第19話 もっと面白いこと

 結局家に帰りついたのは十時過ぎ。エアコンをつけると頭に角を生やした小百合が現れた。美人が怒ると本当に怖い。お詫びに、また一晩中エアコンをつけっぱなしにするよう約束させられ、私は乾燥対策の一環で洗濯物を部屋干しし、マスクをつけて就寝した。また小説が読めるとか、RPGのゲームもしようかなどと小百合は大騒ぎしていたので、眠りは浅かった気がする。



 翌朝、橋本部長と話をするためにいつもより三本早い電車に乗った。会社の最寄り駅から歩いていると、見慣れた後ろ姿を発見。


「竹村係長、おはようございます」

「おはよう。早いな」

「昨夜の件がありますし」

「そうだな」

「竹村係長、毎日歩きなんですか?」

「うん。うち、あそこの高層マンション」


 振り返ると、シックなブラウンの壁の軽く十五階以上はありそうな建物が見えた。この辺りでは最も高い建物で、いずれは私もあんなところに引っ越してみたいと考えていた場所でもある。まさか、竹村係長が住んでいたなんて……! うっかり引っ越す前で良かった。上司と同じマンションに住むなんて勘弁。


「会社に近くて良い立地ですね」


 とりあえず無難な事を言っておく。


「終電逃した時はおいで」


 『終電逃す』イコール『帰れない』。『おいで』イコール『泊まり』……?! もう嫌だ、朝からこの人何言ってんの?!


「こらこら、朝からそんなにがっつくなよ。紀川が真っ赤になってるぞ」


 後ろからやってきたのは高山課長だ。この人、案外いつもタイミングがいいな。竹村係長は「おはようございます」と高山課長に挨拶したものの、フンと鼻を鳴らして早歩きを始めた。姿勢が良く見えるように、気合を入れて7センチヒールを履いてきた私には追いつけるはずもなく。




 職場に着くと、橋本部長は既に席にいた。まだ始業一時間前なのに、すごい。外回りが多い方なので、早朝の人気が少なく集中しやすい時間帯にメール処理や書類決済をこなしているのかもしれない。


「橋本部長、おはようございます」

「あ、紀川さん。聞いたかい?」

「はい。新田くんから伺いましたが、もう少し詳しくお話を聞かせてください」


 下っ端社員の私は、なんで私に仕事擦り付けるんだなどと不満は言わない。この件は竹村係長のサポートの下、私がちゃんと対応すると決めたのだ。営業部長でも収集できない案件をまとめるっていうのもカッコイイでしょ? 一晩かけて、そう考えることにしたのだ。


 橋本部長は、声のトーンを落として話し始めた。


「実はな……」







 外出したのは、その日の午後だった。竹村係長が運転する社用車に乗って(私は免許を持っていない)、向かった先は隣の市にあるオフィス街。何の足しにもならないかもしれないけれど、梅蜜機械のロゴが入ったお煎餅を一箱、お土産として持ってきた。手土産が入った紙袋の持ち手が私の手汗で駄目になりそうなぐらい緊張感が募っている。


 事前に電話連絡を入れてアポはとっていた。フルティアーズ本社は大きなビルの八階に入っている。まずは受付に向かって名刺を出し、用件を述べるとすぐにエレベーターへ誘導された。そしてやってきたのは十階の応接室。大きな窓からは都会の風景が一望できる。ビルの谷間の彼方、キラキラ光っているのは海かもしれない。でも、古田社長を待つこの時間、景色をゆっくり楽しめる程の余裕は無い。隣を見ると、竹村係長も固く口を結んでいた。


 それから十分後。


「お待たせしました。古田です」


 颯爽とした足取りで現れたのは、モデル体型の女性。背が高くて、私の胸元あたりから脚が生えている気がする。おそらく、本当はそれなりにお年を召しているのだろうが、見た目年齢は三十代前半といったところ。ウエストを太めのベルトで締めた赤いコクーンシルエットのスカートが印象的だ。


 おどおどしながらも、竹村係長に続いて名乗り、名刺を交換する。古田社長の表情に怒りはあまり感じられないが、好戦的な態度に見受けられた。一応、橋本部長から事情を聞いて本件解決に向けた案を考えてきたのだが、うまく話ができるだろうか。


「今日は春夏コレクションの展示会やっているのよ。できればさっさと済ませてちょうだい」


 古田社長は時計ばかりを気にしている。私は早速具体的な話を始めることにした。


「お忙しい中お時間をいただきありがとうございます。まずは、今回の問題について確認させてください。当初は、ご提供いただくデザインのワンピースを製造デモンストレーションで例として取り上げさせていただくだけの予定でしたが、それではフルティアーズ様のメリットがあまりに少ないということですよね」


 橋本部長が私を名指しした理由はここにある。高山課長と竹村係長が副社長にプレゼンした企画書のベースは、私がほとんどを作り上げた。橋本部長は新田くん経由でそれを知っていたのだ。古田社長の期待に応えるには、イベントの内容自体に一部見直しが入ることは必至。だから元のアイデア提供者である私が責任を取るためにも派遣されてしまったのだ。


「メリットというか、馬鹿にしてるの?と言いたいわ。切って、縫って完成。それだけでしょ? 完成したうちのワンピースはほぼ出番が無いじゃないの」

「ごもっともです。せっかく弊社のイベントに古田社長の素晴らしいデザインをご提供いただくのに、こんな基本的なことも見逃しておりまして大変申し訳ございませんでした。弊社としましては、デモンストレーションするワンピースの他にも、フルティアーズ様のコレクションを展示するエリアを設けたいと考えております。当日は他のアパレルメーカーや縫製工場からもお客様がみえますし、会場となる市民ホールは貸し切ることにしましたので、一般消費者の目に留まるホール外側の位置にディスプレイすることも可能です」


 さらに言えば、今回のお詫びとしてフルティアーズ様のちらしも『自由にお取りください』形式で設置許可を出そうかと思っている。


 古田社長は少し考える素振りをしたけれど、すぐにキッと眉を吊り上げた。


「杓子定規な橋本くんよりは及第点いってるわ。でもね、そちらがやろうとしているのは所謂『イベント』なのよ? それに、服っていうものは、本来トルソーに着せた状態だけでは魅力が存分に伝わらないのよ。もっと何か面白いことを考えなさいな」


 面白いこと?!

 そんな謎かけをされても、緊張のあまり私の頭はフリーズしかけている。竹村係長は私に任せっきりで助けてくれないし、どうしよう。


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