飛翔

 20××年、秋。某日。


『えー、本日未明、〇〇県T市路上にて、二人の男性が遺体で発見されました。警察の発表によりますと衣服の胸ポケットに入っていた手帳及び、現場付近に倒れていた男性の物と見られるバイクに書かれたロゴから見て、被害者は共に暴走族『関東梁山泊かんとうりょうざんぱく』の構成員と見られているようです。遺体は激しく損壊しており、鈍器で殴られたと見られる痕が複数残っていた模様です。警察は殺人事件と見て捜査を……』



 ♦︎



 死の崖に抉られ返り血に染まり、原型を成していないコートを羽織ったまま、ケントはフラフラと教会通りを歩く。

 幾人かの人とすれ違い、ケントは彼らの目に己が映っていないことに気付いた。誰とすれ違っても先ほどのような劣情や激情は沸きおこらず、コートにこびり付いたミハラの鮮血に向かって、ケントは時折礼を言いたくなった。


 疑問は尽きない。

 なぜミハラには自分が見えたのか。教会通りを行く人々には見えないのか。

 もし見られたとして、その人が悲鳴をあげたとして、自分は一体どうするだろう、と。


 ケントは、一旦鳴りを潜めたけだものが、また己の内でむらむらと唸りを上げ始めていることに気付いた。


 いつしかケントは教会通りを過ぎ、閑静な住宅街に入った。

 眉間に皺を寄せて戸口に打ち水をやる老女を、飼い犬のリードを引く紳士を、登校班の集合場所に次々と集まって行く、黄色い制帽を被った小学生たちを横切りながら、沸々と己の内に滾ってゆく激情を感じた。


 内から己の身を焼く獣は今にも暴れ出す寸前だった。自罰の衝動には駆られない。今の自分の体にそれをやっても意味を成さない。

 ギリギリと歯を食いしばりながら、赤と緑の混じったコートの袖を握り締める。既にボロ切れのようになったそれは肩口から容易に裂け、益々衣服の様相を呈さなくなる。脆い隠れ蓑もまた、今の彼には何の意味も成さなかった。


 誰か、誰か誰か、俺を止めて……この激情を受け止めてくれ……


「ケントさん……?」


 蚊の鳴くように小さく、自分の名を呼ぶ声がする。


 アヤカ。


 渇望してやまなかった声の主を、がばと顔を上げて見とめる。


 ……ケントは愕然とした。

 アヤカは、川越邸の裏口に呆然と立っていた。一切の光が消え失せた目と、亡者のような立ち姿は、かつて彼が彼女に寄せていたあらゆる幻想と、彼女が彼に抱いていたであろうあらゆる期待を全て打ち捨ててしまったことを言葉なく物語っていた。


 実際この時、アヤカの目に返り血に塗れたケントの姿がどのように映っていたかは定かでない。しかしケントは極めて都合良く、己の身を焼く激情をぶつけるに足る様々な要素を、彼女に見出したのであった。


 ケントの目に薄く赤光が灯る。

 意識的にか、無意識的にか、昨日虚ろに眺めていた車窓越しにユミコから受けた『誘惑』をそっくり模倣したのだ。

 アヤカは無言のままに、既に光の消え失せた目を一層暗く沈めて、呆然とケントに歩み寄る。


 焦れったくなったケントは悪鬼の如く凶暴な表情になって、だらりと力の抜けたアヤカの腕を強引に引き寄せて血塗れの懐に抱き竦めると、そのまま高く高く飛んだ。

 昨日共に入り、そこに彼女を打ち捨てたあの裏通りのカプセルホテルに向かって、破れたコートを翼のようにはためかせながら、真っしぐらに飛翔した。

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