第25話 歴史の味

 本来は勤務時間中の今、こんなご飯休憩をとることなんて許されない。でも空腹に勝てなかった。期待感と共に、弁当の蓋をそっと外してみる。


「わぁ!」


 俵型の小さなおにぎりが敷き詰められていて、その隣には梅干とお漬物。シャキシャキレタスの上にナポリタン、ハンバーグ、エビフライが乗っていて、タルタルソースも付属についている。筑前煮とアジの南蛮漬けがその隣に続き、弁当箱の端の方にはパイナップルとチェリーが並んでいた。私が好きな高野豆腐まで入っているし、なかなかに盛りだくさんのお弁当だ。


 オカズやご飯を順々に口へ運んでいく。まだ箱に詰められたばかりなのか、どれもまだ温かい。


「……美味しい」


 弁当を含め外食はどうしても濃口のものが多い。その方が美味しく感じられたり、日持ちしたりするのかもしれないけれど、既にアラサーに突入した私はこのように素材の旨みを活かした品の良い薄口の方が美味しく感じられるのだ。


 小百合の味付けも優しさのある細やかなものだけれど、さすがはプロ。この弁当の味はどれも繊細だ。まさかこんなレベルのものをこのタイミングで食べられるだなんて思ってもみなかったので、驚いてしまった。


 高野豆腐を口に放り込むと、しゅわっとだし汁が口内を覆い尽くす。安っぽい人工的な風味はしない。ザ・和のテイストが日本舞踊のごとく粋な舞を舞っている。


 無我夢中で箸を進めていると、あっという間に食べ終わってしまった。正直ちょっと、食べすぎたかもしれない。お腹がはち切れんばかりにいっぱいだ。


「ご馳走様でした」


 手をきっちり合わせてから箱を閉じると、ふと視界の端に影が差した。顔をあげると、先ほどの店のご主人が立っているではないか。


「お口に合わなかったかな? 何度か声かけたんだけど、返事がなかったもんで」

「あ……すみません……美味しくてつい、夢中になっていました」


 先程のお腹の音と言い、恥ずかしくて顔から火が出そうだ。ご主人は豪快に笑っている。


 いけない、いけない。すっかり本来の目的を忘れるところだった。実は私、弁当の値引き交渉に来たのだ。


 現状、一食九百三十円。ちょっと高すぎるから買い叩こうと思っていたけれど、こんな美味しいのを食べさせれたらついつい納得してしまう。きっと、かなり手の込んだ調理がなされているかにちがいない。正直、スタッフ弁当にするにはもったいないぐらいだ。だからと言って、今から別のところを新規開拓して交渉するのももったいない気がする。せっかく出会ったこの味とさよならするなんて寂しすぎるだろう。


 だけど、経費も抑えたい。

 私は、背筋を伸ばして立ち上がった。


「早速本題に入らせていただきます。実は今日、お願いしていたお弁当の価格の交渉のために伺いました。でも、このお値段設定の意味が分かってしまって……」


 勢いだけで切り出したものの、どうやって交渉すればいいのか考えがまとまらない。言葉が途切れてしまった。


「もっと、このお味を広められたらいいのにな」

「そんなに気に入ってくれたのかい。このお店はね……」


 御主人によると、このお店は今年で創業七十一年になる老舗で、彼自体はその三代目。現代は娘さんが四代目になるべく修行中らしい。そういえば先程から厨房内で一際忙しそうにしている女性がいる。その隣にいる若い娘さんは五代目候補かもしれない。


 初代は美味しくて日持ちがするお弁当を目指し、二代目は品の良い優しさのあるお味の弁当を目指した。そして三代目の御主人はこれまで和食一辺倒だったお品書きを大改革。まざまなジャンルに手を広げて、総合的にこのお店伝統の『味』や『品』を表現し、移り変わる時代の流れや人々の好みに寄り添えるような『お弁当』を超えた『お料理』を目指しているそうだ。


 七十一年の間には倒産の危機は何度も訪れたし、先代との方針の違いで勘当されそうになったり、他店との競走の中で心が折れそうになって、料理人自体を辞めようかと考えたこともあるとのこと。信頼していた同僚が突然辞めたばかりか、周りのスタッフを引き抜いて新たな店を立ち上げたということもあったとか。そんな厳しい環境の中で守り続けてきた信念や、料理に対する拘りの強さという『伝統』が、私が口にしたお弁当の中のお料理の数々に染み込んでいる。口の中に広がったのは単なる味ではない。店の歴史という奥深さ、そして突然現れた私のような者にまでお料理をふるまってくれる御主人の懐の深さがすっと身体に染み渡り、この乾ききった心を潤して満たしてくれたのだ。


 梅蜜機械は創業三十周年を迎える。この店が到達した域に至るまでは、まだまだ時間がかかるかもしれないが、それでも三十年だ。つまり、私が生まれる前からこの会社は存在していたということ。これって、凄いことじゃないだろうか。


 その時、私の中で大きな爆発が起こった。まるで宇宙に新たな星が誕生したかのように、真っ暗な闇の中で強い七色の光と粉塵が吹き上がり、渦を巻いてあらゆる可能性や全ての理の神秘を引き寄せるかのような神聖な『始まり』。


 あ、これだ。

 そうだ、これがいい。




 社内デザイナーの私だからできること。

 これしかない!






「紀川さん、大丈夫? 弁当に変なものは入っていないはずなんだけど」

「あ、はい、大丈夫です。とて素敵なお話を伺うことができたお陰で、ちょっと良いアイデアを思いついたんです!」

「私も、ぼーっとしてる君が正気に戻るまでに良いことを思いついたよ」

「何ですか?」

「弁当の価格の話だよ。うちは、質を落とすことはできない。ただ、量を調節することはできる。うちの弁当は量が多いのか、よく食べきれない人が多いと聞くんだ。特に梅蜜さんが今回やるような大きな行事ではスタッフさん達も忙しくて、ゆっくり食べていられないんたろうね。そこで相談なんだけど、オードブル形式にして、さらに全体量も少し減らすっていうのはどうかな?それだと、弁当に換算したら一食あたり百五十円分は値引きできるよ」


 オードブル?! 言われてみれば、確かにその手は有効だ。結局会場は貸し切ることにしたので、スタッフ控え室に充てることができる広い会議室はたくさん余っている。オードブルを並べることはできるだろう。


 元々弁当に関しては、私は高山課長と竹村係長から一任されている。一応会社にいる二人へ電話で最終確認してから、御主人に正式な返事を伝えよう。


 そして、帰社したら竹村係長にこの産まれたばかりの私の使命……アイデアをぶつけてみよう!


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