二十二話 第三試合 上 銀糸のイーヴィス

「来たな! 皆殺しの奴隷騎士!」


 なんだそれは、と渋面を作るウィルガンドに、観客席から熱の籠もった歓声が飛ばされる。今日も今日とて客の入りは満員だが、その答えは彼らが発する叫びの中にあった。


「シンプルだが凄ェ二つ名だ! 何たって対戦相手をことごとく殺し尽くしてるもんな!」

「昨今の馴れ合いじみた生ぬるい試合とは大違いだぜ!」


 確かに助けようとしても拒否されたり状況が許さなかったりで殺す結果に終始しているが、別に対戦相手を殺したくて殺しているわけではない。

 いつにも増してこの熱狂ぶりは、ライオンハート同士の対決が御前試合という皇室、ひいては神に供える神前的な奉りという意味合いを持つ厳粛な一戦と比べ、民衆が純粋に娯楽として味わえる好カードなのも一因だろう。

 いつものように特等席にいる王女も居竦んでいる。エリンには事前にブラムを巡る事件の全貌は話してあるが、皇子の無事に安堵はしていたものの自分の素知らぬ間に一騒ぎ起きていた事に心を痛めていたようだ。

 しかし今回はどうしてか群衆の中にラセニアとシルファの姿はなかった。怪訝には思ったが、あれだけの事があったわけだし少しは休んでいてもいいだろう。

 ウィルガンドの心根としてももとより一人で切り抜けるつもりであるし、常に誰かの力をたの みにするというのは唾棄だき すべき惰弱だじゃく の思考だ。

 と、奥の鉄柵が上がり、対戦相手のお出ましのようだ。

 名前はイーヴィス。身長はウィルガンドより少し低く、体型は細身といった印象だが、外套を羽織り、口元まで覆うフードで顔は見えない。

 すでに剣をひっさげ、距離を保ってこちらと相対する。得体の知れない相手だが、無理に問いただす事もない。相手には相手の事情があるのだろう、とウィルガンドも黙って戦闘態勢を取った。呼吸数回分の時が過ぎ、開始を告げる角笛が鳴り響く。


 聞き慣れた重低音が終わるか終わらないか、ウィルガンドは踏み出して剣を振り抜いていた。イーヴィスもそれに呼応し、鋭い剣撃を浴びせてくる。

 双方の得物が激突し、同時に引き戻され、間髪入れず再衝突。息をもつかせぬ殺陣に観客は白熱し、こっそり紛れ込んでいたリロもおおっとのめり込んでいた。

 大した剣才だ、とウィルガンドは踊るような剣さばきを迎え撃ちながら思う。

 間合いの取り方、攻めと守り、フェイントの応用といった一手一手には余念がなく、経験と才能に裏打ちされ丹念に時間をかけて磨き抜かれているのが分かる。どこか生真面目な癖が散見されるものの、武芸達者な将にも通用するレベルの剣技だ。

 だが――と、ウィルガンドは大きく剣を薙ぎ、イーヴィスを後ずさらせる。

 並の剣士では太刀打ちできない強さだろうが、ウィルガンドを倒すには決定的に力不足。文字通り腕力に劣り、こちらの攻勢を受け流し切れていない。

 強引に距離を詰め、下段からの振り上げでイーヴィスの剣をはじき飛ばす。

 自分の武器が宙を舞い、はるか後方の壁に当たって落下したにも関わらず、イーヴィスは追撃に備えるようにウィルガンドから身体の軸をずらさない。まるで、まだ何か対抗手段を隠し持っているかのように。

