人殺しの目

 ホテルリーガンTから川越邸とは逆の方向へ暫く歩くと、大きな洋館と洒落た喫茶店の立ち並ぶ教会通りへ辿り着く。

 昔からキリスト教が強いT市において、カトリックT教会の位置するこの通りは市のシンボルとも言える場所だった。


「ケントさん、大丈夫ですか?」

「んー……平気」


 アヤカが何か嘘をついていることを薄々悟りながらも、ケントは彼女と共に歩いた。足は自然とこちらへ向いた。何を考えているのか知らないが、屋敷へ帰りたくないことだけは何となく分かっていたから。

 アヤカに気遣われて初めてケントは、自傷行為と不規則な生活で衰え切った己の体力を呪った。


「でも、顔色が」

「ここじゃ目立つだろ」

「えっ……」


 アヤカは、ケントが自分の嘘に気付いていることをようやく悟ったのか、ビクリと肩を震わせた。


「ご、ごめんなさい……」

「いいよ……裏通りへ行こう。そこで聞く」


 教会通りを行く人々の視線が鬱陶しい。しかし無理もなかった。

 ケントの言う通り、この通りにおいて彼らは目立つ。美しい教会が聳える中心街を堂々と行ける小綺麗な人々の群れを横切るには、二人の若者は余りに見すぼらしかった。


 初めて目にした美しい教会通りへ、二人はあっという間に背を向けた。



 ♦︎



 二人は小汚い裏通りに入ってすぐ、目に付いた個人経営らしい喫茶店に入った。

 どんよりと重く沈んだような空気は心地良いものではなかったが、落ち着きはする。少なくとも教会通りよりはマシだ。

 二人がけの席に向かい合って腰を下ろすと、ケントは俯くアヤカの顔に目をやり声をかけた。


「もうちょっと綺麗な所の方が良かった?」

「い、いえっ、休めればどこでも……」


 そう、と相槌を打ちながら、彼女の心中を推し量る。一体自分にどうして欲しい?何の気なしに机上にあるメニューへ左手を伸ばした。


「あ……」


 アヤカが思わず上げた小さな声に気付き、ケントは袖が少し捲れて露出した包帯でグルグル巻きにした左手を、慌てて机の下に引っ込めた。一つの思考に没頭すると他が全てなおざりになってしまうのは彼の悪い癖だった。

 アヤカもまた慌てて言葉で取り繕おうとしたが、言葉が見つからず口籠る。

 沈黙する二人の席に、若い女性の店員がやって来て注文を聞いてきた。ケントは右腕をメニューに伸ばして取ってアヤカに渡すと、淡々と二人分の注文を済ませてまた黙り込む。


「……ケントさん」

「うん?」

「何から話せばいいのか分かりませんけど……その、とにかく私、嘘ついてここまで連れて来ちゃいました。ごめんなさい」

「謝んなくていいよ。それより理由を教えて」

「はい……えっと」

「無理なく話せる範囲でいいから。俺もこれのこととか、言いたくないし」


 そう言いながら、ケントは左腕を摩った。アヤカはそれを見てから、一呼吸置いて覚悟を決め、ゆっくりと言った。


「私、屋敷を出ようと思うんです。それで……ケントさん」


 続く言葉を予想した。そしてその予想はあっさりと的中した。


「一緒に来てくれませんか?」


 激しく脈打つ鼓動。ケントは青白く血の気のない自分の顔がほんのりと赤みがかるのを自覚し、慌てて窓の外へと顔を背けた。


 ……と、窓の外から店内を覗いていた男と目が合った。


「アヤカちゃん、出よう」

「え……?」


 アヤカは、窓の外を睨みつけたまま語るケントの只ならぬ様子に驚きつつ、自身も窓の外へ目をやった。そこにいたのは、昨日ケントが追い払った関東梁山泊の三人組。彼らの表情は恐怖に歪んでいた。

 恐怖の対象は、またも豹変していたケントの目。狂気を孕んだ四白眼。


 ケントは窓越しに三人を刺し殺さんばかりに睨みつけながら、アヤカの手を引いて足早に店を飛び出した。

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