第49話 あなたに任せます

「ここは会社よ。そんなプライベートの喧嘩がしたいなら、さっさと帰るか、会社辞めなさい!!」


 出た。……じゃなかった。降臨しました、谷上さん! 颯爽とピンヒールで現れた谷上さんは、鼻息荒く周囲を見渡し睨みをきかせる。彼女の視界にいる社員は全員が姿勢を正した。もちろん私も背筋がぴんと伸びて、慌てて谷上さんに駆け寄る。


「谷上さん、お疲れ様です。あの、お仕事は……」

「大丈夫。ちゃんと今日の分は済ませてきたから。本社が忙しいっていうことは、こちらも分かってるのよ。快く派遣してくれたわ。私も伊達に長くこの部署にいたわけじゃないってこと、今から証明してあげようじゃないの!」


 姉御、ありがとうございます! 今回は経営企画部のまとめ役であるはずの高山課長が個人的にたくさんの仕事を抱えすぎていて、部員全体のパイプ役をきちんと果たせておらず、かなり苦しい状態だった。本人はもちろん、情報共有が徹底されていなかったり、決済がなかなか降りないなどで周囲も困っている。そんな時、谷上さんのようなイベント経験済みのベテランがいるとどれだけ心強いことか。高山課長以上に女性視点ならではの細かな気配りをしてくれるにちがいない。私の身体には急に力が漲(みなぎ)ってきた。


 谷上さんは、パンパンと手を叩いて再び注目を集める。


「さて、この後紀川さんの業務は具体的にどうなってるの?」

「印刷データを納品してすぐに刷ってもらえるのはありがたいのですが、私としては色校確認がはずせません。できれば、これからデータを納品したあと、その印刷屋へ向かいたいです」

「どうして? 今は時間が無いのよ?」

「色がきちんと出なければ、コントラストなどの関係で文字が読みづらくなったし、著しく冊子の雰囲気が悪くなったりする恐れがあるからです。我が儘だということは分かってます。でも、こういう工程をきちんと踏んでこそ、あの冊子はお客様へリリースするに耐えるものとして完成するんです!」

「高山課長、どうします?」


 谷上さんは、高山課長に判断を委ねる。


「行ってきなさい。色校は白岡さんも確認できるけど、彼はまだ業者との打ち合わせがたくさん残っているから」

「では、記者会見会の準備が誰がするんですか?」


 静寂が広がる。谷上さんの問に誰も答えられない。なぜなら、この仕事は重要だからだ。社長に直接関係する業務の中でも、この手のものは特に気を遣う。ここで容易に手を挙げて不格好かつ内容がおかしな物を作ってしまうと、梅蜜機械のブランド価値を下げて、社長の顔に泥を塗ることになってしまう。


 どうする? どうしよう。この場に集まった全員の間で無言の駆け引きが始まった。そして数秒後。


「あの」


 控えめに手を挙げたのは森さんだった。


「私に、やらせてください! 私はここでは新参者だし、ミスも多くて本当に役に立ちませんが、どうか、挽回の機会をください! もちろん、たくさんのアドバイスをいただきながらになるかとは思いますが、私だってがんばりたいんです。お願いします!」


 頭を深く深く下げる森さん。名乗りを上げてくれる気持ちは嬉しい。でも、彼女には荷が重すぎる。何せ、梅蜜機械が記者会見をやるのは大変久方ぶりのこと。前回の資料なんておそらく残っていない。どんなお作法だとか、何を書いて良いのか悪いのかなどの判断もデリケートなものになる。総務や営業とも多少なりとも連携が必要になるだろうし、何より失敗は許されない。


「高山課長、紀川さん、どう思います?」


 引き続き、谷上さんが場を仕切る。


「彼女の教育係は紀川さんだ。紀川さん、どうしたい?」


 どうすれば良いかではなく、どうしたいか。高山課長、こんな時に私や森さんに気遣ってる場合じゃないですよ。所属長としてビシッと決断してくれればいいものを。森さんは、固唾を飲んで私の出方を待っている。


「分かりました」


 私はゆっくり森さんの方へ歩み寄る。彼女の小さな肩に右手を置いた。


「こんなケースは初めてだから、参考資料はほとんど無いと思って? でも、今の主力機種PHCシリーズを発表した時のデータは残ってるはず。ここには、元々メディア対応やっていた福井係長もいるし、営業方面に関しては長瀬課長が頼りになるわ。だから」


 私は右手に力を込める。今度こそ頼むよ。そして、私の可愛い後輩さん、可愛いだけじゃないことをここで意地でも示してみなさい! この数ヶ月、あなたはとってもがんばった。ミスは多かったかもしれない。だけど、努力を惜しまず貪欲に食らいついてきた森さん。私はあなたを信じてる。


「この件、あなたに任せるわ」

「ありがとうございます!」


 その後はすぐに印刷データの確認を再開。そしてすぐに入稿。早速新田くんが話を通してくれていたらしく、印刷屋さんからはすぐにデータ受領の連絡がメールで入る。さっそく色を見るための印刷を開始するとのことで、私は外出することにした。でも、ここで一つ問題が。


 この印刷屋さん。梅蜜機械がある県から二つ隣の県にあり、辺鄙な場所。車の免許を持っていない私は必然的に公共交通機関を使うことになるのだけれど、それでは到着が何時になることやら。こんなスローな移動で間に合うのだろうか。


 印刷屋のホームページで場所を確認していた私。それを盗み見していたらしい竹村係長が、こちらへ身を乗り出してきた。


「送ってく」

「え? 何言ってるんですか?! 竹村係長はいっぱい仕事あるでしょ!」

「いや、行く。向こうは身内とは言えいきなり無理な仕事を押し付けられて迷惑しているはず。こんな時は平社員のお前がいきなり出向いて頭を下げてもどうにもならないからな」


 確かに一理はあるけれど、今は人手が足りないのに。


「っていうのは建前でしょ?」

「谷上さん……」


 竹村係長は、谷上さんの男勝りな剣幕の前では強く出れないようだ。


「分かったわよ。私が竹村係長の仕事を代わりにやっておいてあげるから、できるだけ早く帰ってきなさい!」

「ありがとうございます!」


 正直一人で初めての会社へ突撃するのは勇気がいるので心強い。私は谷上さんに向かって頭を下げた。


「どうせ竹村係長は何を言ってもあなたについて行くでしょうからね。はい、お弁当。スタッフ用のものらしいわ。道中これでも食べてがんばりなさい!」


 谷上さんが差し出したのは、あのお弁当屋さんのものだった。私が手配したオードブルを誰かが適当な使い捨て弁当箱に詰めてくれたらしい。でも、誰が? その疑問には、坂口さんが答えてくれた。


「これ、紀川さんと竹村係長のためにお弁当屋さんが取り分けてくれていたものらしいですよ! さっき、会場に二人がいないことを知って、こちらへ届けてくれたみたいです。なんだか、気に入られてるみたいですね」


 どうしよう。私、泣いてもいいですか?

 ピンチや失敗が重なっても、こうやって皆が私の背中を押してくれる。こんなに嬉しいことってあるだろうか。私って、なんて恵まれているのだろう。


「ありがとうございます」


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