見知らぬ闇の中で

 無意識に、非常に無意識のうちに、ケントはユミコに手を引かれるままに闇の中を歩いていた。


 至羅浜しらはま駅の無人のホームを過ぎてからは、視界を覆うものは闇。肌を打つのは、見知らぬ場所の見知らぬ夜を吹き抜ける、刺すように冷たい風。

 確かなものは、ユミコの細く冷たい手の感触とローズの香り、そして瞳から放つ赤光しゃっこうが僅かに照らす、ワインレッドのクローシェのみ。

 漆黒のPコートは闇に紛れて見えず、手汗一つ滲まない人間味の欠けた彼女の手は、時折その感触を忘れさせる。

 ケントはただ己の足で、赤い鬼火に導かれるままに闇を歩んでいるようにも感じる。


 何のために? 何処へ行く?


 暫く歩くと、不意にユミコが足を止めた。

 ギイィ、と不気味な音が鳴り響く。腐った雨と朽木の臭いが、ローズの香りに混じる。ケントは、ユミコが粗末な木の扉を開いたことに気付いた。


 無明の闇の中、ギッ、ギッ、と、朽木の床を踏みしめる足音が響く。やがてその後に続くケントの足元からもその音は鳴り、腐食した床板はその都度、彼の足を少しばかり飲み込む。


 赤光に照らされたワインレッドのクローシェが下へ下へと降りてゆく。階段か? と思った瞬間、ユミコはふと立ち止まって振り返る。二つの赤光が目の前に浮かび、白い美貌と赤い唇が照らし出されて闇に浮かび上がる。ケントは「恐怖」を思い出した。


「階段よ。気をつけてね」


 言われるがままに、ケントは用心深く足を踏み出す。

 沈んでゆく。引き摺り込まれているのか、自分から進んでいるのか。

 得体の知れない女の手の感触を時々思い出しながらも、何処にいるのかも知れない自分自身としか、ケントは話そうとしなかった。

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