第54話 世にも珍しい

 司会の女性がイベントの開始を宣言すると、一斉に大きな拍手が巻き起こる。まだ何も始まっていないのに、今日この日を無事に迎えられたことが、今目の前で起こっていることが未だに信じられなくて、涙が出そうになる。


 ここで、天井から降り注ぐ照明のほとんどが、ホールの長辺にあたる部分に集まった。ここは、細長い舞台が端から端まで続いていて、ここから始まるのは単なる機械説明ではない。世にも珍しい新しいショーだ。


 まず舞台に向かって左端。ここは風神システムのブース。式典とショーが始まる前までは、見本市会場のブースのように受付台やらカタログキャビネット、風神システムが用意したポスターなどが貼られたいかにもブースという空間だったが、今はポツンとパソコンが一台だけ置かれている。そして、その背景にあるのは大きなLEDパネル。よくコンサートの舞台の背景にあるような、巨大なモニターだ。


 モールス信号のような音が流れ始め、それは次第にシステマティックで近未来的なリズム感が楽しいインストゥルメンタルへと繋がっていく。パソコンを操作する女性が現れた。これは風神システムの社員さん。少し緊張しているのか、歩き方がぎこちない。なんとかパソコンの前に座るとモニターの電源をONに。ここからは、ドレスの型紙作成のプレゼンテーションがスタートする。音楽は、より軽やかで流れを感じるものに変化した。


 風神システムの専用ソフトで、型紙(パターン)を作っていく。デザイナーのファッション画や仕様書を元に作業は滑らかに進む。作成された型紙は3Dのバーチャルモデルにマッピングされて、実際に着用した時のフォルムを確認。ここまでの作業工程は、すべて背後のモニターと、会場前方のスクリーンに投影されている。招待されたお客様は、今何をしているのかという実況中継と、ソフトの売り文句を話す司会の女性のナレーションにも耳を傾けていた。パターンの微調整が完了すると、ヒュンッという風を切るような効果音が。今度は我が梅蜜機械のブースにスポットライトが当たった。


 ここに展示しているのは、PHC1620という型番の機械。縫製工場などによく納入されている機械で、今回のイベントに向けて開発部が決死の思いで開発を間に合わせた新機能搭載機だ。従来機よりも裁断する刃がついた裁断ヘッドと呼ばれる機構が軽くなり、裁断スピードもアップしている。裁断機が発する騒音も小さくなったということもメリットだろう。でも、何より大きいのは、裁断する刃を2種類搭載できるようになったことだ。従来は、ニ種類の刃を使いたければその都度付け替える作業が発生した。でも新機能搭載機は、そんな面倒な作業なしに、二種類を使い分けることができるらしい。


 風神システムから受け取ったデータが裁断機にインポートされるイメージ動画が流れる。こんなCG誰が作ったのだろう。


「これ、浜寺主任の力作だよ」


 隣に立つ竹村係長がいたずらっ子みたいな顔をして教えてくれる。浜寺主任は優しい人なのに、いまひとつイベント関連では動いてくれていないイメージだったのだ。もちろん、システム関連の仕事はきちんと引き受けてくれていたのは知っていたのだけれど。でも、なるほど。こんな動画作成をしていたならば、他の業務はできなかったはずだ。


 気付いたら、新田くんが舞台にあがっていて、裁断機を操作している。あらかじめセットしてあった生地への裁断がスタートした。ウィーンという独特の音と、BGMが絶妙なハーモニーを奏でている。そしてものの一分で工程は終了してしまった。


 お次はミシン。このメーカーは社内のベテランを起用してくださり、いかにも熟練工といった体の女性が舞台にあがっている。新田くんが運んできた裁断後の生地を次々と縫い合わせ始めた。その正確かつスピーディーな作業をする女性の手元は、会場前方のスクリーンに拡大して映し出されている。フルティアーズ様のドレスが、目にも留まらぬ速さで仕上がっていく。事前に何を縫うのかは分かっているし、おそらく練習も積んで駆けつけてくれているのだろうけれど、これは凄すぎる。あまりにも速い! ナレーションによると、新機能を使うことで作業工程を簡略化し、経験の浅い人でも美しく縫製できるように工夫されているそうだ。


