああああ!」


 鉤比良の異論の叫びがホール内に轟くが、心は正直にトシのライズ・ノベルを最高得点で讃えた。


 かつて推理作家が掲げた、ミステリーにおける規則と禁じ手と言われる『V・Dの二十則』そして『Nの十戒』これらの一部を逆手にとったミステリーも存在するが、それを用いる場合は、読者にそれを納得させられるだけの作品の質や作者の実績が求められる。


「……だが、この作品はミステリーの掟を意図的に破り、それをメタにしながらも独自の世界観で新しく組み上げたパスティーシュとして、そして登場人物たちのパーソナリティまで形成されている……」


【NOGANE: 10―8 :KAGIHIRA】


「……そ、そんな……馬鹿な!」


 ディスプレイに映し出された逆転に次ぐ決勝点の目撃者となった鉤比良は自身の頭を潰しかねない圧力で押さえながら身を丸めた。


『オーバー・ライズ! ポイント 10対8で、勝者……野鐘 昇利!』


 ミステリーという物語は、書き手次第で凶器にもなれば狂喜にもなる。


 勝負を捨ててまで勝利に走った男は、僅かなミスと、そして皮肉にも試合を捨てでも勝負にこだわった男の居直ったまでの逆転の発想に敗北を喫した。


    ■


 ライジング・ノベライズが行われるスタジアムには、二つの入口がある。ひとつは、勝者の門出を祝うロビーに通じる正面入口。そして、もう一つは敗者を静かに見送る裏口だ。


 だが、その道のりは勝敗によって決められた訳ではない。死力を尽くしたノベライザーは、誰でも正面入口へと向かい、そこで応援してくれた者たちやメディアに堂々と胸を張って応えればよい。


 それでもあえて裏口から出る者については、何人たりとも追うことや待ち伏せたりしてはならない、『去り行くノベライザーは静かにその筆闘を讃えよ』という暗黙の誇りが存在する。


「……なのに、どうしてお前らがここにいる?」


 通路を経て裏口に続く広間に出た鉤比良は、目の前にいる者たちに声をかける。トシ、天馬、剛池、姫奈の四人は、待ち侘びたと言わんばかりに鉤比良に歩み寄った。


「どうした。俺を殴りにでも来たのか? それとも俺を運営に通報する予告か? まあ、好きにしろ」


 鉤比良は気丈に冷酷な態度を振る舞うが、虚ろな目と憔悴、震えを悟られまいと必死だった。だが、許しは乞うつもりは微塵もない。ミステリーでは時に事件のすべてを暴かれて見苦しい態度を見せる犯人もいるが、鉤比良はそんな無様な姿だけは見せたくなかった。

 

 ……ここからだ。ここからどうするかで、お前のノベライザーとしての真価が問われる。天馬と剛池は、トシの言葉を待っていた。


「僕は……僕は、あなたがやったことを一生忘れない。どう考えても正しいとは思えない。鉤比良さん。いや……栖雲 龍彦すぐも たつひこさん」

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