悪魔ふたり
発散を終えたユミコは隣室の戸を開け、毛利組事務所へと足を踏み入れた。
血と臓物の海の中で、同じく発散を終えたケントはくあぁ、と大あくびをしていた。
その手前には、かつてモウリ組長であったものがあった。木屑、鉄屑と化した机と一体化した、室内で最も不恰好で、ある種の前衛芸術作品のようなそれを前にして、ケントは眠たげに目を擦りつつ、部屋に入って来たユミコに視線を投げた。
ユミコは彼の発散の痕跡の激しさと、それとは真逆の余りに無防備な立ち姿に苦笑し、声をかけた。
「眠そうね」
「死にやしねぇのに欲望に際限がないってのは、不便なもんだな」
「まぁ、眠くなるのは健全な悪魔の証よ。よく言うでしょ、『悪い奴ほどよく眠る』ってね」
「知らねぇよ。大体
「ヤボねぇ……女にその質問はタブーよ」
ケッ、と吐き捨てるように言うと、ケントは踵を返してビチャビチャと血の池を歩いて事務所の扉を開け、階段を降りていった。ユミコは黙って、それに続いた。
裏通りに出ると、ビルの前には風俗店の経営者や水商売女など、裏通りの住人たちが野次馬となって人垣を作っていた。
無理もない。銃声と罵声、悲鳴と怪音を散々に鳴り響かせた、余りに無造作な犯行だったから。
しかし実行犯たちが堂々と正面から出て来ても、彼らの目にその姿は映らない。
やがて急行して来たパトカーがけたたましいサイレンを鳴らして人混みをかき散らすと、ビルの前に停車した。
出て来たのは案の定と言うか、悪徳刑事イノガシラとその子分たちだった。刑事たちは用心深く懐から拳銃を取り出すと、そろそろとビルの中へ入って行く。
悪魔二人は、まるで他人事のように彼らを素通りして裏通りを歩いて行く。
ユミコが、先を行くケントに声をかけた。
「ねぇ、ケントくん」
「あぁ?」
「とりあえず、一件落着ね」
「まぁ、そうだな」
「次はどうするの?」
ケントは気怠げに振り返った。目の下に大きなクマができている。土台悪魔には、眠る必要などない。しかし睡眠欲は湧く、奇妙な存在である。寝る間を惜しんで夜通し殺し続ければ、自然こうなる。
ユミコは、ようやく悪魔として見事に完成した彼の姿に、言いようもない悲しみと喜びを同時に感じて、沈黙した。
そんなユミコの心情を目敏く見抜いたケントは心底鬱陶しそうな顔をしてグシャグシャと頭をかき、言った。
「どうもこうもあるかよ。帰って寝る。お前の部屋だ。その後、相手しろ。そういう約束だろうが」
どうやら彼は、自分が悪魔であること、際限なく沸き立つ欲望に身を任せること。それらを、もう完全に受け入れてしまったらしい。ユミコは悲しげに微笑み、答えた。
「そうね……でも私が聞いてんのは、その後の話よ」
「後……? あぁ」
ケントは思わず苦笑した。要するに、誰を殺すか。そういうことだろう。
「もう、あのコに関わる奴らの始末は済んだでしょう……次は誰にするの? どうせなら、
「どうでもいいよ、そんなもん」
どうせなら楽しめ、と気遣ったつもりのユミコの身振り手振りを交えた言葉を途中で打ち切り、ケントは言い捨てる。
「何十年何百年生きてんだか知らねぇが、長生きしてると
口元に歪んだ笑みを残して、ケントはまたユミコに背を向ける。
「気に入らねぇ奴は、皆殺しだ」
睡魔にやられて力の抜け切った声のままそんなことを言って、ケントはふわりと飛翔した。行き先は、至羅浜霰弾壁の廃屋。ユミコの部屋。
ユミコは暫く立ち竦んでその背を見送っていたが、やがてフッと嗤って飛び立ち、その後を追った。
善と悪の狭間を、理性と狂気の境目を、生と死の彼岸を二十余年、人としてひたすらに彷徨いに彷徨った『悪魔の子』はかくして、文字通りの『悪魔』へと変容を遂げた。
しかし彼は気付いていない。己を誘惑し堕落せしめた魔女・ユミコが胸に秘めた幾つかの隠し事の中に、余りに重大なものが混じっていることに。
かなぐり捨てて尚後ろ髪を引く人としての過去を、想いを、無理矢理に振り切って、ケントは昼夜を問わず魔道を行く。
悪を隠匿する暗闇を狂気の赤光で切り裂いて、行く先々で
深緑のモッズコートが風に靡けば、毎朝毎夜、誰かの耳に悪魔のささやきが聞こえる。
『ツギハオマエダ』。
聞こえたならば、覚悟を決めろ。
---「悪魔のささやき」、続く。
悪魔のささやき 大家一元 @ichigen
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