第22話 嬉し涙
私は小百合に目配せした。実は小百合、逃げも隠れもしていない。時折森さんの周りをウロウロしては、「今どきのメイクというものはまるで芸出作品じゃないか。これ、洗い流したら私以上に化けるかもしれないねぇ」などと言ったコメントまで残している。だけど、その姿を見て声を聞くことができるのはごく限られた人間のみなのだ。
そう、そこの方! 竹村係長! あなた、さりげなく小百合にまでお酒を注いで渡すのは止めなさい! 普通の人間が見たら、超有名マジシャンでもびっくりするような手品が空中で行われているように見えるのだから。
でも幸い、橋本部長をはじめ長瀬課長、新田くんは霊感などに乏しいらしく、これといった指摘もない。竹村係長は皆の死角になりそうなところで悪事を行っていたこともあって、おそらく気が付かなかったのだろう。
さて、残るは森さん。先ほど、寒気がするから毛布を貸してほしいと言われてしまった。もしや、小百合(得体の知れないエアコンお化け)の気配を感じてしまっているのだろうか。
「のりちゃん先輩、ちょっといいですか?」
「何?」
私の声は自然と強ばる。小百合は私の唯一の友達だ。とってもとっても大切なのだ。竹村係長はなんだかんだで私のことを後輩として大切にしてくれているから、信頼して小百合を紹介した。でも他の人だったら、うっかり小百合の存在を周囲に広めてしまう可能性が高い。もしかすると、週刊誌の隅っこの記事に書かれてしまったりして、オカルトオタクが我が家に押し寄せてくるかもしれない。そうなると、もう私と小百合の平和で楽しい共同生活は崩れ去ってしまうのだ。最悪、小百合の依り代であるエアコンが盗まれたりして、私はまた一人ぼっちに戻るかもしれない。
駄目だ。小百合の存在は、絶対にバレるわけにはいかない。しかも森さんは時折平気な顔で失礼な発言をすることもある。そんな彼女の毒牙に小百合が汚されるわけにはいかない!私はカーディガンの裾を握る手に力を込めた。
「私、気づいたんです」
き……気づいたぁ?!
「私、ここへ来た本来の目的をすっかり忘れてました」
「そういえば、新年早々何しに来たの? 急ぎじゃないなら、初出勤の時に話せば済むじゃない」
「あのですね、えっと……」
口ごもって俯く森さん。そこまで言い難いことなのだろうか? この様子だと、小百合のことではないようだけど。当の小百合は、部屋の隅っこの宙に浮いてニヤニヤしながらこちらを眺めている。
そこへ、ずっとテレビに夢中だった竹村係長が話に割り込んできた。
「雪乃ちゃん、大丈夫。落ち着いて言えばいい」
竹村係長は、森さんの用件を知っているらしい。何だろう? 森さんは、ツンとつき出た胸に手を当てて深呼吸。ゆっくりと顔を上げた。
「紀川先輩。いつも出来の悪い私に丁寧なご指導をありがとうございます。覚えがいいと言ってくださっていましたが、まだまだなのは分かってます。私、この間のりちゃん先輩が竹村係長と打ち合わせしていた時に、こっそり経営企画部の共有フォルダの中をいろいろ見せてもらったんです。そしたら……のりちゃん先輩が作った広告とか、カタログのデータがいっぱいあって……」
森さんが共有フォルダを閲覧するのは問題ない。それに、閲覧禁止ファイルはあらかじめファイルにパスワードがかけられているはずだ。
「のりちゃん先輩って、すごいんですね。私が作ったデザインと全然違いました。カッコよかったですし、分かりやすいし、もうとにかく、『あ、プロなんだ』って思いました」
どうしたんだろう、急に。森さんはきちんと正座していて、こちらにキラキラした瞳を向けている。
「私も、のりちゃん先輩みたいになりたいです。もっと、良いものを作りたいです。だから今年も、どうぞよろしくお願いいたします!」
今日はやたら頭を下げる人が多いな。基本的に私は褒められて伸びるタイプだ。でも、褒められることなんて滅多に無いものだから、面と向かって賛辞を送られるとどんな反応をしたら良いのかが分からない。
「森さん、どうしたの、急に。そんな改まらなくても、いいのに。こちらこそ今年もよろしくね」
あぁ、なんだか恥ずかしすぎて身体が痒くなってきた。
「雪乃ちゃん、ちゃんと言えてよかったな。紀川もこれで少しは自信もてるかな? お前はうちのデザイナーだ。自分の感性を信じて、今年もしっかりと制作に励んでほしい。僕個人としても、頼りにしてる」
竹村係長からも、直接褒められるなんて。『頼りにしてる』の声がすごく甘くて優しくて、身体にすっと染み込んでいく。こんな嬉しい事はなかなか無い。まるでお年玉みたいだ。
「ありがとうございます」
私も頭を下げた。
「もう、どうしちゃったんですか、のりちゃん先輩? 私の言葉に感動しちゃいましたか?」
「泣くなよ、紀川」
嬉し涙なんて久しぶりなので、私自身戸惑ってしまうぐらい。人目を憚らずティッシュで鼻をかむと、竹村係長と森さんに向けて笑ってみせた。
「さて! 何だか湿っぽくなっちゃいましたし、のりちゃん先輩は竹村係長と飲み直してくださいね。邪魔者は帰りますからごゆっくり!」
「え、待ってよ。森さんも飲もうよ。買ってきてくれたお酒やツマミもまだまだあるし」
「だーめーでーす。あ、そうだ。のりちゃん先輩にはコレをあげます」
私は森さんから小さな紙袋を受け取ってしまった。とても軽いけれど、中身は何だろう? 開封して覗いてみると……
「ちょっと、これ……?!」
「二人で仲良く使ってくださいね! それでは失礼しまーす!」
森さんは素早くコートを羽織ると、ひらひらと手を振りながら部屋を出ていった。大きな音を立てて玄関の扉が閉まる。残されたのは静寂に包まれた何ともし難い微妙な雰囲気。
「で、何もらったの?」
「見ちゃだめー」
「紀川、かわいー」
「さっさと帰れ!」
私は恥ずかしさマックスの勢いをバネにして、竹村係長を玄関に追い立てた。
「お疲れ様でした!」
竹村係長をなんとか部屋の外に追い出すと、へなへなと座り込んでしまった私。なんだか疲れた。
「結恵、それは何なんだい? 私には見せておくれよ」
「友達でも、これは駄目なの!」
「隠しても無駄だよ。私は透視ができるからねぇ」
何だと?! このお化け、ハイスペックすぎる。
「極薄って何だろうねぇ?」
「こら、箱の文字を読むな!」
私は慌てて紙袋をベッドの下の奥の方に押し込んだ。これはR18小説と一緒に封印するのがお似合いである。
そんなわけで、私の初夢はすごくエッチな内容になってしまった。しかも、奴を相手にハァハァアンアンする夢。有り得ない!森さんには苦情を申し立てたいけれど、きっと被害内容は恥ずかしすぎて伝えられないだろう。やれやれ。
こうして、私は新年早々過去最大人数の招かざる客を我が家に一時収容し、驚いたり嬉しかったり恥ずかしかったりしたものの、トータル的には充実した時間を過ごして少しほっこりできたのだった。
これは嵐の前の静けさ。束の間の休息。間もなく、私の想像を越えたデスマーチがスタートする。
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