Episode.3【Reviving - Nove(R)ize】

 3-1st. ED 涼風に乗る歌は誰がために

 河川敷に立つ少女の哀しげな眼差しは、ずっと川に向けられていた。

 耳をすますとケラケラと聞こえてくる水音は、彼女の血と脈の流れに同調していると錯覚しそうなほど、一体化しているように見えた。


 恵みと暑熱をもたらす、7月の陽射しが見守るなか、少女は目を閉じる。瞼に浮かぶ何かを思い返しながら、彼女は手に持っていた花束を川へと放った。


「来年の夏にはきっと……。どうかそれまで」


 再び開かれた哀しげな眼差し。そして、淡々とした朗読のような言葉が季節に似合わぬ涼風に乗る。


    ■


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 WSA(ワード・シェアリング・アナライズド)

 西暦2040年に開発された、コミュニケーション・サポートシステム規格。発信者の音声、文字情報が持つ真意を相手に語弊なく解析して伝達する「言葉足らず」や「言い間違え」を補うシステム。意見の共有化、相互理解を図るための物として世に出たが、逆を言えば馬鹿正直に考えが伝わるリスクの方が大きく、一般・企業向けの普及は失敗に終わる。その技術は後に司法など審問の場での真相究明の技術に活かされた。


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 PSC(パーソナル・シンパシティブル・コネクト)

 西暦2046年。前述のシステムをベースに開発された、ユーザー同士の発信情報を電子化して直接脳に伝えることを可能とした対話システム。その精度はほぼ100%であり、医療分野においては遷延性意識障害しょくぶつにんげんじょうたいの患者への治療などに大きく貢献した。


 しかし、健常者同士が使用することで互いの精神が衝縺(クロストラブル)を起こすことがあり、心的外傷や精神障害に至る過度な共鳴が問題であった。


 一時期、このシステムを悪用した危険思想誘導マインドコントロールによるテロ組織などの危険思想団体の活発化。また、電脳麻薬サイバードラッグ電脳性感サイバーヘルスによる非合法イリーガルが蔓延し、それに伴う殺人傷害や死亡事故が続出。世界的に類を見ないサイバー問題へと発展した。事態を重く見た政府は、各国との協力の下で秘密裏に開発した、凍結プログラムをあらゆる通信回線と電波を駆使して世界中に出回った機器に強制的に埋め込むことで終息したと言われている。


 現在では安全面が強化された改良版が誕生し、リラクゼーション施設や医療機関で国家免状を持った者だけが使用することが許されている。


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「これが、お前のノベライズで起きた現象の正体かもしれん」


 天馬はそう言いながら、空中に映し出された辞典サイトが表示されたホログラム・ウィンドウをトシと姫奈ひなにもよく見えるように長押しタップで拡大した。


「なるほご。たひかに関係ありほうだね」

「まはか、トヒにほんなことが、起きてはなんて……」


 トシと姫奈は真面目な表情で画面の情報を整理する。

 苦労して調べた甲斐があった……と思いたい天馬だったが、アイスを食べながら冷たさで口をすぼめる様子に苛立ちを覚えた。


「姫奈はともかく、トシ。お前はもっと事態を重んじろ 」

「ノベライズで疲れたあとはこのレモン味が沁みるんだよ」

「そうそう。無事に三回戦も突破したことだし、天馬もリラックスしなよ」


 天馬は引き攣るこめかみを押さえるついでに眼鏡の位置を直す。

 三人はスタジアム、ロビーの窓際のテーブル席に座っていた。今日は午前にトシのライジング・ノベライズ、エリア予選の三回戦が行われていたのだ。


 結果は、3rd.EDで10対5のトシの快勝。見事にベスト16、ブロック決勝まで勝ち進んだのだった。


 トシは一回戦、剛池とのノベライズのあと、天馬と姫奈に二回ほど経験した、ノベライズ中に相手の記憶や意識が流れ込んできた現象を話した。


 最初はにわかには信じ難い二人だったが、天馬は自身と間近で見た剛池とのノベライズで、それらしき症状の後に勝負を決するターニング・ライズ・ノベルを書き放ったトシを思えば、自分の世界に入り込んだ痛い妄言でもなさそうだと理解した。


