第53話 許可

 会場内である市民ホールは三階建てで、式典や展示を行うのに使う最も大きなホールは吹き抜け構造になっている。一階には受付や商談スペース、VIPルーム、クローク、喫煙所などがあり、二階にはスタッフ控え室がある。私は、お客様が効率的に会場内を周回できるよう順路の看板を設置しながら歩いた。各コーナーの入口にもきちんと看板があるし、受付近くには昨日から続々と届いているお祝いの胡蝶蘭の鉢が大量に並んでいる。市民ホールのエントランスは暖房器具が無いけれど、南向きなのでお客様が入ってくる頃には幾分心地良い気温になっているだろう。森さんの提案で、エントランスでは耳あたりの良いクラシック音楽が流れている。その滑らかな旋律に合わせて、スタッフ全員がキビキビと動いていた。



 初めのお客様が入ってきたのは、午後一時少し前だった。最近売れ行きが好調のベトナムからの御一行様。香港資本の会社で、梅蜜機械にとっては大切な得意先。営業マンが引率して、受付を済ませていく。お客様はクロークで荷物やコートを預けると、私や森さんが用意した名札を服につけ、パーティーの席番が書かれたパンフレットを受け取って目を通す。


 ベトナムの団体様が展示場所へ移動していくのを見届けると、次にやってきたのは日本国内のお客様。招待状を忘れた方には再発行をしてさしあげ、新たな招待状で受付(チェックイン)を済ませてもらう。いきなり、「カイロは無いのか?」「コーヒーが飲みたい」「会場内の地図は?」などの質問が矢継ぎ早に飛び出す。総合受付という名のイベントの運営事務職詰所、つまり何でも屋に立つ私は、あっという間に忙しくなった。


 その後も会場には次々にお客様がお越しになり、エントランスホールはドレスアップした紳士淑女でいっぱいになる。見渡せば、業界の新聞で見かけたことのある大きな会社の社長様もちらほらと。皆お忙しい方ばかりなのに、梅蜜機械のために時間を確保して来てくださったのだ。本当にありがたい。


 ふと見ると、展示と式典の会場の入口には長蛇の列ができていた。入口にはタキシードを着込んだ社長とその奥様、役員がずらりと並び、中へ入っていくお客様へ言葉をかけている。記念撮影も行われることもあるため、大渋滞だ。


 熱気がすごい。これまでの周年行事とは違い、大きな会場で行われるこのイベントに、皆が興奮しているように見える。そこかしこでお客様同士の会話も弾み、笑顔が溢れている。


 景気は決して明るい状態ではない。とことん底辺に堕ちた暗さはなくとも、日々生活の中で足掻いている人が多い印象である。中でも梅蜜機械のお客様の大部分は繊維業界というカテゴリに属し、特に国内の企業はどこも苦しい思いをいながら努力を重ねているか、悲鳴をあげている。日本で流通している衣料品のほとんどは輸入だ。その中でなんとかメイドインジャパンの技術力とその精神の灯火(ともしび)を大切に守り続けている方達が、今日このイベントに集っている。一時は生産の国内回帰なんて言われたこともあったのだが、実際はどうなのだろう。


 今日、梅蜜機械は新たなワークフローと新機能を搭載した機械をプレゼンテーションする。梅蜜機械(うち)もがんばっている。それをこの地方都市から発信する。どうか、皆で『改めてがんばろう!』という気持ちになれますように!





 そして時間は午後五時になった。お客様の来場のピークは三時から四時頃だったので、今はエントランスも随分と静かになっている。見渡せば、ほぼ身内、社員しかいない。招待状には六時から式典と案内していたので、早めに到着してゆっくりと見学してくれているのだ。先程橋本部長が通りすがりに「ずっとアプローチを続けていた会社様で成約した!」と嬉しそうに話していた。このイベントは、商談会としても良い滑り出しのようだ。


 私は会場内の様子を覗こうと、こっそりと森さんを誘って中へ滑り込む。会場の照明は少し暗めに変わっていて、ライティングが映えやすくするためのスモークが炊かれている。


「のりちゃん先輩! やっぱりアパレル業界の人も多いので皆さんお洒落ですね。特に男性のスーツが……! 毎日よく似たのをたくさん見ているはずなのに、なんでこうもカッコ良いんでしょうね。やっぱり小物かな。それとも、自分にあったサイズや色合わせにしているからですかねぇ」


 森さんは原稿納品忘れの落ち込みから早くも立ち直り、瞳がハート形になっている。切り替えが早いのは良いけれど、是非とも二度と繰り返さぬようにしてほしいものだ。


「私、この業界の仕事ができて幸せてす! やっぱり、おしゃれなイメージがあるじゃないですか? 友達にもよく良いなぁって言われるんです」


 森さんの勢いは止まらない。私には友達といえば小百合しかいないので、イマイチ真意の程を測ることはできないが、少し首を傾げてしまった。


「でもアパレルっていうか繊維業界って問題も多いよ」

「そうなんですかぁ?」

「うん。最近読んだバングラデシュの雑誌によるとね、繊維業界ってあらゆる業界の中で石油産業に次ぐ二番目に公害を起こしている産業で、世界中の水の二割程度は繊維業界で汚染されてるの。二酸化炭素排出量も多いし、生産された服の八十五パーセントは誰にも着られることなく廃棄されて埋め立てられてる。それも年間二百十トンよ? 労働環境は悪いし子どもの労働でも問題になってたり。ファストファッションの影ではこんな事情もあるんだよね。怖い怖い。だから私は基本的に夢がある産業だと思うけれど、現状はあまり胸を張れないなって感じる」

「……のりちゃん先輩って、暇なんですか?」


 暇って何よ。私だって忙しいんだから! ほら、家事したり、小説読んだり、スーパー行ったり。小百合ともたくさんおしゃべりするしね。できればもう少し違ったコメントを期待していたのにがっかりだ。いや、友達がたくさんいるような普通の人達ってこういう反応をするものなのかもしれない。だから、もっと業界はサステイナビリティを意識すべきだとか語りそうになったけれど止めておいた。


 私が浮いている理由が少し理解できてしまったその時、前方の丸い舞台に司会者らしき女性が現れた。スポットライトがそこに集中する。いよいよ、始まる。スタッフである私達は裏方の人間なので、お客様の目障りにならないように控え室へ戻らねばならない。そう思って踵を返したその時、竹村係長がこちらへやってきた。


「紀川、待て。お前はこれから始まるショーを見る権利がある。なんてったって、全ての企画者なんだからな」


 思わず息を呑む。私は招待客でもなければ梅蜜機械の営業マンでも無い。下っ端社員だ。本番を見届けたい気持ちは以前からあったが、まさか許可が出るなんて!


「……いいんですか?!」


 竹村係長は大きく頷く。


「高山課長からの伝言。『紀川さん、君のアイデアに皆が驚き、梅蜜機械が新時代を切り開く瞬間を見届けてほしい』だとさ」


 私は心の中でガッツポーズをきめた。


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