被害者B
「くっせぇな、この部屋は」
好青年の仮面を脱いだケントの第一声は、糞尿の海に這い蹲るミツルをゴミを見るような目で見下しながら冷然と発せられた。
ユミコはそんなケントに歩み寄りモッズコートの袖を摘んで、この上なく愉快そうに笑いながら言う。
「ねぇねぇケントくん。さっきのあれ、今朝殺っちゃった子の内臓クッション代わりにして、ケータイ置いてムービー飛ばしてたんでしょ? 凝ったことするわねぇ、アナタ……」
「ゴチャゴチャとうるせぇな、てめぇは」
対するケントは心底不愉快そうに顔を歪ませ、ユミコの手を振り払い睨みつける。
「なんでここにいる? 余計な猿芝居させやがって、くだらねぇ。アヤカはどうした?」
「ウフフ、何怒ってんのよ……別にあの子の監視なんて仰せつかった覚えないわよ」
ユミコは理不尽な叱責を飄々と受け流して、その目に薄く赤光を灯らせてケントの目に流し込んだ。するとケントは途端に神妙な面持ちになって、目を閉じた。
……瞼の裏に、カプセルホテルのベッドで健やかな寝息を立てるアヤカの姿が映り込む。
「ね? とにかく大丈夫よ。あの子に何かあったら、すぐ私が駆けつけてあげるから」
「まぁいい……分かったからもう失せろ」
「何よ、ホント、急に厚かましくなったわねアナタ……」
「うるせぇってんだ、さっさと消えろ。遊び半分で俺の事情に立ち入って来んじゃねぇ」
狂犬のように獰猛な表情でユミコを怒鳴りつけるケントを見て、ミツルは驚愕した。
ケントの目に灯る光は、彼が魔女・ユミコと同じく「人間でない何か」に成り果てたことを証明している。
しかし、人はそれだけでこうも変わるものか。感化院でノガミに精神を破壊され、抜け殻となってこの屋敷に現れ、毎日毎日自傷に耽っていた無害な狂人の面影は、もうどこにも窺えなかった。それとも、これが本来のケントの姿なのか……
二人の悪魔はミツルを置き去りにして会話を続ける。
「もう、分かったわよ……じゃあ出てく前にもう一つ」
「あぁ? 何だ、今度は。いい加減に……」
「いいから目ぇ閉じなさい」
またユミコに見つめられたケントは怪訝な表情を浮かべて反抗したが、どうやら少し本気を出したらしい彼女には敵わず、否応無しに従わされた。ケントは悔しげに歯軋りをしつつ、その目を閉じた。
……瞼の裏に映るのは、今いる川越邸。視点は廊下を伝って徐々に男子邸へと移り、その内にある一室の障子戸をすり抜ける。
そこにある異様な光景にケントは驚き、微かに呻いた。そこには、アヤカを穢した養子たちが一様に虚ろな目をしたままに、ズラリと正座していたのだ。
やがて開かれたケントの目から、既に反抗の色は消え失せていた。ユミコはしたり顔でその目を見返す。
「フフッ、遊び半分でも役に立ったでしょ」
「……何のつもりだ?」
「別に、手間を省いてあげただけ。ちょっとした親切心よ……そ・れ・に」
ユミコは困惑して立ち尽くすケントの肩にまた顎を乗せ、声色を低く一変させて耳元で囁いた。
「私は私で、ここに用があるのよ」
……ケントは、この女がまだ底知れない何かを内に秘めていることを改めて確信し、背筋に悪寒を感じた。
そんな彼を他所に、ユミコは事も無げに「ウフフッ」と妖しく笑い、扉に手をかけて書斎を出た。そして最後に一度だけ振り向き、言った。
「後は、親子のお楽しみねっ」
バタン……
ユミコは行った。ケントは暫く立ち竦み彼女の真意を推し量ろうと試みたが、やめた。
そうだ、俺はそんなことをしに来たわけじゃない……
ケントは改めて、這い蹲るミツルに向き直り、ニタリと嗤った。
「さて、と」
「ヒッ……」
