第8話 やってきました、見本市!

 見本市会場は多くの人でごった返していた。もしヒールを履いていなければ、人混みに埋もれて息ができなくなっていたかもしれない。人の流れは遅く、あちらこちらで商談らしきものをしているのが見える。入口で竹村係長から受け取った無料招待券を手渡し、運良く財布に入れてあった名刺を入場者証にセットする。早速、受付で渡された出展者リストに目を通し始めた。


 私が今訪れている先端材料技術展は、炭素繊維強化プラスチック、通称CFRPなどの複合材等、先端材料の製造加工、検査、研究開発、活用事例などに関する見本市。先端材料は、従来から存在している素材よりも軽量なのに強度があるなど、優れた特徴をもっている。近頃は車やレジャー関連など様々な分野で活用されているようだ。午前中、他社の情報まとめした時にもこの『先端材料』のキーワードは出てきた。うちのような産業機械メーカーにとっても、今最も旬なテーマのうちの一つだ。では、なぜ我が梅蜜機械が出展していないのかというと……


「うちの機械は、まだまだ改良が必要だからな」


 悔しそうに目を細めた竹村係長の視線の先には、見慣れた競合メーカーのロゴ看板があった。


「あそこ行くんですか?」

「あぁ。僕はほかの展示会によく参加していて顔が割れているから、紀川(のりかわ)、お前が行ってこい!」

「はい?!」

「お前はいつも裏方で、展示会の受付にも立ったこともないし、誰も顔を知らないだろう? どっかの会社の事務の女の子だって思われて、絶対に警戒されないだろうし、ちょうどいい」


 えー。それってつまり、スパイじゃないですか! 私にそんな大それたことができるのだろうか。敵情視察するぐらいなら、まだ普通のデートの方がマシだった。


「たまには客の気分を味わうのも勉強になるぞ。それに、後で家まで送ってやるから。な?」


 な?の意味が分からない。


「当然です! 女の子を送っていくなんて義務ですよ?!」


 と文句を言ったものの、引き受けた限りは私もしっかり仕事します。うちの会社名を見られないように入場者証をコートの内側に差し込むと、人の波をかき分けて、そこそこ賑わっている目的の展示ブースへ向かって歩いて行った。製品名が大きな看板になっていて強い照明が当てられている。壁際では会社紹介のビデオも流されていて、受付にいる人当たりの良さそうなお兄さんはお客にカタログを渡していた。名刺交換している人々を横目で見ながら、さりげなく奥へと進んでいく。私はこういった展示会で掲示するポスターやポップを作ることもあるので、他社がどんなものを使っているのかは興味があるのだ。


 うーん。

 正直ダサかった。


 ブース内にいる営業マンには皆お客がついていたので、客のふりをして話しかけることも叶わず、次なる目的地へ向けて移動する。


 お次は海外メーカー。とは言え、ブース内にいるのは日本法人の社員さんなので飛び交う言葉は日本語だ。国内企業のように昭和の香りのする垢抜けないデザインは一切無い。あらゆる物が会社のイメージカラーである赤と黒に統一されていて、展示機のプロダクトデザイン一つとっても『カッコイイ』と思える。でもここのは、うちの機械よりは遥かに大きいので、国内の小さな工場には導入できないだろうけどね。その時、急にブース内でアナウンスが始まった。


「皆様、こんにちは。本日はお越しくださいまして誠にありがとうございます。只今から、新機種………」


 どうやら本展示会の出展機の目玉がデモンストレーションで紹介されるようだ。綺麗な声の若いお姉さん(ちなみに外見も綺麗だった)が、流れるような所作で操作しながら機械を動かしていく。


 布地を何枚も綺麗に重ねることができる延反機というものから、裁断機に生地が移されて、いよいよスタート! 機構としてはうちとほぼ同じ。裁断ヘッドと呼ばれるものが、裁断ベッドの上を縦横無尽に駆け巡り、あっという間に完了。こんなに厚みのあるものを図面通り正確に高速で切ってしまうなんて、何度見ても爽快だ。裁断スピードはうちの機械と同じぐらいか。


 デモンストレーションが終わると、すぐさま近くにいた営業マンをキャッチ。会社の名前は明かさずに「裁断機の導入を検討していて情報収集しに来たんですけど」といった体をとる。対応してくださったオジサンは気の毒なことにまんまと私に騙されて、名刺と一緒にカタログを渡してくれた。おそらく、ちゃんとしたデザイン事務所に外注して作ったと思われる厚めの冊子。さすがと感じると同時に、ついつい闘争心を燃やしてしまう。そんな私の心なんて読めるはずもないオジサンは、熱烈な製品アピールを始めてしまった。しかも、説明が長くてなかなか解放してくれない。私は連れが待っているから(これは嘘ではない)と言って頭を下げると、逃げるようにしてそのブースを後にした。


 そんな感じで合計四箇所のブースを渡り歩いた頃には、すっかりヘトヘト。うちのような裁断機メーカーがこの業界へ進出し始めたのはまだ歴史が浅いので、回らねばならない会社はこれで以上だ。私は掻き集めた他社カタログですっかり重くなった鞄の中から、スマホをよいしょと取り出した。


「お疲れ様ですー。今どこにいるんですか? え? はい、ちゃんと回ってきましたよ。あ、そうなんですか。分かりました」


 竹村係長は意外な場所にいた。てっきり、併設のレストランか売店で珈琲を飲んでいると思っていたのに。


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