「WSAもPSIも【(R)izing Seed】(ライド)の原型とも言えるからな。これらが何かしら関連してるとしか思えん」

「でも、どうしてトシだけに起きるのかな? そんな症状、他の人にもあったら、ネットで話題になるか、都市伝説くらいにはなってると思うし」


 姫奈の意見は的確だった。ライドが開発されてから15年以上、累計ノベライザーは10万人以上にのぼる。これまでに不具合や欠陥、怪しい裏技や噂こそあれど、トシのようなケースは煙どころか硝煙すら立っていなかった。


「ひとつ考えられるのは、ライドのバージョンだな。トシ、お前が使ってる今のバージョンは確か、ver1.2だったよな?」

「うん。ver2.0以降はGUIがどうも見え辛くて……このバージョンが一番使いやすいんだ」

「今じゃver4.5なのにね。文字入力の補正機能もないのによく使いこなせるなって感心する」


 時代遅れと言っても過言ではない執筆環境だが、入力デバイスがキーボードのみのトシには、あまり関係ない問題ではある。


「まあ、ver1.2と2.0じゃ、同じ味のソースをかけたハンバーグでも豆腐と合挽肉くらい別物だからな。古いバージョンが何かしら作用している可能性は充分にある」

「わ、分かりやすいような、分かりにくいような例えだね」


 天馬の表現にトシは少し姿勢を崩しそうになるが、ここまで調べ上げてくれたこと、協力してくれていることを嬉しく思った。


「正体は分からないが、さしずめ共鳴現象レゾナンス……レゾナ・ライズとでも言ったところだろうか」

「それって発動条件さえ分かればトシが凄く有利じゃん。どんな相手でも読みたい小説が分かるんだし」


 天馬の命名に姫奈は柏手を打つが、そう簡単なものではない。天馬の心中は複雑だった。相手の趣向や求める物語が読めたとしても、それを即興で優れた形で執筆するのは、かなりの筆力と創造力を要する。それに……


「で、でもそれだと……どうしよう……僕……」


 いつも冷静でマイペースなトシの挙動が少し乱れる。

 無理もない。相手の過去や記憶を背負うのは、辛いことの方が多いのではないだろうか。それに最悪は、精神異常をきたすリスクもゼロではないのだから。と、天馬は心配する。


「……まるで異能力者みたいでカッコよくないかな?」


 トシは天馬と姫奈に手の甲を向けて、顔を半分隠しながら何かの運命と影を背負った主人公的な構えを見せる。


 ……心配して損した。やっぱりすべて、こいつの痛い妄言ではないだろうか、と天馬は呆れた。


    ■


「……だが気になるのは、どうして二回戦、三回戦ではレゾナ・ライズが発動しなかったか、だ」


 スタジアムを出てからも、三人は河川橋を歩きながら議論をしていた。とは言っても真面目に考察しているのは天馬だけだ。


 トシは先ほど食したアイスのベタツキの方が気になっているようで、姫奈は自分たちの側を風切り追い越すバイクやオープン・スポーツカーを運転しながら談笑する男女を眺めている。


「トシ。二回戦と三回戦の相手だが、レゾナ・ライズが発動した時との違いに何か心当たりはないか?」


 トシは額に手を当てながら記憶を辿るが、ノベライズ中は勝つか負けるかで常に緊迫しているので、細かいところまで覚えていない。相手のライズ・ノベルに至っては、STIによる仮想記憶で既に消滅しているので、それが発動条件なのだとしたら尚更だ。


「僕も相手もノベライズ・ハイにはなったし……ソウル・ライド同士もぶつかったし……もしかして、ED数に関係が?」


 しかし、それでは天馬とのノベライズでは1st.EDで発動した説明がいかない。天馬は、相手ノベライザーの年齢、ソウル・ライドの特徴、決め台詞の有無など、トシのノベライズを徹底解剖し始めた。


「ね、ねえ。二人ともちょっとあれ見て」


 それから、トシの前日の睡眠時間、その日の食事のメニュー、占いの結果、直近に読んだ小説……。ゲシュタポも舌を巻く捜査手法を見せる天馬と困惑するトシのやり取りを姫奈が止めた。


