第9話 ビジョンを描く

「馬鹿だなぁ」


 呆れた顔の竹村係長は、なんと展示会場内にいた。私がいた西三ホールのお隣にある西二ホール。こちらは、航空宇宙関連の出展者が多いゾーンだ。竹村係長に言われて初めて気づいたのだが、この展示会の出展者は、うちのお客様になりうる会社がいっぱい。彼はサボっていたのではなく、ちゃんと営業と情報収集のために働いていたのだった。


「そんなに競合ブースで隠密行動するのが嫌なら、いっそのこと正々堂々と身元を明かしてから乗り込めば良かったんだ。全ての情報は出してくれないだろうけれど、定番機種のカタログもらったり、世間話程度の近況ぐらいなら聞けたはずだよ」


 そんな方法があるなら、初めから教えてほしかった。私は慣れないことをしたおかげで怒る元気も起こらない。




 帰り道も高速だった。地面に吸い付くように滑る車。私は手持ち無沙汰なのでシートベルトを伸ばしたり縮めたりして暇を弄んでいた。竹村係長とは、ここ数週間程で急に親密になった気がする。でも、彼のプライベートなんてほとんど知らない。会社の近所に住んでいることと、お酒に強いことぐらい。だから、何を話せばいいのか分からないのだ。


「どうだった?」


 竹村係長から唐突な質問。きっと私と同じく、この沈黙にいたたまれなくなったのだろう。


「さっきのですか? 展示会なんて参加するの初めてでしたから、素直に面白かったですよ」


 竹村係長は、スマートなハンドルさばきで前をゆっくり走る車を一台追い越した。運転する横顔はふっと緩む。


「来年は出したいな」

「そうですね。開発の皆さんもがんばってますし、あそこに出せるぐらいの技術をつけたいですよね」

「うちはまだ先端材料の分野の顧客をほとんどもっていない。でもこれは、他の国内裁断機メーカーも似たようなものだ。これからは、どこが一番早く新しいパイを食っていくかの勝負だな」


 真面目な話をしている人って、二、三割増でイケメンに見える。いかんいかん、そんな幻影に惑わされてはいけない。このオジサンは私を誘拐よろしく見本市会場へ連れ去ったあげく、タダ働きまでさせた悪魔なんだ! それにしても……


「竹村係長って、なんで営業みたいな仕事もしてるんですか?」

「紀川(のりかわ)」

「はい?」

「うちの部署の名前、言ってみろ」

「経営企画部ですけど、何か?」

「経営企画部だからだよ。いろんな部署の間で板挟みになって、ペコペコ頭下げて、いつも冷や飯ばっか食ってるのはもう辞めた。どうやったら今の状況を打開できるのか、真剣に考えないと……」

「考えないと……?」


 その沈黙が答えだ。平社員の私でも分かっている。うちは、このままでは売上が頭打ちだけで終わらない。次々に入ってくる新規参入メーカーの存在、一度導入したらなかなか買い換えることのない製品を販売しているんだということ、社内には保守的な人ばかりだということ。会社が傾く時って、一気に崩れると聞いたこともある。このままでは……『肩たたき』が行われて私も身の振り方を考えねばならなくなるだろう。


「だから、皆でビジョンを持たなければならないと思う。どうしたら今より良くなるのか、一人一人が考えたらきっと大きな力になるはず」


 そういえば、うちの部署って妙に愛社精神が強いというか、熱い人が多いのだ。この人も例外ではなかった。


「ビジョンですか。でも私みたいな平社員にはピンと来ないんですよね」

「紀川は今年五年目だよな? じゃ、次の五年は何したい? 五年後には、どんな自分になっていたい?」

「そうですね……。所謂デザイン事務所の人みたいに、きちんとしたデザインをやりたいです。私って、教えてもらえるのは白岡さんだけだし、井の中の蛙なんですよね。それをどうにかして脱皮したいです。もっといろんな業界の雑誌とか新聞とかに自分の作った広告とかをババーン!っと載せられたらいいなぁ、とかですかね」


 あれ、私も語り始めたら長くなってしまった。なんだかんだで会社に貢献したいなと思ってしまう私って、所謂『社畜』の域に足を踏み入れてしまっているのではないだろうか。くっ、不覚。


 竹村係長は、「だったら広告掲載の予算、しっかり取らなきゃな」と言って笑顔になった。







「ただいま」


 帰宅したのは夕方五時。今夜こそゴロゴロしようと思いつつ、パンプスを脱ぐ。手探りで部屋の証明スイッチを探り当て、点灯。次はエアコンのリモコンだ。


『ピッ』



「ん……、あれ?」


 エアコンの電源を入れた瞬間、違和感があった。



 そうだ。小百合だ。

 小百合は……どこ?



 見上げると、エアコンの吐き出し口から、微かに黒いモヤがあるのが見えた。目玉は無い。


「嘘。……嘘でしょ?! 小百合! 小百合!!」


 そう言えば、今日も朝から仕事が忙しかったし、午後からも竹村係長と話してばかりで小百合のことなんて全く気にかけていなかった。まさか、成仏して消えかけているのだろうか?!




 私には、友達がいない。毎日仕事して、最低限の家事をして、たまに趣味の読書をして。その単調な繰り返しがどこまでも続いていきそうだった私の日常を良くも悪くも壊してくれた存在が小百合だ。




 私の、大人になってから初めてできた、友達。




 じわっと視界が滲んだ。その時。



「何めそめそしてるんだい。前に言っただろう? 友達っていうのはね、お互いに存在をちゃんと意識をして大切にしていかないと、いつの間にか消えていなくなっちゃうものなのさ」


 俯いていた顔をあげると、そこには仁王立ちの小百合がいた。ちゃんと、人型だった。黒いモヤじゃない。


「小百合……ごめん」

「私は甘いものが食べたいねぇ」

「はいはい。今からすぐそこにあるケーキ屋さんでとびっきり美味しいの買ってきてあげる!」

「よく分かってるじゃないか」


 私はもう一度パンプスを履くと、足取り軽く外へ出た。

 家に帰ると誰かがいるって良いものだ。それが気の合う友達で、一緒に怒ったり笑ったり飲み食いしたりできるのは、たぶんきっと、とっても幸せなことなのだ。


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