十七話 騎士の誓い

「――ごめんなさい」


 医務室について王女をベッドに横たえ、エリンがこぼした第一声がそれだった。


「なぜ謝るのです」

「あなたの助けになりたかったのに……こんな様で。私はいつも足手まといですね」


 いえ、とウィルガンドははっきり否定する。


「あなたは強い人です……私などよりよほど」


 あれだけ辛く当たり、拒絶し突き放したのに試合中はずっとウィルガンドの無実を訴え続けていた。己の無力さを知りながら駆けつけてくれた。

 血の一滴から精神のよりどころまでもが憎悪だけで構成された自分では、その意思の気高さは足下にも及ばないだろう。


「そんな事……もっと早く割って入るべきだったのに、恐ろしくて動けなかったというのに……こんなに至らない私が強いなんて」

「私が同じ立場だったとしても、あなたのように行動は起こせなかった。いざという時我が身を顧みず他者のためになげうてる強さは、試そうとしてできるものではありません」


 鼻をすするエリンに思うままを語る。それに、と続けて。


「あなたに無礼を働き、あまつさえ剣をも向けた私は……本当ならばあなたを守る資格などない。ですがもし許されるのなら、もう一度チャンスを与えていただきたい」


 くす、とエリンはかすかに吹き出し。


「許すも許さないも……私がどう言おうと、あなたは私の元から離れるつもりはないのでしょう? 分かっています」


 ぐうの音も出ない。そう。どのみち復讐に必要不可欠なエリンは手放せないのが実情だ。


「あなたの身を削るほどの願い――復讐については何も言いませんし、とがめもしません。ただ、できるならこれからは、もっとお話をしましょう。何もない、他愛のない話をしましょう。あなたの事を、もっと知りたいです。私の事も……知って欲しいです」

「……それがエリン姫の望みなら否やは言いませんが」

「あ、その口調もいつものようにして欲しいです。その方がウィルガンドらしいですから」

「よろしいのですか……?」


 ここでは不敬も何もないですし、とエリンは弱々しく笑う。


「ぼろぼろですね、私達」

「……ああ」

「お互い、失うものはなくなりました。これからは騎士と姫ではなく、対等の関係で支え合っていきましょう。どれだけ滑稽でも、みっともなくても、諦めずに、あがきましょう」


 王女の目元は潤み、けれど涙はこぼす事なく、こらえるようにくしゃくしゃな笑顔。ウィルガンドはふと幼かった頃、転んで痛くても我慢して笑っていたエリンを思い出し、久しく忘れていた自然な笑みがわずかにこぼれた。

 二人ともどうしようもなく手負いだけれど、再会してようやく、初めて気持ちが通じ合った気がする。復讐を否定せず、受け止めてくれるのなら――ウィルガンドも同じように、エリンと向き合ってみたい。

