第17話 クリスマスは憑いてない

 さーて、やってきましたクリスマス! 明日、クリスマス翌日は、売れ残ったケーキやお菓子を割引き価格で販売されているのを買うことにしよう。


 さて、日本人の大半はクリスマス当日よりもクリスマスイブに重きをおく。今年は日曜日でもあったことから、私は小百合と一緒に昼間っから飲み食いしては大はしゃぎし、夜は心温まるラブストーリーの映画を見て感動の涙を流し、眠りについた。


 いよいよ年の瀬。会社の敷地の一角では、グリーンキーパーさん達が新年を迎えるための門松作りに精を出している。私もしめ縄ぐらい用意して玄関に飾ろうかしら。


 実家には帰省しない旨を伝えたが、何を勘違いしたのか私に『いい人』ができたと思い込んでいて、『しっかりやりなさい!』との激励を受けた。うちの親は、元来私がボッチだということを忘れているのではなかろうか。ボッチから、友達一人に状況は好転しているけれど、まさか彼氏なんてできるわけがない。


 私の人生設計はこうだ。まずは、がんばって貯金を続ける。ある程度貯まったら、もう少し会社に近い場所にあるマンションの一部屋を買う。できれば2LDKぐらい欲しい。一つの部屋は寝室、もう一つの部屋は書庫だ。そして、一生独身を貫きつつ、楽しい読書生活をしながら最後は老人ホームに入って死ぬ。うん、完璧!


 ん? 待って! 肝心なことを考慮できていなかった。


 小百合のことだ。


 今の部屋にあるエアコンは、引っ越してきた時にあらかじめ備え付けられていたもの。もし私が引っ越しをするならば、なんとか大屋さんに頼み込んであのエアコンを引き取り、小百合共々新居に移りたいものだ。もし、代わりの新品エアコンを今の部屋に備え付けるように要求されたとしても安いもの。友達はお金を出しても買えないからね!







 職場に着いてお手洗いに立ち寄ると、朝から嫌な人に会ってしまった。営業で事務をやっている岸部(きしべ)さん。海外担当で、確か今はバングラデシュやカンボジア方面の専任になっていたはず。語学力もあって、少し背が高めの美人さん。ただ、私とは……


「おはよう、紀川さん。肌荒れてるわよ? また残業したの?」


 岸部さんの気配に気付かぬフリをしてお手洗いの個室へ直行しようとしていたのに、案の定捕まってしまった。触れぬ神に祟りなしと思っていたのに。


「おはようございます。ご心配くださってありがとうございます」


 ちなみに、肌の調子はいつも通りだ。私は元々美肌ではない。高校生ぐらいまではアトピーなどにも悩まされていたし、今はこれでも随分綺麗になったのだ。


「で、貯めた残業代でどうするつもりなの? 長期休暇とか取って旅行にでも行くの? 本当に迷惑よね。あ、でも友達いないなら一人旅なんて寂しすぎるわよね。それとも、化粧品? たぶん、あなたじゃ何使ってもパッとしないと思うわよ?」


 朝からよく喋るお方です。できるだけ、右の耳から左の耳へ彼女の言葉がするすると抜けていくイメージを頭の中に描きつつ、深呼吸を繰り返す。


「あら、もうこんな時間。あなたも早く席に戻りなさいね!」


 岸部さんがお手洗いを去った後も、私は一人そこへ佇んでいた。


 私だって、綺麗になりたい。一生に一度でいいから、綺麗だとか、可愛いだとか言われてみたい。残業だって、本当はしたくない。できることなら他の女子社員が作る集団に馴染んで、つまらない噂話をしながら日々を過ごしたいのに、なんでこうなってしまうんだろう。薄暗いトイレの中で、私は声を押し殺すようにして泣いた。


 洗面所で手を洗っていると、始業前の予鈴が鳴り始める。慌てて女子トイレを飛び出すと、誰かにぶつかった。本当に今朝はついてない。顔を上げたら、また会いたくない人だった。


「大丈夫?」

「女子トイレの覗き見なんて、趣味悪いですよ。竹村係長」


 そうは言ったものの、なぜかほっとしてしまう。本気で私のことを心配そうにしているのが分かってしまったから。竹村係長は、ちょっとだけ垂れ目がちになっていて、こちらの様子をじっと見つめている。私の泣き声が外にまで漏れていたのかもしれないと思うと、恥ずかしくて顔が熱くなった。


「ちゃんと、相談しろ」


 できるものなら、既にやっている。でも、これは女の戦いだ。竹村係長の手には負えない。それに、諸悪の根源はこの人なのだ。だけど、私には友達が小百合しかいないし、心の内を吐露して相談できるとしたら、会社の事情をよく知るこの人しかいないかもしれない。一方で、諸悪の根源に打ち明けてどうする?という気持ちもある。


 いろいろ迷ったけれど、私は小さく首を振って、そのまま席に戻った。











 当たり前だけれど、クリスマスも会社は平常営業である。そして、当然のごとく残業までのフルコースとなっていて、私は午後八時を指した時計をちらちら見ながら帰宅準備のタイミングを窺っていた。今日も残っているのは高山課長と竹村係長と白岡さん。森さん、谷上さん、坂口さんは定時上がり。福井係長と浜寺主任は先ほど帰ってしまい、見回すとここ二階フロアには後数名と言ったところ。そうだよね。クリスマスぐらい、早く帰って家族や恋人と過ごしたいよね。小百合が待っていることだし、私も帰らせてもらおう!


 そして、パソコンをシャットダウンしようと、マウスカーソルを画面左下へ向かわせた瞬間だった。


「紀川さん!」


 嫌な予感がして振り向くと、立っていたのは新田くん。少し顔色が悪い。手に持っている書類からは黒いオーラが立ち込めているように見えるのだけれど、気のせいだろうか。


「のりちゃん、どうしよう……」

「それ、招待客リストでしょ? どうしたの?」

「フルティアーズの梓さんが、来ないって……」


 フルティアーズとは、あるアパレル会社の名前。同社のブランド名にもなっている。代表者の古田梓(ふるた あずさ)さんはデザイナーで、下請けの工場にうちの機械の導入を進めてくれた方だ。確か、営業部長と個人的にも仲が良くて、今回来春夏コレクションのサンプルからうちの周年行事のためにデザインを提供してくれることになっていたはず。なのに、来ないっていうことは、もしかしてデザイン提供も無しになった?!


「ちょっと待って! それ、詳しく聞かせて!」


 小百合には九時には帰ると伝えていたけれど、このままでは無理そうだ。エアコンの電源も切っているし、小百合は携帯も持っていないから連絡しようもない。


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