第10話 はじめまして、後輩さん

 月曜は朝から高山課長と竹村係長が副社長の席まで企画書を提出しに行って、プレゼンを行っていた。感触は五分五分といったところ。大きな話なので、ちょうど二日後に控えていた役員会の議題にも取り上げられることになった。私は早く結果が知りたくてやきもきしながらも、周年行事の準備を少しずつ進め始めた。


 まず、お客様の宿泊の手配。太っ腹なうちの会社は、遠方からお越しになるお客様の宿泊費まで負担するのだ。最近は海外のお客様が増えているので、小さなベッドしかない安いホテルというわけにもいかない。駅前にあるグレードがお高めのホテルに電話して空室状況を確認し、支配人と実務担当してくださる方との面会も決めた。私の前の席に座る谷上さんによると、夫婦で招待するならば日本人はツインが喜ばれるけれど、海外のお客様ならダブルの方が良い場合もあるとのこと。まだ営業から招待客リストがほとんど上がってきていない今、どんなお部屋をどれだけ押さえておけば事足りるのか分からず悩んでしまう。


 谷上さんは、早速引き継ぎを始めていた。新たに異動してきたのは坂口さんという方で、これまでずっと物流部の事務をしていた入社十一年目の女性。ハキハキしゃべる朗らかな方で、私とも相性は悪くない。


 それにしても、私の『後輩さん』はいつやってくるのだろうか。この忙しい時期に人手が増えるのはありがたいけれど、私の業務は特殊な内容も含まれるため教育に時間がかかる。できれば早めに寄越してほしいものだ。


「紀川!」

「……はい?!」

「何度も呼んでるのに気づかないな。ぼーっとするなよ」


 いえいえ、私は真剣にまだ見ぬ後輩さんへの教育カリキュラムについて思いを馳せていたのです。と、ため息をついた竹村係長の隣へ視線をずらすと、製造部門の制服である作業服に身を包んだ女の子が一人立っていた。


「光一くん、この人が私の先輩になるんですかぁ?」


 明るめの茶色の髪はピンクのシュシュでまとめられていて、毛先は丁寧にコテで巻かれている。化粧バッチリでいかにも小悪魔な雰囲気の彼女は、プッと頬を膨らませていた。


 嘘でしょ? 確かに期待はするなと言われていたけれど、私はこの手の子が大の苦手なのだ。


「こら、会社ではちゃんと役職名で呼びなさい。紀川、こちらは森雪乃(もり ゆきの)。開発の森課長の妹さんだ」

「よろしくお願いしまーす!」


 こちらこそ、どうぞお手柔らかにお願い致します。頼むから、その長いつけまつ毛をパチパチさせて威嚇するのはやめてくれ。そして、あんたは竹村係長の何なんだ?





 私の疑問はすぐに解決した。急場しのぎで私と竹村係長のデスク間に森さんのスペースを確保する。私は、余っていた文房具や必要そうな小物を総務部から拝借してきて彼女の机にセットした。その間、ずっとおしゃべりが続いていたのだ。最近、お口がよく回る人とよく出会う気がする。もちろんその筆頭は小百合。


「だからね、光一くんとはずっと仲良しなの! お兄ちゃんの友達はよくうちに来るのよ。分かった?」


 最近は親子や同僚でも気安く喋ることが流行っているらしいが、私は古い人間なので融通が利かない。それに、こういうことは初めが肝心だと思うのだ。


「森さん? ここは製造部門ではなくて経営企画部です。外部のお客様や取引先、メディアの方からも電話が入るんだから、目上の人にそんな言葉遣いしかできないようでは先が思いやられます!」


 森さんは、一瞬ポカンとした顔をした。


「そっか、紀川さんってそう言えば目上だったんだ! なんか背も低いし化粧も薄いし、中学生が無理やり働いてるみたいに見えるんですよね」


 こいつ、いっぺん殴ったろか。でも、ちょっとだけ丁寧語使ってたから許してあげる。人を叱ったり注意するのはなかなかに疲れるものだ。嫌われたらどうしよう? 話をきちんと聞いてくれなかったらどうしよう? 腹いせに有りもしない変な噂を流されたらどうしよう? 本当に心配事は尽きない。


 その後は簡単な事務作業から教えていった。何しろ森さんは、入社してからこの三年間、機械の組み立てしかやったことがない。電動ドライバーはマスターしていても事務方のいろははまるで知らないのだ。でも仕事の覚えは早いし、今社内にいる人材の中では、まだ美的センスがマシとの評価からここへ異動してきた彼女。人事の目が確かだったかどうかは、これから明らかになっていくだろう。


 そして三日後、竹村係長と休み返上で作り上げた企画書は無事に役員会でも承認が降りて、正式に採用されることになった。万歳! と達成感に浸る時間は全くない。竹村係長は早速共同展示する会社様へ出かけたり、設営業者やイベント全体の企画会社の選定に入っている。私は招待状や、当日配布するカタログの制作にとりかかった。一方、森さんは……


「のりちゃん先輩! いつになったら、デザインさせてくれるんですか?!」


 どうやら、業界情報の習得やソフトの使い方講習が始まったばかりなのに、もう飽きてきたらしい。


 やれやれ。

 あのね、何でも基礎が大事なのだよ? それに、デザイン業務を舐められちゃ困ります。



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