 トシと天馬は、欄干らんかんに手を置いて橋の下を指差す姫奈とその先を見る。


 5メートルほど下の河川敷から川に向かって静かに歩く黒い服装の女。傍らには脱がれた靴が揃えられており裸足だった。


「ひょっとして自殺……とか!?」

「こ、こんな白昼堂々にありえないだろ!? 」

「急いで止めなきゃ!!」


 口許を奮わせながら笑うしかできないトシ。蒼白の表情を浮かべてそれを認めず拒む天馬。勇壮かつ現実的な判断でいの一番に駆け出す姫奈。その流れと勢いはまさしくホップ、ステップ、ダッシュ。


「……でも、よく考えたらあの川、そんなに深くないよね?」

「入水自殺は水深30センチもあれば充分だ!入浴中の事故と同じだ!」


 トシと天馬は走りながら話す。


「た、確かに。ダザイが心中した川だって浅いもんね!」

「あれは亡くなった、百年以上前に埋め立てられたものだ!当時は傾斜が急な土手で、命日前は豪雨で増水していたとも言われて……」

「あんたら、口を動かす暇があるなら、足を動かしなさいよ!この人間失格コンビ……きゃっ!」


 姫奈は振り返って、自分の彼方後ろで文豪うんちくを並べる鈍足の二人に怒りの声をあげるが、橋を渡り坂道を下る途中で豪快に転げ落ちる。


「姫奈、大丈夫!?」

「急げトシ!姫奈。胸はあとで拾っておいてやる!」

「胸じゃなくて、骨でしょうがぁあああああ!」


 姫奈は絶叫でツッコミを入れるが、その言葉にピクリと反応したのは、既に川の中、数メートル先まで足を運び、ふくらはぎまで浸かっていた女だった。


「あ、あの!遅まったことをしてください!」

「そうだぞ!こんな昼間に死んだら多くの人に醜態を曝すぞ。時間を考えろ!」


 二人は女の右手方向、素人でも何か投げればおよそ命中しそうな距離まで詰めるが、人ひとりの命が掛かった責任感による混乱か、ニュアンスのずれた日本語と説得を披露する。


「そこ……」


 女は二人を拒むように、ゆらりと腕を横に伸ばし、手の平を正面に見せる。そして緩やかな角度で顎を引いて、空を見上げながら返事をした。それに構わず彼女を川から引き離そうと、トシと天馬は一気に駆け寄る。


「くぼんでて、少し深いから気を……」

『え?』


 水面を弾く小さな水しぶきと深沈の音とともに二人の姿が消えた。

 姫奈は起き上がりながら、一瞬、黒き衣の魔女が迫りくる敵を魔法で転移転送トランスファーさせる白昼夢ファンタジーを見た気がした。


 〽 Lalalala - Rurururu la …… Rara - ru - ruru - la ……


 女は何事もなかったように静かに歌い始めた。その虚ろながら微動だしない視線は、川の向こう岸を、この街を、生まれた国を、そして自分の背中まで貫くほどにまっすぐ見据えていた。


「ゴホッ……。火、水、地、風……四大精霊エレメントのフルコースだね」

「ゲホッ……。" 火 "じゃなくて " 陽 " だろ……。夏でよかったな」

「おお……水も滴るいい男……には、ちと遠いわね」


 二人が岸に戻ると同時に合流した姫奈は、健康的で顔立ち整った男子高校生たちが、にずぶ濡れで面に四つん這いになる光景に親指を立てようとしたが、射しは彼らから滴る鼻水やよだれも一緒に輝かせていたので躊躇する。


 歌声は、いつの間にか吹き始めた、暑い季節を忘れさせてくれる涼に乗り舞っていた。


 〽 Lalalala - Ru - rururu-la …… Rara - ru - ruru - la ……


 浅瀬に立つ女は胸に手を当てながら歌いつづける。トシたちはその優しさと哀愁の両方の想いが伝わる子守唄の旋律を眺めていたが、いつの間にか聞き惚れるように静聴していた。

 

 やがて女は歌い終えると、こちらを振り向く。

 細身を包む黒いロングドレスのワンピースにつば広帽子キャペリンハット。引力に導かれるように腰まで伸びた黒真珠のような艶を持つ髪。壮麗な顔と瞳にトシたちの視力が吸い込まれる。


