男子邸の一幕
本邸を出たケントは、男子邸前の中庭にある池を眺めるユミコを見つけた。
ワインレッドのクローシェと漆黒のPコートを靡かせる秋風に運ばれてきたローズの香りが鼻を突く。
かつて同じように自分がしゃがみ込んでいた場所に当然のように佇んでいるユミコの立ち姿に、ケントは今更ながら違和感を覚えた。
「アラ、終わったのねケントくん」
ユミコはケントに気付くなり、また妖しく笑って声をかける。
「ウフフ……本命を二人とも仕留めたのに、随分元気ないじゃない」
「お前、全部知ってんだろう」
「まぁね……年季が入ってる分、力の使い方も上手いのよ」
口調と言い、服装と言い、時代錯誤の感が拭えないこの女。一体何年生きているのか。ケントはユミコの記憶を覗こうと試みるが、クローシェの裏に隠された彼女の脳内に入り込むことはできない。
「やめときなさい……言ったでしょう? まだまだ、私のことは教えてあげないわよ」
「気味の悪ぃ女だ」
「そんなことより、さっさとやりたいことやって次に行けば? ようやく分かったんでしょう。『あの方』とやらの正体が」
ケントは、全てを見透かしたようなユミコの赤い瞳に凄まじい嫌悪感を覚えた。
「ウフフ……心中お察しするわ」
こいつが言うと冗談にもならない。ケントは舌打ちしてユミコから目を逸らし、男子邸の一室へと足早に歩き始める。
♦︎
先ほどユミコに見せてもらった通りに通路を歩き、目当ての部屋の障子戸を微かに開けて中を窺うと、室内はそのままの状態だった。
中には、正座に慣れていないのかプルプルと体を震わせたり、必死に気力を保ってユミコの呪縛から逃れようとしている者もいた。一体何時間こうさせられていたのか。
人数は九人。全員男。『肉の宴』に加担していた養子たちであった。
そう確認するとケントは無遠慮に、ガラリと障子戸を開けた。
九人の男たちは一様にビクリと肩を震わせ、目に赤光を灯らせるケントの姿に見入る。しかし最早、ケントの目に狂気はない。虚脱の中で何かに突き動かされるように、ただ何となく、「あぁ、こいつらも殺さなきゃなぁ」などと、ぼんやりと思っていた。
すると。
「ケントさん……」
九人のうちで最も若い、感化院から出たばかりの、丸刈り頭の十七歳の少年が口を開いた。当然ケントよりも歳下だった。
彼と口を聞いたことはなかった。名前を呼ばれたのも初めてだった。
彼のことは、アヤカの記憶の中で初めて強く認識した。その舌が彼女の肌を伝う悍ましい感覚が蘇る。
まだあどけない顔で、上目遣いに、媚びるように許しを乞う彼の姿は、その全てがケントの狂気のトリガーとなった。
目に灯った赤光がより紅く強く色を増し、部屋中を染め上げてゆく。全員が恐怖に打ち据えられ、口を噤んだ。何か言おうとしていた少年も黙り込んだ。
ケントは思わず、くくっ、と含み笑いをし、その四白眼で容赦なく少年の姿を射抜く。
「お前、さっきまで大してビビってなかったから声出せたんだな」
少年は俯き、何も言わずにただブルブルと震えている。ケントには、彼の心の声が露骨に聞こえた。
「大丈夫、きっと大丈夫だ」、「流石に殺されやしない」、「だって俺、まだ子供だもん」、「みんなに乗せられちゃっただけだ」、「第一あいつは『悪魔の子』じゃないか。一番悪い奴のくせに偉そうに……」
ケントは最早怒りを通り越し、元気のいい奴だ、と呆れ半分に感心した。
「いい根性してるよ、お前は」
そんな言葉が口を突いて出た。少年ががばと顔を上げ、目が合う。赤光に満ちたケントの目を臆面なく見つめる彼の目には、早くも希望の光が灯っていた。ケントは堪えきれず、笑った。
「ハッハッハッハッハッ!!」
狂気染みた哄笑に少年はまたビクリと肩を震わせるが、その視線はまだケントに注がれている。
なんだこいつは……この屋敷にこんな奴がいたのか……
ケントは肩を揺すって暫く笑いながら、少年の脳内を覗き込む。
中学校のセーラー服をビリビリに破いて、泣き叫ぶ少女を集団で陵辱する少年の群れが映り込む。その先陣を切っていたのが、彼だったのだ。
他の連中の頭も同様に覗く。集団リンチに殺人、婦女暴行、放火、通り魔……誰も彼も、救いようのない罪状をその背に負っている。
ケントはそれらに薄々勘付いてはいたが、特に深く考えはしなかった。自分も似たようなものだから、と。
しかし『肉の宴』。あれが全てを一変させた。彼らが隠れてそんなことをやっていたことを、ケントだけが知らなかった。その間の、自分に対しての冷笑が、後ろめたさを綯い交ぜにした下卑た快感が、全て流れ込んでくる。
……ケントの決意は固まった。
「おい、ガキ」
「は、はいっ!」
非常にいい返事だ。丸刈り頭も含めて、まるっきり野球少年か何かのそれだ。
「くくっ……お前、気に入ったよ」
「え……あっ、はい! ありがとうございます!」
「よし。じゃあ、お前は特別に……」
よくもまぁ、こんなに目を輝かせて、元気な声を上げられるもんだ……
「一番最後に殺してやる」
「……えっ?」
少年はまだ、事態が掴みきれていないのか呆然とした表情で、集団の内の一人に歩み寄るケントを見上げている。
歩み寄られた男は何も言わず、ただただ哀願するように目に涙を一杯に溜めてケントの顔を見つめている。対して見下ろすケントの表情は、氷のように冷たいまま。
ガンッ、ベシャッ
一発目のバットが、一人目の頭に振り下ろされた。頭蓋が破壊され、脳漿が飛び散る。
大混乱に陥った室内から絶叫と悲鳴がこだまする。しかし彼らは一歩たりとも動けないまま、無慈悲な鉄槌が次々とその脳天を襲った。
ガンッ、ベシャッ
二人目。
ガンッ、ベシャッ
三人目。
ガンッ、ガンッ、ガンッ、ガンッ……ベシャベシャッ
四、五、六、七……
ガンッ、ベシャッ
八人目。
鮮血と脳漿が散乱し、目玉が飛び出した八体の骸を前にして、少年の目からは流石に光は消えていた。
それでも彼は、呆然とケントを見上げ、蚊の鳴くような声で言う。
「やめてください……」
「……なんで?」
「な、なんでって……僕、僕……何にも分からなくて……その、ご、ごめんなさい、ごめんなさい! だって僕、まだこの先……!」
「あー……もういい、もういいよ……ったく……くくっ」
ガンッ、ガンッ、ガンッ、ガンッ……ベシャベシャッ、ドロロッ……
九人目。鮮血と脳漿、目玉に舌、少年は全身のありとあらゆるものが外へ飛び出した、最も凄惨な骸と化した。
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