第41話 なんで?

 受付嬢は合計十名。営業部の外国語が話せる事務方を中心に、彼女達の所属長と相談しながら選出している。イベント当日も会社は普通に営業しているし、全てのお客様をご招待できるわけではないから通常業務を滞りなくできるようにしておかねばならない。そういう配慮がある故だ。


 会議室に到着した女性たちは仲良しグループごとに分かれて着席し、既にテーブルに置いてあった説明資料に早速目を通し始める。ひそひそ声の私語も多く、会議室内は静かにざわついていた。


 スタッフの役割は合計八種類に分かれており、説明会は朝から晩までかかる予定だ。私は限られた時間を有効に使いたいので、メンバーが全員集まっていることを確認の上、会議室前方のホワイトボードの前に立った。


 下っ端社員がこんなところに立つ機会はなかなか無い。会議室が先程までよりも広く感じる。人数は十人と少ないのに、緊張のあまり書類を持つ手が小刻みに震えた。


「皆様お揃いのようですので、早速始めさせていただきます。本日はお忙しい中、お集まりくださいましてありがとうございます。皆様にお願いするのは、イベントの受付係なのですが……」


 私が話始めると、水を打ったように静まり返る室内。でも、その沈黙は長くは持たなかった。


「お願いという割には、お願いの態度がなっていないんじゃないの?」


 声をあげたのは岸部さん。彼女がいる以上、平和に説明会が終わる可能性はゼロだと思っていたけれど、早速切り込んでくるなんて。


「だいたい、当初よりも説明会の時期が遅くない? もっと早くにするって、言ってなかったっけ?」

「そうだよねー。ほんとにお願いする気、あるの?」

「てか、こんな資料読み上げて終わりなら、わざわざ私達がここに来る意味なんて無かったよねー」

「あまり責めたら可哀想だよ。できない人は、何やってもできないんだからさ」

「でも、上司と同期に媚び売るのは上手いんでしょ?」


 もう、収集がつかなかった。十名中七名が岸部さんを中心とする取り巻き。説明会の中で話をする具体的な業務内容についてブーイングが出ることは予想していたけれど、これではそこに辿り着くことさえできない。


 前に立つ人、偉くなくても上に立つ人は、下を向いてはいけない。それに、下を向いたら涙が零れそうだった。最近は忙しさのあまり給湯室でお茶を飲むこともないので、彼女達の嫌味の応酬には少々ご無沙汰気味。若干免疫力が落ちていたのか、私は投げかけられる爆弾でことごとく被弾し、身体中が穴だらけになった気分だった。


 大丈夫。しばらく待てば彼女達も飽きるから。相手にしてはいけない。そう心の中で唱えながら、視界上空の何も無い一点を凝視し、歯を必死に食いしばっていた。その時。


「何ぼーっとしてるの! ちょっとは言い返してみたらどうなの?!」


 突然キレたような大声を出して立ち上がったのは社長の秘書である越智さんだった。背は高くないが、女性の私でも目のやりどころに困るぐらいナイスなプロポーションのお方。歳は谷上さんと同世代だが、二十代と言われても頷けるぐらいの若さを誇るちょっとツリ目の美人さんだ。


 会議室の一列目に座っていた越智さんは、ツンと張り出た大きな胸をさらに前へと押し出すようにして、一歩こちらへ歩み寄った。威圧感がある。


「あなたの仕事はこんなことじゃないでしょう? 自分の悪口攻撃で貴重な業務時間を潰してどうするの!」


 そして、今度は後ろへ振り返る。


「そして、あなた達も何? 毎日定時で帰って、お茶休憩も必ずとって、ほんとに良いご身分ね! あなた達は知らないかもしれないけれど、紀川さんは今回のイベントの準備が始まる前からあなた達の軽く倍は仕事してるわよ!」


 再び会議室にはざわめきが広がる。はっきりと聞こえなくても、それらは私への非難であることがしっかりと感じられた。そして立ち上がる岸部さん。


「部外者が知ったようなこと言わないでくれますか? 私達は語学力もありますし、効率よく仕事をしているので定時上がりもできればお茶休憩もできるんです。あんな出来損ないと比べられるなんて、気分悪いです!」


 越智さんは、余裕の表情でゆったりと溜息を吐いた。


「周年行事という大切な場に向けたこの説明会で、個人攻撃なんて浅はかなことをする人のことなんて信頼できるかしら? それから、私は知らないということはないわ。私、紀川さんの上司である竹村係長から、社員スタッフのまとめあげについて、どれだけ準備を重ねてきたのか教えてもらっているもの。一方あなたは、周年行事に向けて何をやってきたの? これから、どんな形で貢献してくれるつもりなのかしら?」


 岸部さんは少し気まずそうに俯く。越智さんは続けた。


「それに、説明会が延期したところでどんな問題があるの? 今の時点でも遅くはないはずよ? まだ一ヶ月もあるのだから。説明会はね、イベントの内容がかなり具体的に確定しないと実施できないのよ。どうも副社長辺りがいろいろと注文をつけて仕様や詳細がコロコロ変わってたみたいでね。そういうのに振り回される苦労っていうのも、少し考えれば分かるでしょ?」


 とうとう岸部さんは説明資料を手に取ると、そのまま部屋を出ていってしまった。それを驚きのあまり動けないまま見送る私に、越智さんは「さっさと始めなさい」と急かす。お陰で説明会は無事に再開し、予定通りの内容を伝えて終了することができた。岸部さんの取り巻きが、岸部さんと連れ立っていなくならなくて、本当に良かった。


 その後も別の役割のスタッフ説明会は続いた。十分に準備はしてあったし、他の社員は岸部さんみたいなことをする人はいなかったため、落ち着いた雰囲気で執り行うことができた。


 でも、私は越智さんの言葉が耳から離れなくて。


「竹村係長に教えてもらった」


 最近、竹村係長とは必要最低限しか話していない。福井係長の職場復帰からは少しゆとりのある高山課長に相談することが増えているので、相変わらず忙しそうな竹村係長には社員スタッフ関連のことは何も話していなかったはず。なのに、説明会に至るまでの準備の紆余曲折や、具体的な内容までいつの間にかチェックされていたなんて。


 そして、なぜ越智さんが竹村係長と親しいの?

 越智さんは社長付きなので、所属部署は総務部となる。確かに席は社長の近く。つまり、経営企画部のすぐ近くにあるので、竹村係長とは接触はしやすいだろうけれど、二人が話しているところなんて見たこともない。


 竹村係長が私のことを気にかけてくれていると分かって、一瞬喜んでしまった自分が憎い。でも、越智さんと竹村係長の関係を想像してモヤモヤしてしまう自分はもっと憎い。


 私、どうしたらいいのだろう。


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