第4話 しがない社内デザイナーの1日
うちの職場の業務は朝礼からスタートする。課長が全社的な通達事項を連絡した後は、一人一人がその日の業務内容の予定を簡単に述べていく。以上。
ちなみに本日の私の予定は、来年秋に行われる展示会のレギュレーション翻訳と、製品カタログ制作の続き、それに展示会告知のメルマガ配信だ。昨日ようやく完成した国内展示会のちらしも営業部の担当者とうちの課長から最終オーケーが出れば、印刷屋さんにデータを入稿できる。さて、そこまで漕ぎ着けられるかな?
午前中はメールチェックや電話対応、翻訳をしていたらあっという間に時間が過ぎて、お昼休みがやってきた。何度も言いたくないが私には友達がいないので、ランチも食堂の片隅でひっそりと。ふと近くにあったエアコンを見上げると、我が家のメダマンを思い出して背筋が凍った。
昼からは職場会議。会議自体は滞りなく終わったのだけれど、私には不満があった。不満と同時に不安も募っている。
なんとこのタイミングで、同じ部署の谷上(たにがみ)さんが子会社へ出向することが決まったのだ。谷上さんは私以外ではこの部署唯一の女性社員で、かなりデキル先輩である。入社十一年目で二年前に結婚し、今は娘さんを近所の保育園に預けながらフルタイム勤務している。少々性格はキツイけれど、一般常識的なものを持っている方な上、会社の上層部ともなぜかパイプが太いので何かと頼りになるお方だ。
「なんで今なんですか?! 谷上さんは前回の周年行事も経験済みだから、絶対に手放しちゃいけない人材ですよ!」
定時後、隣の席の竹村係長に抗議した。
「でも、副社長のご指名だから僕達にはどうしようもないよ。ほら、副社長は子会社の社長やってるだろ?やっぱり会社の黎明期にはしっかりとした人を入れて、早く軌道に乗せたいんじゃないか?」
副社長か。私も偉い人の名前を出されると何も言えなくなる。それに谷上さんは小さなお子様がいるから、連日深夜残業なんてできないだろう。
「大丈夫。ちゃんと別の部署から人が入ってくるから、谷上さんが一ヶ月かけてしっかり引き継ぎするだろう。ついでにお前の下にも一人入ってくるから楽しみにしとけよ」
私に、後輩ができる……?!
この僅か七人しかいない経営企画部には、私が入社以来一人も新入社員が入ってこなかったばかりか、異動してくる人もいなかった。大学の研究室の同窓会に顔を出せば、同級生はそれぞれの会社の「部下が」「後輩が」と言った話をしているのを羨ましい思いで聞いていたものだが、私にもついにこの時がやってきたのだ!
「こらこら、興奮するな。お前の下に入る人のことはまだオフレコだからな。誰にも言うなよ。それに、入ってくる奴のことはあまり期待するな」
「で、誰なんですか? 中途採用の人? 他部署からの異動ですか?」
「ひーみーつー」
竹村係長はゴツイ右手の人差し指を唇に当てて見せた。これは可愛い女の子だけに許される仕草であって、オッサンがやると気持ち悪いだけ。
いくら尋ねても教えてくれないので、私は翻訳作業に戻った。英語から日本語の変換には時間がかかる。何しろ、私は英語が苦手だ。大学もわざわざ受験科目に英語が含まれていない学科を選んだぐらいだ。でも、こうなることが分かっていたらもっとちゃんと勉強しておいたのに。後悔先に立たず。
気がついたら時計の針は九時を指していた。結局製品カタログの更新作業は全く手をつけられず。代わりに新製品に加わった新機能のロゴ案はいくつか作ったけれど、業務のほとんどは事務的なものだ。これでは社内デザイナーの名が泣くぞ。
今日はコンビニではなく、会社の近くにあるスーパーで値下げしたパンを買ってから電車に乗った。とぼとぼ歩いて部屋に入り、まず電気をつける。次に冷たい空気に身震いしながらエアコンのリモコンをポチリ。
「あ……」
気づいた時には遅かった。
「結恵(ゆえ)、おかえり」
エアコンからにゅるっと飛び出してきたのは黒いモヤと大きな目玉。私、やっぱり学習能力が無いかもしれない。
「寒かっただろう? 私が何か作ってあげようねぇ」
黒いモヤは急激に大きくなったかと思うと、パンッと弾けて霧散した。そして後に残ったのは、一人の人間。
「結恵、冷蔵庫の中も酒しかないじゃないか。こんな生活続けてたら将来元気な子どもが産めないよ」
突如現れたその人は、黒いロングのワンピースを纏った色白で長い黒髪の女性。少し釣り上がった細めの瞳は、神秘的な妖艶さを湛えている。出るところは出て、凹むところはへっこんでるというナイスバディ。詰まるところ、けしからん程に『美女』だった。
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