T市裏通り

 S市エスし児童殺害事件。

 所謂「悪魔の子事件」の六年後、T市隣のS市で、小学校卒業を目前に控えた子供が起こした殺人事件だ。


 犯人の名前は明かされなかったが、愛らしい少女だったという。被害者もまた少女だった。

 被害者の少女が好きな男子が、加害者の少女を好きになった。加害者の少女にその気は全くなかったが、彼女はそれからイジメの標的になった。彼女を好きだったという男子はしかし、彼女に手を差し伸べはしなかった。


 少女はインターネットに没頭した。自身と似通った境遇を持つ者と繋がり、盛んに報復を唆された。彼女は激情のままにある日、イジメの中心に立っていた一人の少女に向かってナイフを振り回し、殺した……



 ここまでは、よく知られている流れである。その加害者こそがアヤカだと言うのだ。


「私、あの時はああするしかできなかった……相手の子への怒りで、頭がいっぱいになってたんです」


 カプセルホテルの粗末なベッドに二人並んで腰掛けながら、アヤカはケントと目も合わせず、俯き、ぼそぼそと語る。


「分かるよ」


 ケントは言った。実を言うと、ケントはアヤカがその犯人ではないかと予想していたのだ。ミツルは少年犯の更生に熱心な篤志家だが、実のところ世間的に注目度の高い事件の加害者しか助けていない。その傾向に、ケントはミツルの元に身を寄せてすぐに気付いていた。

 それからケントは、アヤカを含む養子たちの過去の罪状が何なのかは、大体の予測を立ててしまっていた。


 それに、ケントもまた前科者。格段の異常者でなくとも、悪条件が重なれば誰しも犯罪者になり得ることは身に染みて分かっていた。ケントが格段の異常者でないかどうかは別として。


「ケントさん……」

「ん?」

「ケントさんは、何をしてあの屋敷に?」

「俺? 俺はね……」


 ケントは暫く考えて、言った。


「食い逃げ」

「く、食い逃げ?」

「うん。昔からアウトローに憧れててさ……」


 それからケントは目線を上げ、身振り手振りをまじえて、やけに饒舌に語り始めた。


「一番可愛い、世間に憎まれない犯罪って何だろ? って考えてたら、食い逃げに行き着いた。友達何人かと自転車乗ってさ、ラーメン屋とか、バーガー屋とか、回んない寿司屋とか、もう色んなとこ食い逃げして回ったね。『食い逃げ自転車旅団』なんて名乗ってさ、規模もどんどん膨らんで、被害総額、結局いくらになったか分かんない。俺、それの主犯だったんだ。だから結構、罪重かったよ。食い逃げの割には……」


 アヤカはケントが語り始めてすぐにクスクスと笑い出し、語り終わる頃には腹を抱えて大笑いしていた。ケントはそんなアヤカの横顔を見て、満足げに微笑んだ。


「なんてね」

「クスクス……面白い……」

「川越邸にいる時、ずっと考えてたんだよ。こんな罪状でとっ捕まってここにいるんなら、どんなにいいだろうって」

「うん……分かります。その気持ち」

「俺のホントの罪状はね……やっぱ、言えないわ。ごめん。なんか、ちょっとまだ言えない」

「えぇ、大丈夫です……」


 二人の間に沈黙が流れた。しかしそれは重苦しいものではなかった。互いが互いを気遣うが故の沈黙。お互いがお互いの意図を悟った上での沈黙。二人の心は、どちらもこれまでに体験したことが無いほどに安らいでいた。


「ケントさん」

「うん?」

「嘘ついて、呼びつけて……危ない目に遭わせてごめんなさい」

「いいよ、楽しかった」

「……それで」

「そろそろ帰ろうか?」


 また、沈黙。今度は、ケントはアヤカの真意を測りかね、少し不安になった。お互いの心を通わせ、遥かに親しくなれたと思った。ケントはこれで満足だった。しかし……


「私、やっぱりあの屋敷には帰りたくないんです」

「……なんで?」


 アヤカはケントの腕を掴み、潤んだ目でその目を見た。ケントは驚き、身震いした。


「ケントさん、お願い。私と一緒に来て下さい。二人で、どこか遠くへ行きたいんです」



 ♦︎



「まぁ〜〜〜……だ、見つかんねーのかよッ!!」


 ボグッ、と鈍い音が鳴り、メリケンサック付きの拳で殴られた男がうめき声を上げつつ昏倒する。


「す、すんません、美原ミハラさん……」


 倒れた男は口からボタボタと血を流し、明滅する景色に懸命に目を凝らし、自身を殴った男の影に目を凝らして謝罪を口にする。


「謝って済むならケぇーサツはいらねーのッ! もぉ〜〜っ……! ホンット、お前らってば役立たず! プンプン! プンプーンだっ、お前らって奴は!」


 禿げ上がった剃り込み部分の目立つ坊主頭の、如何にも悪相の大男が、やけに甲高い声でおどけて見せながら、謝る男の腹に向かってさらに二発、三発と蹴りを入れる。


「ヘッヘッヘッ、お勤めが長過ぎて言葉選びが化石になってんぜ、ミハラよぉ〜」

「あッ、毛利モウリさんチッス!お疲れッス!」


 モウリと呼ばれた中年の男は、オールバックに黒服と如何にもその筋の男といった格好だが、顔つきはそこらのサラリーマンと変わらない、ごく優しげな面立ちだった。


「ま、その辺にしとけや。殺しちまったらまたお前、穴掘りしなきゃいけなくなるぞ」

「いやぁ〜ンそりゃ勘弁! 畑仕事はムショでコリゴリっスよぉ〜……」

「おい、ツジ……」


 モウリが倒れ伏した男・ツジに向かってしゃがみ込み、声をかけた。


「へ、へい……モウリさん、すいやせんでした……」

「いやァいいんだ。さっき丁度屋敷へ行ってよ、ジジイから言付けがあったんだよ」

「言付け……?」

「そ、暫くは手ぇ出すなってよ、あの女に。何かに使うんだと」

「えぇ〜ッ! そんなぁ! 俺らお預けっスかぁ〜?」

「あー我慢しろってミハラ……それが終わったら、もう好きにヤっちまっていいみてぇだから」

「マジっすか! やりィ! 自分、一番頂いてイイっすか? ね、イイっすよね!?」

「あーあー、好きにしろよ」

「イヤッフウゥゥゥゥ!! 楽しみだずぇぇーーーーい!」

「まぁ結果的に、コイツがしくじってよかったわけだわ。これから捜索願が出て、ジジイ達が直々に迎えに来る。俺らはその後だな……」


 ケントとアヤカの逃げ込んだ、T市裏通り。そこは関東梁山泊と、その後ろ盾である暴力団・美作組ミマサカぐみの巣窟だったのだ。

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