第24話 お腹が空いた

 こんな時は、とりあえず落ち着くに限る。私は机の引き出しからミルクティ味のキャンディを取り出して口の中に放り込んだ。


「よし、まずはこっちから」


 私は宿題その一から向き合うことにした。改めて、予算表に目を通す。竹村係長や白岡さんが管轄する企画会社や設営会社関連、高山課長管轄のディナーパーティ関係以外のものというと、後はお客様の宿泊交通費、スタッフ関連の費用や消耗品関連の費用となる。私が切り崩していくとなると、このその他の部分だ。


 まず、交通費について。当日は会場と会社、最寄り駅の間を二台のバスがお客様やスタッスをピストン輸送するちなみに相手はこの地域で幅を利かせている大きな交通会社だ。多少の融通は利かせくれるだろうけれど、既に法人割引価格が適用された後なので、これ以上の値下げは厳しいだろう。


 次に宿泊費。先日、使うことになったホテル側が当社へ挨拶に来てくれたので、打ち合わせを行った。どんなお部屋をどれだけ取り押さえるのかに加えて、宿泊者リストは毎日更新して共有すること、あらかじめ各部屋の冷蔵庫に入っている飲み物はタダにしてもらう、ルームサービスについてはお客様負担とするなど、細かな取り決めを行った。他には、アーリーチェックインの費用の交渉などもあったっけ。値段はいちげん様よりもやや安い程度だが、他の便宜は十分に図ってくれているのでこれ以上の無理は言い難い。


 そしてスタッフ関連の費用。当日は、お客様を誘導したりする案内係、受付のスタッフなど人手がたくさんいるので、その道のプロを派遣会社経由で手配することになっている。だけど、『人件費』というものはかなり高くつく。しかも、社員ではないので当社についての知識が皆無なため、事前の基礎的な教育も必要だ。


 これ、どうにかできないかしら。


 例えば、派遣スタッフを廃止して、当社の役職者をスタッフとして起用するのだ。そうすれば、一般常識があって当社について詳しい人が直接お客様対応に当たることができる。しかも、役職者は毎月一定の手当が支給されている代わりに時間外手当が出ないので、多少の残業や事前準備の休日出勤が発生しても会社から出ていくお金は随分と抑えることができるのだ。


 もしこれが採用されたら、ブーイングの嵐だろうな。

 でも、画期的な経費削減方法だと思う。上申してみよう。


 次に、消耗品関連だ。これは、新しい物品の購入費用をイベント関連費用として計上する場合に必ず見積もり段階から経営企画部へ話を通してもらうこととして、無駄な出費がないかしっかりと目を光らせるしかないだろう。前回の周年行事の費用リストの詳細を眺めてみると、ほんとに行事に必要だったの?と思えるものもチラホラ見つけてしまった。おそらく、ドサクサに紛れて別用途の消耗品まで買ってしまったのだろう。今回はそうは行かないぞ!


 私は、ふとパソコンのキーボードを叩く手を止めた。自然と小さなため息が漏れる。


「お腹すいたな」


 夕方四時になった。オヤツには遅く、夕飯には早すぎる時間帯。新年早々頭を使ったからか、糖分も不足しているような気がする。でも運悪くキャンディのストックは切れてしまっていた。その時。


 ぐーーーきゅるきゅるきゅる



「紀川、うるさいぞ」


 隣の席から野次が飛ぶ。竹村係長だって、たまに腹の虫を鳴かせているくせに。


「生理現象だから、仕方ないんです!」


 確かに、音は大きかったのだ。森さんは肩を小刻みに揺らしている。そこまで我慢するならば、ちゃんと笑えばいいのに!


「紀川、予算の件は進んでるか?」

「えぇ、まぁ、多少は」

「歯切れ悪いな」

「ちゃんとやってますって」


 竹村係長を適当にあしらいつつ、私の頭の中にはいくつかの単語が同時にプカプカと浮かび上がってきた。『予算』『空腹』『食べたい』……何を食べる?



 そうだ!

 弁当だ!



 早速、私はある場所に電話をかける。アポは取れた。



「竹村係長! 私、今からイベントの時にスタッフさんに配るお弁当の仕出し屋さんへ行ってきます! 他の費用の考察については、たった今メールを送信しておいたので確認しておいてくださいね!!」


 私はコートを引っつかむと、意気揚々と会社を飛び出した。目的の仕出し屋さんは、会社から徒歩十分のところにある。地元密着型で家族経営の小さなお店だ。






 この仕出し屋さんは配達専門で、今どきのイートインスペースなんて洒落たものはない。元々工場だったのか、コンクリートむき出しの壁に青いシンプル軒がちょこんっと申し訳程度についていて、入口には大きな暖簾がかかっていた。


「ごめんください」


 暖簾をくぐって、引き戸を開ける。目の前には少し高さのある白いカウンターがあって、その向こうは厨房になっているようだ。


「いらっしゃい。どちらさん? ご予約の方かな?」


 出てきたのは白い割烹着を着たほぼ坊主のオジサン。竹村係長から事前に聞いている情報を総合すると、おそらく彼がこの店の御主人だ。チラリと見えている複雑な柄の赤いネクタイがなんとも似合っていない、薄い顔のお方である。


「は、はい。お忙しいところ失礼致します。私、先程お電話させていただいた梅蜜機械の紀川と申します。お世話になっております。先日、連絡させていただいた今年四月中旬の予約について、お話させていただきに参りました」

「なんだ、そのことか。今夜の分を買いに来るのかと思ったよ」


 新たな注文ではないのに忙しい時間に押しかけてしまったことを詫びようとした瞬間。私のお腹からはなんとも間抜けな音が飛び出した。


 ぐーーーきゅるきゅるきゅる


 赤くなって俯く私。何でこんな大切なな時にお腹が鳴ってしまったのだろう。たぶん、厨房から漂ってくる香りにお腹が反応してしまったのだろう。店の御主人は、笑いを堪えるように顔をくしゃりとさせると、一度カウンターの向こうの厨房に戻り、何か手に持って戻ってきた。


「見ての通り、今夜の分の配達前で大変なんだよ。これでも食ってちょっと待ってな」


 渡されたのは弁当だ。蓋が閉じられているにも関わらず、食欲をそそる香りが立ち上って、またお腹を鳴らしてしまった。


 それでは遠慮なく……


「いただきます!」


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