第34話 圧巻

 高速道路を使って一時間。地面に吸い付くようにして走る車は夕闇の中の流れ星になる。私は車窓から少しずつ夜景に変わっていく街並みを眺めながら、隣にいる運転手の存在を忘れる程にワクワクしていた。


 それにしても、招待状が届いた時期は遅すぎた。おそらくずっと前に送られてくるべきだったはず。きっと、古田社長に思うところがあって、急遽招待されたにちがいない。


「イベントって華やかなものでしょ?」


 そう言った古田社長の言葉が脳裏でこだました。今回は、そのイベントと言うものに初参加することになる。いったいどんなものを見せて魅せてくれるのか。きっとうちの創立三十周年行事(イベント)の企画や準備にも役に立つにちがいない。絶対に『何か』を掴んで帰ってこよう。そう思うからこそ、また岸部さん達を刺激しそうなことにも関わらず、大手を振って出かけているのだ。


 対する竹村係長はため息ばかり。そんなことをしていると老けますよと忠告するべきか。


 そうこうしているうちに、車は高速を降りて一般道に入った。久しぶりの信号で車は静かに停止する。竹村係長はふとこちらを振り返った。


「なぁ、今日は行くのやめない?」

「何言ってるんですか?」

「じゃ、先に飯行くとか」

「お腹空いたんですか? パーティーで食べられると思いますし、子どもみたいなこと言わないで急ぎましょう」


 変な人。竹村係長は信号が青に変わってもこちらを見つめたままだったので、私は腕を小突いてやった。















 会場はホテルの高層階にある宴会場。結局受付時間ギリギリに滑り込んだ私達は、既に照明が暗めに落とされている広いホール内の端の方に用意された席へ落ち着いた。


 目の前には複雑な折り方をされた白いナプキンと、キラキラ光るカトラリーの数々。丸テーブルの中央には赤い花が飾られていて、たぶんこれは結婚披露宴と雰囲気は近い。同じテーブルにはあと三席あるのだが、空いたまま。と、少し寂しい状態でパーティーはスタートした。


 まず、古田社長から挨拶があって、その後も様々な人が入れ代わり立ち代わり前方のステージで話をする。タメになる話もあれば、どのポイントで笑えば良いのか分からないような、オチのない漫才のような話もある。なんだか疲れるなと思ってバッグにつけていた時計をみると、早くも開始から四十分が経過していた。竹村係長は姿勢を正したまま、ちゃっかり目を閉じている。難しい顔をしているけれど、要するに眠くなってきたのでしょうね。私もうっかり欠伸が出そうになって口元に手を当てた時。司会の声が一際大きくなった。


「お待たせしました! それでは、フルティアーズ来秋冬シーズンの新作コレクションをファッションショーでご覧ください!」


 次の瞬間、辺りは真っ暗になり、身体にズシンと響くような低音がホール内に響き渡る。何が起こるのだろう? SF的で不思議な不協和音がひゅんっと空間を切り裂き、いくつもの青白いスポットライトの光が天井から床へと突き刺さった。かと思うと、そこからアグレッシブな音楽が一気に会場を占拠する。刻まれる力強いビート。舞台の奥、全てのライトが一点に集約される。それが再びホール内へ拡散するように広がると同時、黒いシルエットが浮かび上がった。


 モデルさんだ!


 音に合わせて会場中央へと続くキャットウォークを闊歩する背の高い女性。黒のゆったりとしたワンピースに赤のショールがダイナミックに巻かれている。続いて出てきた二人目もベースは黒。胸元に切り替えがあるAラインのドレス。このテイスト。おそらく、フルティアーズ様のハイエンド向けのラインだ。


 ライトに照らされて、控えめなラメ生地が時折煌めきを見せる。今回のコレクションはどれも差し色に赤を中心とした差し色が入っているようだ。中には、思わず触れてみたくなるように軽やかに揺れるふわふわの白いコートや、カラフルなチェックのスカートもあった。


 これまで動画配信サイトでしか見たことがないような本物のファッションショーが今ここ、目の前に。夢か現(うつつ)か分からなくなる程に、美しく、息を呑む程にカッコ良い。もちろん新作発表というビジネスの場にはちがいないが、完全なるエンターテインメントでもある素晴らしいショー。コレクションのコンセプト、そしてフルティアーズ様の熱意が肌へ直に届いて痛いぐらい。舞台背景にはウォーキングするモデルや、その服を拡大した映像が投影されている。見つめる招待者はビジネスマンから観客へと姿を変えた。それぞれの顔はうねり飛び交う光と音を受けて七色に染まる。


 フルティアーズ様のブランドイメージに合わせてか、キリリと表情を引き締めて堂々とランウェイを行き交うモデル達。ターンする時に翻るコートやスカートの裾がスローモーションのように見える。そしてふっと浮かべる笑みとも言うにはささやかすぎる表情の変化が、どこまでも女らしくて色っぽい。まるで映画の中に入り込んでしまったかのように、別世界に感じる。鳥肌が鼻の先から足の爪先までにかけて全てを覆い尽くした。


 ラストは白いロングドレス。なのにウェディングドレスとは違う、ある種の気迫を感じるデザイン。そうだ、これは女性の戦闘服なのだ。バックに流れるこの哀しくも美しい音楽と同じ。曇り空にポッカリと晴れ間ができて、そこから降り注ぐ白い光の中を裸足で力強く歩み始める女神とでも言おうか。一歩、一歩、威風堂々。新たなステージへと上り詰めていく。長い裾がモデルの背後を追いかけていた。太いリボンがウォーキングに合わせてゆらりと揺れる。あぁ、綺麗だ。圧巻。


 その後は全てのモデルが再登場して、今度は古田社長が現れた。白のスーツ。ランウェイの先端に立ち、丁寧に深いお辞儀をしている。二言、三言挨拶すると、乾杯の音頭へと移った。


「乾杯!」



 私、今日、ここに来これて本当に良かった。


 竹村係長が、目を細めてこちらを見下ろしている。会場の中、照明は未だ薄暗い。ドレスアップした私達二人の頬が赤いのは、ショーが終わっても冷めやらぬ熱気のせいなのか。理由はどうあれ、今の私達は同じことを考えているはず。


 この感動を分かち合いたい!


「乾杯!」


 竹村係長とグラスを合わせる。カチャリと軽やかな音が鳴った瞬間、心の中でも何かがカチャリと鍵が開いた。


 最近ずっと悩んでいた。この宝箱の中には必ず秘宝が隠されている。私はどうにかしてこじ開けて、ソレを手に入れたいと願っていた。


 それがようやく開いた。ゆっくりと蓋を上へと押し上げる。眩いばかりの光が溢れ出して、脳内にシミュレーションという名のカラー映像が光の速さで流れる。





 これだ!

 これならば!





「竹村係長! あの……」


 私が竹村係長の肩に触れようと手を伸ばした。けれど、その手は宙に浮いたままゆっくりと地面へ下ろされることになる。背後からバタバタと慌ただしい足音が接近してきたのだ。


「あら、紀川さん! 偶然ね。お久しぶり!」


 やってきたのは男性二人と女性一人。空席の三人が今頃になってやってきたのだ。


「千尋……さん?」



 私の顔は、一気に強ばって固まった。


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