無垢なる殺意

 戦いは、余りにもあっけなく終わった。

 暗い寝室の中で二度バットを振り下ろし敵の頭を二つ叩き割る感触は、スイカ割りのそれとよく似ていた。

 部屋が暗すぎて敵の頭がどうなったのかはよく分からなかったが、ケント少年はともかくバットを捨てて部屋を出た。


 敵を倒したケントの足は無意識に、リビングのソファに向かっていた。そして明かりを消さずに目を瞑ると、驚くほど簡単に眠りに落ち、次の瞬間には朝だった。

 これまで何度となく眠れぬ夜を過ごし、錯乱するままに暗闇に慣れた目に映る、敵に与えられた屋根裏部屋の景色がグルグルと渦を巻く感覚に酔い痴れ、そのままフラつく足取りで学校に行くのが、ケントの日常だったのに。


 それがこうも簡単に壊れるのか? ただスイカを二つ割っただけだ。いや、本当にそうか? ケントは訝しんで、夫婦の寝室を覗き込んだ。

 彼らはいつも通り裸で、重なり合ったまま寝ていた。が、その枕元に大嫌いな二つのスイカは無かった。代わりに真っ赤な液体が広がり、その中身が散乱し、血濡れのバットも落ちていた。


 ケントはホッと胸を撫で下ろし、生まれて初めてこんな言葉を口にした。


「いってきまぁす」


 日常は、壊れてくれた。今日も、神父のおじさんと会えるかなぁ。



 ♦︎



 いつもと同じ道を通って幼稚園へ向かうケントは、その先々で見たことのない光景を見た。

 水田を泳ぐカブトガニや、石垣を這うアリの群れ、彼らに運ばれる瀕死の芋虫のもがき苦しむさま、それらを無邪気に捕まえて狭苦しい虫かごに放り込んでは殺し尽くす、まだ幼稚園に入っていない年下の子供たち。


 全てを当たり前に受け入れられた。世界はケントの前に輝いていた。


「やぁ、ケントくん」

「あ……」


 突然背後から声をかけてきたのは、シミズ神父。ケントはさらに爛々と目を輝かせて振り向いた。


 おじさん、僕、戦ったよ。勝ったよ。僕を見て、今の僕を……


 が、そんなケントの目に映ったシミズの表情は、死んだように虚ろであった。


 なんで、どうして……


 困惑するケントに視線を合わせるように、シミズはゆっくりと腰を折ってその肩に手を置き、言った。


「君の戦いはまだ終わってない」


 ケントの頭は、また昨日と同じにグルグルと回り始めた。輝いていた景色が翳り始める。突っ立ったまま、足元が覚束なくなるのを感じた。


「このままじゃあ、君は捕まるぞ。そうなれば、もう身動きが取れなくなる」


 シミズの続く言葉が、ケントには予想できた。機械のようにそれを口にする。


……?」

「そういうことだ」


 満足げに微笑むシミズの表情に、えも言われぬ安心感を覚えた。

 立ち去る黒い背中を、今は安心して見送れる。背中が見えなくなるまで立っていよう。見えなくなったら歩き出そう。僕が行くべき戦場に。


 戦い方はもう分かっている。

 ただ、叩き割ればいいのだ。僕は子供。無邪気な動物のままであればいい。

 殺さなくていい相手でも、殺す。殺していい。僕はシミズの言葉に共感したわけではなくとも従っている。


 ただ導かれるままに、殺せばいいのだ。

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