小さな悲鳴をあげ、糞尿の海を滑るようにして後ずさるミツルを他所に、ケントは部屋の一角を覆う本棚に手を翳した。ゴゴゴ……と鳴る重々しい音と共に、『秘密の地下室』への扉が開かれる。
続いてミツルの体に手を翳し、また元の椅子へと強引に押し戻す。彼の全身に付着していた諸々が飛び散るが、ケントはそんなものは意にも介さない。
「『肉の宴』だっけか……」
ミツルの目を正面から見つめるケントの目に、徐々に狂気の赤光が灯り始める。
「『あの方』だの何だの、気になる話の断片はあんたの頭から、もうちょくちょく漏れて来てる……ノガミ先生の時はちょっと、頭に血が登り過ぎてた……聞きたいことは山ほどあったのにな」
「は、話す……! ケントッ! 全て話すッ! だから、だから……」
「いやァ、いいんだ。やりながら、頭に直接聞くからさ」
唾を飛ばして見苦しく命乞いをするミツルに対して、ケントはヘラヘラと気の抜けた笑みを浮かべつつ答える。
そしてミツルの巨体を椅子ごと浮遊させ、地下へ続く階段の手前まで移動させた。階段を前にしてミツルは、いつも愉悦と共に降りていたそれが、決して戻り得ぬ地獄への道に見え、恐怖と絶望に打ち震える。
ケントはそんなミツルの背中に歩み寄り、冷然と言った。
「こんな程度で、アヤカと同じ景色を見た気になるなよ」
次の瞬間、ケントはミツルが身を預ける椅子の背もたれに無慈悲な前蹴りを見舞う。ミツルは小さな螺旋を描く暗い階段を椅子ごとゴロゴロと転げ落ちながら、体のあちこちを痛打した。
地下室の分厚い木の扉を前にしてようやく転落を止めたミツルは、痛みと恐怖のあまり完全に我を失い、ひっくり返されたゴキブリのようにジタバタとのたうち回ってどうにかそこから逃れようとする。しかし無駄なこと。体の自由は完全に奪われていた。
カツーン、カツーン……
ケントがゆっくりと、ミツルを蹴落とした階段を降りる。二つの赤光を目に迸らせ、口元に歪んだ笑みを浮かべながら淡々と語る。
「『老後は人生の総決算』だとか、誰かが言ってたな……アンタは今日こうなる為に、何年も、何十年も、熱心に下衆な行いを積み重ねて来たわけだ」
足音がミツルのすぐ側で止まり、直後に木の扉が押し開かれる。ギイィ……と、蝶番の軋む不気味な音。何度も聞いたそれが、今さら恐ろしくてならない。もう失禁するだけの水分すら枯れてしまった。
ケントは先に室内に足を踏み入れ、掌をミツルに向け軽く手招きするように動かした。
すると、グンッ、とジェットコースターのような引きを感じ、猛烈な勢いで部屋の中央に引きずり込まれ、止まった。胃酸が逆流して吐き気を覚える。
何となしに部屋を見回したケントは、昨晩アヤカがその身を横たえ、これまでも幾人もの肴が身を置かれてきたベッドを見つけるなり、凄まじい怒りと嫌悪感を覚えて猛然と蹴り飛ばし、粉々の木屑と化したそれが部屋の隅に散乱した。続いて分厚い木の扉に手を翳し、勢い良く閉ざした。轟音と共に、ミツルは体に残った僅かな水分を股間からたらりと漏らした。
部屋にいるのは、その中央で椅子に腰掛けるミツルと、バットを片手に持つケントだけ。ミツルが作ったこの部屋は忽ち、彼自身の拷問部屋と化した。
ケントは赤光を煌々と灯した四白眼をミツルに向ける。
「思い知れ」
言いながら、ツカツカと歩み寄る。
「お前の人生は……」
やめろ。
来るな。
やめてくれ……助けて……
「今日の為だけにあったんだ」
バットを目一杯振り上げた両腕の隙間から、満面に悪魔の笑みを湛えたケントの顔が覗いた。
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