 今はふと、そう思えた。


「お邪魔だったかしら」


 と、ラセニアとシルファが仕切りを開けて個室に入ってくる。エリンは驚いたようだが、少し前から二人の気配を察知していたウィルガンドは大儀そうにそちらを向いて。


「盗み聞きとは感心しないな」

「二人の間に横やりを入れるのもどうかと思ったのですもの」


 悪びれもせずラセニアが肩をすくめ、その傍らから半歩歩み出たシルファが、両手に抱えていたウィルガンドの剣を差し出して来る。


「恐れながら、ウィルガンド様の武器を回収して参りました。遅くなり申し訳ありません」

「いや……ありがたいよ。――こうやってあんたから受け取るのは二度目だな」

「エリン、足を怪我したみたいだけれど大丈夫? いつの間に下へ降りているのを見た時はひやひやしたわよ」

「ちょっとくじいただけで、大丈夫です。心配をかけてごめんなさい」


 ウィルガンドは怪訝に思った。ラセニアはエリンを愛称で呼んでいるし、エリンの方も何やら初対面という態度ではない。


「二人とも……もしかして面識があるのか?」

「そうよ。ついでにあなたと私が組んでいる事も話しておいたわ」


 取り決めと違う、とさすがにウィルガンドも抗議しようとするが、ラセニアから冷たい一瞥を浴びせられ。


「仕方ないでしょう。どこかの誰かがお姫様の一番辛い時にいなかったものね。エリンを放っておいたら正直入水自殺でもしかねなかったし」


 ぐ、と閉口するしかない。


「……その件については今頃になって頭が冷えてきたところだ。これでも反省してる」

「あなたから反省なんてセリフを聞けるとは思わなかった。深くは聞かないけどそっちにも事情があるのでしょうし、二人が水に流したのなら私からどうこう言う事はないわ」


 度量が広いのかドライなだけか、ともかくラセニアからこれ以上小言は出ないようだ。


「あんたにはなくても、こっちには言わなきゃいけない事がある。……助かった。あのままコロシアムで戦い続けていたら、俺もエリンも死んでいた」

「それには及ばないわ。グラップを追い回すちょっとした大捕物をした後、ファンハイトの前で洗いざらい吐かせただけだもの」

「ラセニアさんが何とかして下さるのなら……私やっぱり、足をくじき損だったんですね」

「そうでもないわ。あなたが捨て身で時間を稼いでいてくれなかったら、私達の言葉にファンハイトも観衆も耳を貸さなかったかもしれないし。いいタイミングだった」


 慰めでもなく、割とウィルガンドも同感だった。エリンの懸命の引き延ばしがなければ、せっかくウィルガンドの潔白が明るみになっても、すでに殺されていた可能性もある。


「コロシアムは意外と奥が深い……いい経験になった。結局あれがグラップ一人が考えた計略によるものかは分からなかったが」

「裏で糸を引いているのはファンハイトよ。間違いないわ」


 ラセニアは異母兄弟が主犯であると断言する。


「グラップはファンハイトに与する密偵よ。私達の関係と同じように秘匿されていたのね。彼はホーククロウとドッグファングをあえて行き来しながら、ファンハイトに敵対する派閥に所属する剣闘士を狙って排除する刺客のような役割をしていたわ」

「……それも奴が吐いたのか?」

「喋りたくはなさそうだったけど、シルファが言いたくなるよう仕向けたのよ」


 ラセニアが微笑みかけると、メイドは恐縮です、と返礼する。本当にこのメイドは何者なのか。


「グラップの容態を診た医者もファンハイトに買収されていたと考えるべきね。発覚すれば自爆は避けられない計画だったけれど、あの男もなりふり構わなくなってきているわ」

「コロシアムを公然と利用してまで俺を消そうとしているからな……いい加減鬱陶しい」

「でも、ファンハイトを追い詰めるまでには至らなかった。グラップが口を割らなかったのもあるけど、自分が疑われそうになる前に矛先を第三者へ押しやるやり方は流石の手腕というところね。昔からあんな感じで自分のミスは全部他人になすりつけていたから」


 私からも謝らせて欲しいわ、とラセニアが少し苦い顔で目線を向けてくる。


「グラップがファンハイトの手の者だと見抜けなかった。そのせいで余計な手間をかけさせてしまったし、チャンピオンも遠のいてしまった」

「気にするな。人数も入れ替わりも多い全ての剣闘士の身元を調べるのは現実的でないだろう。今後もファンハイトが潜り込ませた配下には気をつけたいが」

「また、あんな事が起こるんですか……?」


 不安をにじませた眼差しでエリンがウィルガンド達を見やっている。ラセニアが頷いた。


「そうね……ファンハイトの策をおじゃんにできたのは上々だったけど、反対に私達の協力関係もあいつには知られてしまった――うすうすは勘づいていたでしょうが、ウィルガンドの言う通り遠からずまた仕掛けてくるわ」


 もういっそ事故にでも見せかけて殺してしまいたいが、ゼディンが近くに控えているおかげでファンハイトにも皇帝にも手が出せない。何とも歯がゆい状態である。


「だが逆に言えば、これからはおおっぴらにあんたの支援を受けても問題はなくなるだろう。ファンハイトはもういい。また腰を据えてコロシアムに集中するさ」

「……ああ、それとあなた達に、伝えておく事があった」


 伝えておく事ですか、とエリンが小首を傾げると、皇女は茶目っ気のある笑みを覗かせ。


「――私主催のお茶会への招待よ」

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