 年齢は三人と同じくらいだろうか。だが、落ち着きと風格がそれを確信させてくれない。


 女はもと来た浅瀬から岸へと戻ると、靴の側に置かれたバッグからタオルを取り出す。膝が見える位置までスカート上げて濡れた足を拭き、黒いタイツを履く様子にトシと天馬は思わず目を背ける。


 どうやら、自ら命を絶ちに来たのではない……? 三人に同じ考えが過ぎるが、どこか不安が拭えないでいた。


「……わたしは今、死ぬわけにはいかないの」


 身支度を整えた女は、淡々と独り言のようにポツリと呟くと、その場を歩き去って行った。誰も何も聞けず、その背中を見送ることしかできなかった。


「あの人、行っちゃった……ね?」


 女が見えなくなった頃、姫奈はみんな何かに化かされていたのではないか?と、急に疑わしく思い、不思議なひと時を二人に確認した。


「あの女、どこかで見た気が……」


 天馬も彼女を幻想のような存在かと疑うも、何か既視感が引っ掛かる。再び吹いた、本来ならば暑熱からの救いとなるはずの涼風に背中を震わせる。


「へっくしょん! 行こうよ。このままじゃ、陽(火)だけじゃなくて、風邪(風)にもなりそうだよ」


 緊張の糸をぶった切る、トシのこじつけ四大精霊エレメントネタに違う意味で寒くなる。トシの謎の現象といい、不思議な女といい、今年の夏は色々な意味で退屈しなさそうだ、と天馬は思った。


    ■


『さあ、ライジング・ノベライズ、エリア予選が始まってから、はや二週間が経過。ジメジメした梅雨もいつの間にか終わり暑い夏が……いや、燃えるような熱い夏に突入しております。本日はいよいよ4回戦にしてブロック決勝の初日。午前の部で既に2人のベスト8入りが決定しております。この午後の部で決勝トーナメント、ベスト8となる次の2人は誰なのか!本日のノベライズ・ガイドも私、芥河 尚樹が務めさせていただきます!』


 トシも天馬も、このホールでのノベライズ前の空気にようやく馴染んできた。心身ともにコンディションはグリーン。特に天馬の表情からは殆ど緊張の色が見られない。何故なら、皇儀 莱斗すめらぎらいとがすでに午前の部で決勝トーナメント進出、ベスト8入りを決めていたからだ。


 まだ組み合わせの全容が明かされていない4回戦、ベスト16において筆聖ひっせいとノベライズとなる可能性があるか否かだけでも、気持ちは大きく異なる。いずれは戦わなければならない相手だが、なるべく強者とは当たりたくない理由は他にもあった。


 ベスト16ともなると、少しずつノベライズの閲覧者も増えてくる。一般人だけではなく、出版社やメディア関係も視野を向ける。


 ライジング・ノベライズの書籍化確約は優勝者のみだが、実際は毎年十人前後、多い年では手足の指数を超えることもある。全国大会以外でも、エリア予選で才能や魅力を見出だされて書籍化したケースも少なからず存在する。要するにノベライズは多いほど、注目される機会も増えるのだ。


『それでは対戦カードの発表です!第1ルームの一組目。まずは飛陽ひよう高校の二年。ホログラム技術と省エネ時代の彼方に消えた文明の機器、キーボードにより才能を開花させた本大会の超注目ルーキー・野鐘 昇利のがね まさとし! 』


 一組目から早速、トシの名前が呼ばれながらノベライズの舞台が姿を現す。


「…………ふぅ」


 トシは落ち着きを通り越して、無我の域に達したように息を吐く。今、この男はどのような心境でノベライズに立っているのだろうか。


 それよりも天馬が引っ掛かるのは、これからは特に勝負の鍵を握るであろう、レゾナ・ライズの有無である。知識、筆力、創造力の優れた強敵ほど、その意識と記憶と共鳴した時のリスクが読めない。


『……そして、スーパー・ルーキーに対するのは、ここまで完全試合ともいうべき偉業を続けるカテリア学園の二年、詩仁 可美うたに ありみ!昨年ベスト8まで進んだ歌姫の登場です!』


 その名前を聞いた瞬間、天馬はこれまでの落ち着きはすべて前払いだったように、一気に焦りと乱れのツケが押し寄せた。


 さすがのトシもここまでかもしれん……。

 ノベライズ開始前から、考えたくないシナリオが天馬の脳裏に描かれる。


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