第23話 宿題
一月五日の朝。いつもと同じ通勤路のはずなのに、どことなく空気が凛としていて清々しい。新しいコートに袖を通した私は、立派な門松が飾られた守衛室横を通って会社敷地内に入っていく。顔見知りの方を見かけると、どちらからともなく駆け寄って新年の挨拶を交わしたりしていたためか、職場に辿り着くのに少し時間がかかってしまった。
新年初出勤の今日は、全社員が食堂に集まって『初出式』が行われる。学校で言う始業式みたいなものだ。社長が前方の舞台に上がり、昨年の業績や現在の引き合い受注状況、今月行われる展示会の日程、新年にあたっての心構えなど、タメになるお話が長く続く。その中には、三月に行われる創立三十周年イベントの話も含まれていた。これで、正式に社員に向けてイベントの日程がアナウンスされたことになる。
お正月気分はここまでだ。
席に戻ると、休みボケなのか、いまいち回転の悪い頭に鞭打ってメール処理に奮闘する。そこで、驚愕の事実に気がついた。
「竹村係長、もしかして昨日から出勤してらしたんですか?」
届いていたメールの受信日時を確認すると、昨日だったのだ。竹村係長は営業マンではないので、社用のパソコンやスマホを自宅まで持ち帰ったりする機会はないだろうから、休日出勤していたのは間違いない。
「あぁ、それ見てくれたの? もうイベントまで残すところ七十日あまりしかない。ここからは休日なんて無いと思えよ」
何てことだ。そこまでの忙しさを極めるのは、せいぜいイベント一ヶ月前からだと思っていた。こんなことならば、お正月休みをもっと味わっておくんだったな。
さて、届いたメールの内容に戻ろう。読んでみると、イベント予算について書かれてある。竹村係長は現状の経費をエクセルの表にまとめていた。それと、私が先日経理部から入手した前回実績の費用と比較してみたらしい。すると、今回のイベントの費用はかなり高額であることが判明したのだ。
「竹村係長、前回よりもイベント内容は充実してるんですから、そりゃあ高くもなりますよ。上の人も、イベント内容の概要については既に承認してくださってるんですし、その分の費用については織り込み済みではないんですか?」
「それはそうなんだけど、副社長からちょっとな」
竹村係長によると、副社長からもう少しイベントにかかる総額をダイエットさせるよう指示が下っていたらしい。でも、どうやって経費削減すればいいのだろう。一応、周年行事という晴れの催し物だし、あまりケチるとお客様に失礼になったりイベント自体の品質が著しく低下してしまう。
「僕は僕で、企画会社などに値段交渉を続けてみる。紀川も他の部分で少しでも経費削減できないか検討してみてくれないか」
「分かりました」
「それと、もう一つ」
「何ですか?」
そして聞かされた内容は、私にとって大きな試練になってしまった。
「イベントの内容は、過去のものと比較すると断トツで良くなってると思う。でも、あと一押しが足りないと言われているんだ」
なるほど。また副社長からのコメントがあったのですね。
「そこで、紀川に一つ宿題を出す。紀川はデザイナーとして、この会社の三十周年記念イベントのためにできることを今一度考えてみてほしい。営業とか、総務とか、製造とか、開発も。皆がそれぞれの視点で自分に何ができるか考えるように、今日の午後正式に通達が下ることになってる。締切は稼働日で三日後だ。だけどおそらく、まともな案は出てこないだろう。でも紀川は社歴は浅いものの、梅蜜機械をどのように社会へアピールしていくかを常日頃から考えている立場にある。きっと、他部署とは違う切り口の考え方ができるはずだし、できなきゃ困る」
「でも、三日なんて短すぎます……」
「もし、新たな案が大事になったら準備に時間がかかってイベント当日に間に合わなくなるだろ?この納期は妥当な線だ」
私は頭を抱えるしかなかった。目の前にはプリントアウトした今回の予算と前回の実績の表。無意味にパソコンのマウスをくるくるまわしながら、考えにふける。
私にできることは、大きく分けて二つだ。
一つは、既存の業務内容に関すること。例えば、製品カタログをより分かりやすくカッコ良いデザインに変更するなど。
そしてもう一つは、全く新しい何かを始めるという案。
私には以前からしたいことがある。会社のホームページのリニューアルだ。
情報社会と言われている昨今、ホームページは会社の玄関口にあたる。本社ビル一階の受付とは比べ物にならない程の人数が日々梅蜜機械のサイトを訪れているのだ。それにも関わらず、当社サイトはここ十年ぐらい全くデザインが変わっていない。中のコンテンツについては、私が入社してからカタログの改訂に合わせてテコ入れしているけれど、やはり全体的な印象としては代わり映えがしない。
では、なぜこんなにも私が焦っているのかというと、その理由はアクセス数のあまりの少なさにある。
業界関連サイトへのバナー広告やリスティング広告(検索サイトに検索キーワードと連動して掲載される広告)もほとんど力を入れていないばかりか、デザインも古すぎるとなると、案の定毎日のページビューやセッション数は雀の涙。私が趣味で読んでいるウェブ小説の方がよっぽどページビューは勝っていると思う。おそらく、サイトの宣伝が足りないのもあるけれど、そもそもお客様にとって有益になるコンテンツが存在しないからだろう。
このままではいけない。そう強く思っているのに、山積みの日常業務に追われる毎日だった。
では、今こそチャンスなのか?
一瞬そう思ったけれど、静かに私は首を振る。
頭の硬い保守的で古い人間の多いこの会社では、まずリニューアルに向けた社内調整が難航するだろう。それに、制作会社の選定からリアルの他の媒体(カタログや会社案内、メルマガ)などとの兼ね合いを考慮した上でのサイト構成企画、デザイン決定、掲載原稿の制作やデータの準備、デバックなどを考えると、軽く一年以上はかかりそうだ。
となると、この案はボツ。
頭が痛い。
何かあるかな。
私にできること。
社内デザイナーだからこそ、できること。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます