殺戮の朝

 川越の養女たちは女子邸にて一堂に会し、何か会話に花を咲かせるでもなく、呆然と朝のニュース番組に見入っている。


 流れているのは、ここT市の裏通りにおいて本日明朝惨殺された『関東梁山泊』の構成員の身元が判明した、というニュース。被害者は他ならぬ総長・美原慎二ミハラ シンジ


 ミハラと言えばこの川越邸の大先輩であり、かつては他の養子同様『肉の宴』の常連でもあった。

 肴として供された経験のある古株の養女は、その顔写真が映し出されると同時に背筋が怖気おぞけ立つ。かつてこの男に受けた陵辱の記憶がフラッシュバックする。

 ミハラは随分前にこの川越邸を出て古巣の関東梁山泊に戻ったが、ここ最近、ミツル、ノガミ両氏お気に入りの肴として連日連夜『秘密の地下室』に連れ込まれているアヤカに大層興味を持っており、遠からずアヤカはミハラの元へやられる予定だったという噂も流れていた。


 そのミハラが、殺された。

 そういえば、昨日から行方を眩ましているケントはどうなった? 今朝から姿を見せないアヤカも怪しい。一体何が起きている?

 そんなことより、アヤカが戻らなければ今度は自分たちが……


 室内を重い沈黙が支配し、テレビのコメンテーターの声だけが淡々と流れていた。と、その時。


「おはよう、お嬢さん方」


 出し抜けに聞こえた妖艶な女の声と、流れ込むローズの香り。養女たちは、一斉に部屋の入り口の方を振り向いた。



 ♦︎



 男子邸の養子たちを皆殺しにしても、ケントの気分は一向に晴れない。ミツルの頭から引きずり出したの正体は、それだけケントの精神に凄まじい衝撃を与えた。


 しかし、やり遂げねばならない……アヤカのために。


 ケントは覚悟を決め、ふわりと浮遊して本邸の屋根に登った。


 が、異様な光景を目にして、ケントは眉を顰めた。女子邸前の中庭にて、ユミコが数人の養女たちを血の海に沈め、残る一人を池に追い詰めているのが見えたのだ。



 ♦︎



「ひっ……! やめて、来ないでッ!」


 ユミコは赤光に満ちた目を氷のように冷たくして、今や残り一人となった川越の養女を、漆黒のPコートの懐に手を差し入れたまま、低く浮遊して悠然と追い詰める。

 養女は寝間着姿のまま覚束ない足取りで逃げ惑い、勢い余って池に落ちる。

 バシャバシャと水を掻き分けて、血眼になって逃れようとする彼女の目前に、侮蔑の眼差しを向けるユミコが迫る。


 と、そこへ。


「おい……何やってんだ」


 モッズコートを着た小男・ケントが降り立ち、ユミコに立ち塞がった。池の中でもがく彼女は、その姿を見とめて驚き、目を丸くした。


「女の始末は女の役目よ。アナタの出る幕じゃない」


 ユミコは鼻で笑い小首を傾げ、その目を一層冷たくしてケントの諫言かんげんを一蹴する。ケントは怪訝な顔をして、ユミコに問いかける。


「お前の目的ってのは、ここの養女を殺すことか……? 何のために?」

「ハァ……全くお子ちゃまは、何にも分かっちゃいないのね」

「あぁ? 何だと、てめぇ……」

「よく見なさい、その子を。


 ユミコに促されるままに、ケントは池の中に半身を浸けて、小刻みに震えながら自身を見上げる彼女の姿を見た。彼女の記憶が脳裏に飛び込む。


 ……それはかつて、彼女が『肉の宴』の肴であった頃の記憶。

 ミツルの手が、ノガミの舌が彼女の肢体を這う。先ほど殺戮した養子たちの怒張した男根が、次々に突き入れられる。ケントは吐き気を催し、彼女に対してアヤカに抱く同情と似た感情が芽生えるのを感じた……が、その直後。


 アヤカの顔が、その儚げな姿が、彼女の視界に飛び込む。ノガミに手を引かれ川越邸の門を潜る彼女を、ミツルが、養子たちが迎える。『肉の宴』の肴はその日から、アヤカに変わった。彼女の心情が流れ込む。


 あぁ、良かった。これで私は自由になれる……


 ……記憶の流入はそこで途切れた。


 改めて、池の中に身を沈める彼女の姿がケントの目に映る。今ならその正体が見える。アヤカ以外の養女をまともに観察したのは初めてのことだった。


 汚い。


 ケントはそう思った。内に滾るけだものが暴れ出すのを感じた。


 ……しかし、その獣は先ほどミツルや養子たちに牙を剥いたそれとは、全く違うものだった。

 薄い寝巻きが池の水に濡れて、くっきりと露わになる肢体。かつてミツルたちに穢された胸や腰、その秘部。麗しい濡れ烏の髪から、水滴がポツポツと滴る……

 ケントは、至羅浜しらはまからT市に戻ってすぐ目にした女に掻き立てられた劣情を、そしてアヤカをさえ穢そうとした劣情を思い出した。


 ケントは、無我夢中でコートの袖を捲り上げ、ためらい傷の消えた手首に思い切り噛み付いていた。緑色りょくしょくの液体が傷口から溢れ、ボタボタと中庭の草へ滴り落ち染み渡る。


「ヒッ……!?」


 池の中の養女は悲鳴を上げ後ずさった。

 当然だ。異常である。奇行である。目の前のケントはかつてのケントではない。悪鬼のような表情で自らの体に噛り付き、そこから虫の血のような気味の悪い体液を垂れ流す、得体の知れない、悍ましい珍獣である。

 対照的に、宙に浮いてケントの奇行を眺めるユミコは、心底可笑しそうにせせら笑った。


「ウッフッフッフッ……滑稽ね」


 手首から口を離したケントが、荒い呼吸を肩で整えながら、悪鬼の形相はそのままに振り向き、ユミコを睨み付ける。その目には、微かに涙すら浮かんでいる。口元に付着した体液が煙となって吹き上がる。


 ユミコはそんなケントに、妖しい笑みを一切崩さずに問いかける。


「どうしてそれだけは嫌なの? 男はゴミみたいに殺す癖に」

「俺はこんな女に一々……自分てめぇ自分てめぇに噛み付いて抑えなきゃいけないほど欲情するような、気色の悪い獣じゃなかった……」

「言ったでしょう。それが悪魔の力を得た代償なの。。アナタはその欲望の捌け口を、人間だった頃の価値観で選んでいるだけ」


 自己嫌悪か、迷いか。ともかく悶え苦しむケントに、ユミコは冷徹に「真実」を突きつける。

 ノガミを、ミツルを、あれほどに甚振いたぶったのは何のためか。最も憎むべき相手を殺さなかったのは何のためか。

 思い出せ、思い出せ……本能からの指令を……

 答えが出ない。いいや、出したくない。認めたくない。自分は奴らとは違う……


「まぁ、そんなに嫌なら我慢なさい。勝手にね」


 呆れ返ったような口調で吐き捨てるユミコを、ケントは憔悴しきった表情で見上げる。

 二人の視線が再び交錯する。すっかり気力が失せて虚ろになったケントの目を見て、ユミコは赤光に満ちた目を糸のように細め、恍惚とした微笑を浮かべつつ言った。


「あの部屋に帰ったら、私がじっくり相手してあげるわ。アナタを責任をとってね……ウフフ。やりたいようにやればいいのよ。誤魔化しは捨ててしまいなさい」


 誤魔化し……誤魔化しだと。

 違う、そうじゃない。俺がここに帰ってきた理由は、誤魔化しなんかじゃない……


 答えの出ぬまま、ケントはがむしゃらに飛翔した。緩やかに浮遊するユミコを、川越邸の本邸を軽く飛び越えて、高く高く飛んだ。

 ユミコはその背を興味深く見守る。ケントの飛び去った先は、裏通りではなく、教会通りだった。


 馬鹿な男……どうせ永遠に苛まれるのに、なんで今抑え込む必要があるのかしら。

 まぁ、どうせそう長くは続かないでしょう。どうせ彼も、その内……


 バシャバシャと池の水を打つ音に、ユミコはふと物思いから目を覚ます。対岸まで辿り着いた養女が、水浸しの背を向けて必死で逃げ去ろうとするのが見えた。

 ユミコはまた瞳に赤光を灯らせると、フワリと池を、彼女の頭上を飛び越えてその眼前に着地し、あっさりと退路を塞いだ。


 養女はただでさえ水浸しになった顔を涙でグズグズにして、地べたにへたり込み喚き散らした。


「もう……もうっ! 一体何なの……何なのよぉっ……あんたと言い、ケントと言い……アヤカは? あの子は、今どうして……」

「何も知る必要はないわ……お得意でしょう?」


 瞬間、懐から手を引き抜いたユミコの手元から、養女の首筋に向かって一筋の閃光が走る。


は……」


 ぷしゃあっ、と間抜けな音を立てて、ぱっくりと口を開けた首筋から噴水のような鮮血が迸った。

 ユミコは、ビクビクと痙攣しつつ地面に倒れ伏した養女の骸を、懐から走らせた刃に似た鋭く冷たい目で暫く見下ろす。


 朝靄あさもやが晴れ、朝日はいつもと同じく川越邸に燦々と降り注ぐ。照り映える池の水面はまだ少しさざなみ立っていたが、屋敷はいつもより一層静かに朝を迎えた。

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