終幕
魔道への序曲
やっつけ仕事
夜も白み始めたT市裏通りにある一つの殺風景なビルに、十数台のバイクが静かに乗り付けた。全員がフルフェイスのメットを被っていたが、降りるや否や悉くそれを取り悪相を露わにして、その表情に緊張を走らせて
ここは、
所内もまた、バタバタと慌ただしかった。昨夜T署前にて、圧倒的な異能をまざまざと見せつけ警察を散々に嘲弄して去った「悪魔の子」から「死の宣告」を残されたモウリは、最早警察に頼る道を失ったと悟って事務所へトンボ帰りし、本部への連絡もそこそこに、一睡もせず逃亡の準備を大急ぎで終えていた。
子分に当たる関東梁山泊の主要構成員たちにも、すぐに連絡をした。首領のミハラを呆気なく撲殺された彼らもまた他人事ではなく、一緒になって逃げ
毛利組、関東梁山泊、その連れ合いの女たちしめて五十名余りが、たった一人の小男からの「死の宣告」に怯え切って顔面蒼白となり、この小さなビルにひしめき逃亡を企てているのだ。
中でも直々にその姿を見て、宣告を聞いた張本人であるモウリの怯えっぷりは常軌を逸していた。普段は如何にも悪党の親玉らしく、何事にも泰然として小悪党どもに慕われていた彼が、昨晩事務所に駆け込んで来てからというもの血相を変えて自ら机をひっくり返して取るものも取らず、手下や女を手当たり次第に呼びつけてその手伝いをさせ、小さな不手際で支度が遅れそうになる度にヒステリックに喚き散らした。
子分や女たちも一連の怪事件はそれぞれ聞いていたし、怯えてもいたが、当の親分のあからさまな醜態に、「化けの皮が剥がれた」と失望してもいた。ヤクザなど、所詮どこまで行ってもチンピラに毛が生えたものに過ぎないのだと知り、逃げ去った先で仮に生き延びたとしても、一体自分たちにどんな余生が待っているのだろうと暗澹たる心持ちで、それでも尚ケントへの恐怖から彼に従わざるを得ないのであった。
やがて階段を駆け上がってきた珍走団の面々が辿り着くと、モウリは「遅いッ!」とまた怒鳴り散らして机を蹴飛ばし、そのうち一人の頬に渾身の拳を叩き込んだ。
しん、と静まり返る事務所で、モウリの荒い息遣いだけが聞こえる。珍走団連中もまた、全員モウリに失望しきった。しかしモウリは今や、生き延びることへの執着以外はてんで頭から消え去っていた。
「よしっ、ある程度揃ったな……ハァ……すぐ行くぞッ! てめぇら、車を出せッ! 関東梁山泊は車の周りを八方固めて並走しろ! 本部まで辿り着けば、どうにか……」
……どうにか、助かる筈だ。
何の確証もない。だが、今はもうその僅かな希望に縋るしかなかった。
指示を受けた子分たちは無言で事務所を出て、ビルの車庫に向かいその筋お約束である黒塗りの運転席に乗り込み、エンジンを炊いた。
モウリは幹部連中と珍走団、それに女たちに周りを囲ませ、そろそろと階段を降りて車庫へと向かった。目前に車庫への錆びた
と。
ぎゃあぁぁぁぁああああ……
鉄扉の向こう側から、断末魔がこだました。モウリは「ヒィッ」と悲鳴を上げて腰を抜かし、慌ててその背を支えた幹部に向かって震え声で指図した。
「も、戻れ、戻れッ……」
が、全ては無駄な足掻きだった。モウリの脳内に、またあの声が響く。
『よう、親分』
ギイィ……と、階段下の鉄扉が不気味に軋みつつ開く。
昨晩見たあの恐ろしい赤光がそこから血のように漏れ出て、それに続くように、モッズコートの小男がゆっくりと歩み出てきた。
「ひぃあぁぁぁぁああッ!! は、早く、早く戻れッ! 戻れーーーーーーーーーッ!!」
本能的に、ケントと目を合わせるのを何より恐れたモウリが目に涙を滲ま鼻を垂らしながら絶叫し、ジタバタと四つ足になって先ほど下りたばかりの階段を駆け上がる。
赤光迸る狂気の四白眼を真向かいに見てしまった子分や女たちもまた小さく悲鳴を漏らして一人残らず腰を抜かしてしまい、互いに押し合いへし合い、一人は手すりにしがみ付いたり、また一人は壁にへばり付いたりしながら我先にと手足を駆使して、親分に続いて事務所に戻る。
余りの見苦しさに、ケントは思わず苦笑した。親分か子分か、はたまた女か、誰かが漏らした尿が階段から垂れてくる。
「汚ねぇな、全く……」
ケントは一人愚痴ると、片手に血の滴るバットをだらりとぶら下げるように持ち、片手はコートのポケットに突っ込んだまま、汚物を避けつつ悠々と階段を踏み締め、その後を追った。
♦︎
今や無駄に終わった逃げ去る準備でぐちゃぐちゃに散らかった事務所に舞い戻ったモウリは、一目散に奥の部屋に駆け込もうとした。が、後から入ってきた女たちに突き飛ばされて床にすっ転がって、その隙に女たちは疾風のように奥の間に殺到して扉を閉め、鍵をかけた。
どうもこういう非常時の逃げ足は、女の方が早いらしい。取り残されたモウリは扉をドンドンと叩いて「開けろ、開けろォ!」と絶叫したがすぐに諦め、また床を這いずって普段どかりと腰掛けていた特等席の机の下に潜り込み、頭を抱え
階段から、事務所の中から、鈍い音が鳴っては子分や珍走団どもの断末魔がこだまする。別室に逃げた女を除く四十余名の悪漢たちが、まるでゴミのように葬り去られて行く。
ケントは歪んだ笑みを浮かべながら夢中でバットを振り回し、逃げ出そうとしたり、命乞いをしたり、細やかな抵抗を試みたりする悪漢どもの脳天を次々と叩き割った。銃声が鳴っては自身の体の一部を貫き緑色の液体が散乱したが、痛みは感じない。
殺せば殺すほど、返り血に
気付けば事務所は、静寂が支配していた。
脳漿と鮮血、悪漢どもが死の間際に垂らした糞便が床に散らばり混じり合い、惨たらしい骸が狭い室内にひしめき合っていた。
モウリは既に失神しかけていたが、べしゃり、べしゃりと汚物の海と化した床を歩く悪魔の足音が近づくにつれ、その意識は鮮明になった。
やめてくれ、やめて、やめて。
ーーーーあぁ神よ、俺を、いや、ええっと、我を助け
「くくっ」
悪魔はモウリが蹲る机のすぐ側で立ち止まり、嗤った。
「お前も
モウリは震えるばかりで、何も言えない。無限に漏れ出る糞尿が、遂に机の下から溢れ出る。
「アッハッハッハッ……
ハァ、とため息一つ、ケントは机に向かって高々とバットを振り上げ、言った。
「全く、締まらねぇな……仕上げの相手が、一番つまらん奴だとは」
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