第2話 ストーカー疑惑

「やべっ」


 我ながら声がデカすぎた。また薄壁の向こうにいるお隣さんから壁ドンされるかもしれない。そんな呑気なことが頭をよぎってふと冷静になった瞬間、今度は玄関の方からドアを叩く音が聞こえてきた。それは次第に激しくなって、ドアチャイムの音の連打が始まる。ドアノブを無理やり回して開けようとする音まで聞こえてきた。


 部屋にはお化け。外には不審者。これって、絶体絶命の大ピンチ?!


 さて、ここで私の身辺を簡単に振り返ってみよう。両親は飛行機と電車とバスを使わねばならない程遠くに住んでおり、こちらへ来る時には必ず事前に連絡が入る。兄弟もいないし親戚も皆実家近辺に住んでいるので、その筋は無い。そして大変大変心苦しい事実が一つ。


 私には、友達がいない。



 チーン。

 合掌。




 以前は買い物中毒状態で日々ネット通販の品々が宅配で届いていたものだが今は自主規制しているし、借金も無いので取り立ての催促などでもないだろう。


 じゃ、誰?



 私はドアの覗き窓から外の様子を探ろうと思い、玄関に後戻りした。すると……


「紀川(のりかわ)!」


 名前を呼ばれた。この声は、よく知っている。反射的に背筋が伸びたのが良い証拠だ。


「いるんだろ?! 大丈夫か?!」


 私は玄関の鍵を開けた。


「あなたこそ大丈夫ですか? こんな時間に部下の自宅前で暴れるなんて正気の沙汰とは思えません、竹村係長!」








 それから一時間後。目の前には空になった弁当とビールの空き缶。ついでに言えば、先週末買った裂きイカの空袋も転がっている。


「あの、冷凍のポテトでよかったらフライしますけど」

「つまみはもういい」


 空になったと分かっているはずなのに空き缶をグラスの上で逆さにして悲しそうな顔をするのはやめてほしい。酒はもう出してやらないんだ。


 私の貴重な夕飯を勝手に平らげてゲップしているのは、私の直属の上司で竹村光一(たけむらこういち)。入社十三年目の中間管理職で、以前は製造部門にいたらしいが私が入社した時には既に今の職場にいた。


 竹村係長程の歳になると他の同期は全員結婚して家庭を築いているというのに、彼だけは未だに独身だ。確かに見た目は三枚目とは言わなくともお世辞にもカッコイイとは言えない。遠慮なく独身の女の子の家にあがったあげく、ネクタイ緩めて自分の家のリビングに居るかのようにくつろいでいる。飲み食いする姿はガサツなので男臭いというより親父臭い。いくら仕事ができても、これでは売れ残るだろうな。……とは言え、これも明日は我が身か。あまり悪口は並べないでおこう。腐っても毎日お世話になっている上司に変わりないのだから。


「ご馳走さん。結局無事で良かったけれど、ほんとびっくりした。今夜はもうどこへも行くな。ちゃんと戸締りして早く寝るんだぞ」


 できればコンビニ行かせてください。私、誰かさんのせいで腹ペコなんです。と訴えようとしたその時、竹村係長はすっと手を伸ばして傍らに座る私の首筋に手を当てた。


「熱はないな」


 例え相手がオジサンでも、異性に急接近されたあげく触られるとびっくりする。か弱い私は声も出ない。対する竹村係長は、手をしっかりと合わせてから立ち上がると、玄関へ向かった後部屋の中を見渡した。靴を履きながら、さらに一言。


「うん。思った通り」


 それって何のことですか? 部屋が散らかってるってことですか? 部屋干ししていた私の下着に興味を示さないでください。何でそんなに今夜は馴れ馴れしいんですか? いろいろと尋ねたい気持ちはあるが、今夜はもう気力が無い。短く「お疲れ様でした」とだけ言って、係長の背中をドアの手前から見送った。




 さてと。今夜は長くなりそうだ。


 私はゆっくりと後ろを振り返った。エアコンは、問答無用とばかりにずかずか部屋に入ってきた竹村係長に一度電源を落とされたが、季節は冬。再びONになった今は、静かに微風を吐き出して心地よい温度を保ってくれているのだが、問題がある。


「あれはあんたの彼氏かい?」


 電源OFFで一度姿を消したお化けが再び現れたのだ。しかも、竹村係長の目には見えなかった。お陰で私は変人扱いされたし、あんなオジサンが彼氏なんてありえない。


「ちがいます。あれはたぶんストーカーです!」


 だいたい住所を教えたこともないのに、会社の近所に住んでいるはずの人が仕事上がりに『偶然』私の家のそばを通りかかって、私の叫び声がしたからと押しかけてくるなんてありえない。


「そうかい。ああいう怪しいのにはできるだけ関わりあいにならないのが身の為だよ」


 あんたが言うな。LED照明に当たっても消えないお化けさんよ。エアコンの風で吐き出し口から黒いモヤがスカーフみたいに揺れている。その上で踊る一対の目玉は笑っているように見えた。


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