第33話 心配になるぐらい綺麗

 森さんが用意してくれたのは、ワインレッドのドレス。少しクラシカルなデザインで、肌触りの良いベルベット生地は冬のパーティーに向かう大人の装いとしてぴったり。鎖骨が綺麗に見えるように、胸元は絶妙な開き具合になっている。スカート部分の長さは膝丈。これならば振袖を着た時のように足さばきに困ることもないだろう。袖は短めなので、肘まである長いグローブまで準備してくれた。イミテーションの真珠が連なるようにして並んでいて、ラグジュアリー感がある。


 髪はアップにセットしてくれた。私は髪が短いのに、後頭部少し低めの位置をふんわりと盛り上げて美しいフォルムに整えられている。サイドは編み込みになっているし、森さんは美容師も兼業できるんじゃないかと思ってしまう程の完成度だ。


 そしてメイク! 特にこれが神がかっていた。私は毎日のメイクには五分もかけていないが、今日はなんと二十分。どんな厚塗りをされたのだろうと戦々恐々としていたが、鏡に映った私は女優並みだった。これ、嘘じゃない。自分のことを持ち上げようと、自らお世辞を言っているわけでもない。とにかく完全別人だと言っても過言ではないぐらいの化け具合なのだ。


 恥ずかしがって頬を赤らめたかのようなナチュラルなピンクのチーク。目が芸術的なまでにゴージャスに見えるアイライナーの縁取りとアイシャドウ。未だかつてつけたことのないようなレッド系のルージュ。


 我ながら鏡の向こうを見つめてポーっとなってしまったのは、私がナルシストというわけではなく、誰でもこんな変化が起きれば同じことをしてしまうと思う。


「のりちゃん先輩、私の見込み通り……いえ、見込み以上の化けっぷりです! これで竹村係長にアタックしたら、今度こそイけると思います!!」


 ヘアメイクアーティスト雪乃は、大変満足げだ。でも、一つ不安が。この私の姿を見て、誰も私だと気づかなかったらどうしよう。とりあえず、自席のパソコンの電源を落とすのを忘れていたこともあり、私は一度更衣室から職場に戻ることにした。森さんは仕上げとばかりに、黒のカシミヤコートを私の背中にかけてくれる。今回の衣装は全て森さんと森さんのお姉さんの私物だそうだ。決して汚したり傷つけたりしないよう、細心の注意を払わねば。







 何気なく、本社二階の重い鉄扉を開く。足元に広がる若干古ぼけたグレーの絨毯の上を艶々に磨きあげられたヒールの高い靴で踏みしめて進む。どことなく場の空気に違和感があり、周囲をさりげなく見渡した。


 静かに広がるどよめき。視界いっぱいに広がる勤務中の男女は、総じて低い音を発し、目をいっぱいに見開いている。確かにこんなオフィスでドレスアップした人がいると悪目立ちするかもしれない。それに、いつもの私の姿とは天と地程も差があるので、やっぱりどこか変なのかもしれない。そう思って俯きかけた時、背中をポンっと叩く人がいた。


「のりちゃん先輩。今夜の先輩はとっても綺麗でキュートです。だから自信を持ってください。ほら、もう一人の主役が現れましたよ!」


 再び鉄扉が開いて入ってきたのは紳士……ではなく、竹村係長。何これ。私は自分のことを棚上げして、その豹変ぶりに見入ってしまった。


 以前、休日出勤の時なんて、今と同じ場所にジャージで立っていたはずだ。寝癖がとれないまま出勤していることもあるし、着ているスーツもどことなく古臭くオジサン的でパッとしない。視線を上に向けて話す癖があって、それだけに私と会話している時は見下ろされている感が強く、感じが悪いことも多々。なのに今はどうだ。きっちりオーダーして作ったと分かる身体にぴたりと沿ったスーツで、いかにも高級そうな生地のもの。ネクタイもシルクの艶めきがあって上品。こちらへ向かって歩いてくる姿がいつもの百倍は洗練されて見えるのも、この服装故か。よく見ると、胸元のポケットチーフの色はワインレッドだった。ネクタイとも相性が悪くない色だけれど、これは今日の私が纏う色。


 気が付くと、私達は見つめ合っていた。


 そういえば、竹村係長は髪形も変わっている。今日はパーティーへ行く支度のために時間休を申請した時に、「僕もとろうかな」なんて言っていたけれど、まさかこのタイミングで散髪してくるなんて! もしかしたら、長さはそれ程変わっていないかもしれない。でも、明らかにお洒落感のあるカットが施されていて、カッコ良くワックスでセットされている。


「竹村係長って、やればできる人なんですね」

「お前もな」


 お互い華やかに着飾っても、中身が変わるわけではない。相も変らず残念な会話をする私たちに、森さんが焦ったように割り込んできた。


「竹村係長! のりちゃん先輩綺麗でしょ? 女の子は褒められるともっと綺麗になるんですよ!」


 竹村係長は森さんを無視して踵を返し、扉の前でもう一度こちらを見つめる。「来い」と言いたいのだろう。どうせ私なんて何したって不細工ですよ。唇を噛み締めながら荷物を手に取り、職場の皆さんに小さく「いってきます」を言うと、慌てて奴の後ろを追いかけた。森さんの「がんばって!」の声が私の背中を軽く押す。


 もう駐車場へ行ってしまったかと思えば、竹村係長は一階へ向かう階段の踊り場で待っていてくれた。その御礼を言おうとした瞬間、竹村係長はわざとらしく咳払いする。


「いろいろ、心配になるぐらい、綺麗」


 彼の声が階段に反響して大きくなった。視線は味気ない階段横の深緑色の壁、それも高いところを見上げたまま。さすがにこれは、壁を褒めたわけではないと信じたい。


「竹村係長も素敵ですよ」


 私はちょっと余裕のあるところを見せてやろうと思って、彼を凝視してみた。先日私が読んだ小説に出てきたシーンにちょっと似ている。これから向かうは上流貴族主催の夜会。私はこの人にエスコートしてもらって華やかな一夜を過ごすのだ。相手はオジサンだけど今夜ぐらい仲良く過ごしても良いだろう。


「視線も当たりすぎると痛いから、ほどほどがいいんじゃなかったっけ?」

「竹村係長は神経がず太い人なので、これぐらい平気なはずです」


 竹村係長は鼻で笑うと、階段を降り始めた。


「……行こう」


 なぜ、突っ込みが入らない? これが本当の大人の余裕なのか。


 今日は直行直帰なので、社用車ではなく竹村係長の車で向かうことが許可されている。私はあの乗り心地の良い車に乗れることを密かに楽しみにしていた。


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