 最期は刺繍。縫製が完了したドレスがバトンタッチされ、ついに舞台の右端に到達する。置かれているのは、あらかじめ刺繍用の糸とデータが入ったUSBが刺さって準備万端に整えられたミシン。そこにドレスの胸元があてがわれる。何が刺繍されるのだろう? スクリーンを凝視していると、さすがと言おうか、まさかと言おうか。


「『30th』なんて、ありきたりですねぇ」


 結局、私と連れ立ってショーを鑑賞していた森さんが、笑い声をあげる。でも、気が利いているじゃないか。これは、梅蜜機械三十周年記念式典なのだから!


 刺繍もあっという間に完了。これで、ドレスは完成だ。刺繍してくれた女性は、完成品を持って会場前方の丸い舞台にあったマイクスタンドに、そのドレスを無造作に引っかける。次の瞬間、とても低い音、高い音、それが交互に続きサイレンのように会場内へ響き渡る。音に合わせて、照明は上を向いたり、下を向いたり。それまでライトを浴びていた会場脇の細長い舞台は暗がりに落ちている。お客様の間にはざわめきが広がっていた。それもそのはず、こんな演出自体、梅蜜機械らしくない。招待状には式典としか書いていなかったし、当日お渡ししたパンフレットにもエンターテイメントとしか載っていない。


 不規則な間合いの音は次第に感覚が短くなってリズムを刻み始めた。それが力強いビートへと変わっていく。さぁ。歌姫の登場だ!


 会場最奥のスクリーンが、突如大きな音を立てて落ちた。と、同時に現れたのは羽衣雅。スクリーンの向こう側は、ステージになっていたのだ。紅色と青のライトが会場の中を目まぐるしく踊り狂う。ドラムの音がここにいる全員の胸に向かって直進し、突き抜ける。静かだったざわめきがライブ会場さながらの歓声と驚きの声に包まれた瞬間、丸くて白いライトがステージ最奥の一点を照らした。一瞬、全ての音がピタリと止まる。隙間のような静寂。ボーカルが現れた。


 黒のビスチェと黒のレギンス。つまるところ下着姿同然なのだが、こうもスタイルが良くて堂々としたモデル顔負けのウォーキングをされると、歩く芸術品にしか見えてこない。颯爽とマイクスタンドにあったドレスに身体を通すと、くるりと一回りしてみせた。彼女の美しい顔が、バンドのバックモニターにアップで映し出される。


「三十周年、おめでとうございます!!」


 歌姫からの祝辞。これを合図に、羽衣雅が会場をハックした。














「のりちゃん先輩、大丈夫ですか?」


 羽衣雅のステージに惚れ惚れしたからなのか、立ちくらみを起こした私に森さんが肩を貸してくれる。ボッチで引きこもりの私は、生でこういったステージを見たことがない。あまりに素敵で楽しすぎて、意識が飛びそうになるぐらい刺激的だった。現在、丸いステージ上では社長がお客様に対して挨拶を行っている。


「うん。大丈夫よ。お客様もこれからディナータイムだし、私達もそろそろここをお暇しましょう」

「そうですね。控室に戻ってお弁当を食べましょう!」


 ホールを出て廊下を進み、階段を昇る。一気に現実が帰ってくる。同時に懸念事項も思い出す。


「れいの冊子、まだ着かないかなぁ」


 私のぼやきに森さんが反応した。


「大丈夫です!」


 やたら自信満々な森さん。重々しく言われたところで、森さんが今から空を飛んでこの会場へ搬入してくれるわけでもなし、未だ安心できない。でも、今回は竹村係長がきちんとアレンジしてくれたはず。私はひとまず落ち着いてお弁当と言う名の豪華なオードブルに手を付けることにした。


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