 しかし、ウィルガンドが攻撃したのはイーヴィスの剣だけではなかった。

 すう、とイーヴィスのフードに切れ込みが入り――はらりと地面へ落ちていく。


「そろそろ素顔を見せたらどうだ」


 仮にもライオンハート、何かしら奥の手を用意しているのかもしれない。であればいつまでも目線を隠していては狙いが読みにくい。

 そういった意図から試した行為だが、布の外れたイーヴィスの顔を見るなり、ウィルガンドは瞠目した。

 知っている。美しい銀髪。端麗な顔立ち。奥ゆかしい佇まい。情感を感じさせぬ無表情。


「……シルファ、か……?」

「……はい。ご無沙汰しております」


 ウィルガンドの問いに、何とも涼やかに答えたのは、誰あろう、ラセニアのメイド、シルファその人だった。

 なぜここに。どうしてコロシアムに。ラセニアはどうした。そういった諸々の疑問が浮かび上がり、ウィルガンドは固まってしまう。


「お、おい……あれ、ラセニア皇女様の、お付きのメイドじゃ……」


 観客席からも訝る声や呟きが漏らされ、ざわめきが広がっている。


「し、シルファ……っ? なんでここに……!」


 と、リロもまた状況が呑み込めず目を白黒させ。


「シルファ……さん……なのですか? え……ど、どうして……」


 エリンは驚愕に息を呑み、思わず視線をさまよわせて客席の中にラセニアの姿を探した。


「とりあえず……色々聞きたい事はあるが……ラセニアはどうした?」

「眠り薬でお休み中です」


 つまるところ少なくともシルファのこの行動は、ラセニアには知らせたくないという事になる。ますます分からない。


「お前の独断ってわけだな。なんでまた……こんなコロシアムなんかに」

「ラセニア様のためなのです」


 そう迷いもなく言い切ったシルファ。身体を覆っていた粗末な外套が外され、動きやすい胴衣の上に輝きを反射する銀の胸当てや小手など、一級品と思われる装備がさらされる。


「ウィルガンド様……恨みはありませんが、お命ちょうだいさせていただきます」

「待て。意味が分からん――お前、優勝が狙いなのか? チャンピオンになって、皇帝に願いをかなえてもらうのが?」


 私の願いは、とそこでシルファはかすかに沈黙し。


「――私の存在を、世界に認めてもらうためです」

「……なんだと?」


 シルファと視線が合う。秘められた感情とは対照的に、眼差しには強い意志の光が宿り。


「私の本当の名はイーヴィス。……帝国の第一皇女、イーヴィスと申します」


 唖然とする。イーヴィス。第一皇女。あろう事かこのメイドは、自身を皇族の血を引くと口にしたのである。


「だ……第一皇女……? いや、待て、第一皇女は、ラセニアのはずだぞ」

「いいえ。ラセニア様こそが第二皇女。私はラセニア様の、双子の姉です」


 今度こそ、度肝を抜かれた。何が何だか分からない。狐にでもつままれたような気分だ。

 だがシルファは性格的にも、わざわざコロシアムの剣闘士、ライオンハートになってまでこんな笑えない冗談をかますような人間ではないはず。


「ウィルガンド様は、帝国の皇室に伝わる皇位継承の掟をご存じでしょうか」

「掟……?」

「帝国は王国への報復こそを存在意義として始まりました。ゆえに、皇族の個々の命よりも帝国という母体の存続を最優先としているのです。異母兄弟や親戚といった血筋の広がりは許されますが、もしも生まれた子が双子であれば、継承権を巡っての争いを抑止するために、弟妹は殺すか追放されるのです」

「双子……? お前、さっき自分を双子って」

「……第二王妃である私達の母は、陛下を裏切り貴族の男と不義理を交わしました。よって、私達が果たして継承権を持つ皇帝の子なのか不義理の子なのか分からないのです。男には口止めをしましたが、いつ発覚するか知れません。そこで妹であるラセニア様を継承権のある姉として育て、私は秘密裏に暗殺や諜報など裏の面を持つ修道院に預けられました。乳母など関係者は口封じにできるだけ殺した上でです」


 中々壮絶な生い立ちだし、いかに人の口に戸を立てられないとはいえ乳母に至るまで抹殺するとは徹底しているが、第二王妃が皇帝に嘘をついた理由が分からない。

 双子ならば慣例通りにラセニアを追放すればいいものを、なぜかその逆を行ったのである。


「母は、私を予備として育てていたのです。万が一にもラセニア様が不義理の子だと露見したならば命を奪い、私を真の皇帝の娘として呼び戻し、自身の権威をも復活するために。あるいは順序を逆にして、陛下に潔白を示すため私にラセニア様を殺させるシナリオでも良かったのかもしれません。それで子を残す側室としての最低限の責務は果たした事にもなり、聡い妻として心象は良くなりますゆえ」


 全ては保身と、自らがいつまでも帝国の栄耀栄華を貪るためだった。いざとなれば最悪シルファすらも生贄に罪を逃れるつもりだったのだろう。不義理はともかく双子という事だけは隠し通す――シルファから語られる第二王妃からはそういう思念が伝わってくる。


「母は終生怯えていたはずです……今は安らかな心持ちでしょうが」

「……おい、まさか」

「はい。母も、もう一人の父も、真実を知った私が永遠の安息を与えました。あるいはその行動すらも、帝国の暗部に触れていた何者かの思惑に乗せられてのものやもしれませんが……後悔はありません」


 親殺し。その汚名を着てでもシルファは手を下したのだ。恐らくラセニアを守るために。


「お前が皇族だという……証拠はあるのか?」

「皇族には赤子の時、右手に焼き印がつけられます――ラセニア様にもファンハイト様にも、一人の例外もなく」


 す、とシルファが右手を上げ、手袋を外した。その手の甲に深く焼き込まれた紋様を目にしてウィルガンドは思い出す。そういえば皇帝もラセニアも、多分ファンハイトも同じように手袋をしていた。


「焼き印は皇室としての誉れではありましたが、時代の流れとともにそれも昔の話となりました。今は醜く、奴隷を彷彿とさせるので、好んで外気にさらす皇族は少ないのです」

「……そんなものを見せられたんだ、信じてもいい」

「私はメイドとして速やかにラセニア様の元へ参りました。初めこそ驚かれましたが、やがてご自身の宿命と――私が本当に双子の姉妹である事を受け入れて下さいました」

「願いの意味は薄々読めてきたぞ。お前は優勝して、皇帝に……自分達が双子である事を認めてもらう。そうなんだな?」


 皇帝。ひいては帝国。本来ならまともに生きる事を許されない二人が共に在るためには、なるほどコロシアムの願いにでも頼るしか術がないのだろう。


「本当に可能なのか? 国の決まり事なんだろう。願いの許容範囲を超えてはいないか」

「皇帝陛下の弟君――アイウォーン様もまた、陛下とは双子でした。あの方は一度追放こそされたものの、やがて身分を隠し帝国へ戻り、コロシアムの頂点に立ちご自身を受け入れさせました。私もその前例にならう心づもりです」


 前例があるのなら、できるのかもしれない。コロシアムに出場する動機は判明したが、まだ疑問はある。


「命がけなんだぞ。今のままでも、ラセニアは満足していたように思うが」

「互いが満ち足りようとも、時勢がそれを阻むのです。長く引き離され、私もラセニア様ももはや別離は耐えがたいのはもちろん……ラセニア様は、ブラム様までをも守りきろうとなさっています」


 そのために、ウィルガンドを引き入れて。皇帝に弓引くような真似をも覚悟して。そんなものは到底、シルファの側から見れば向こう見ずにしか過ぎない考えなのだ。


「ラセニア様は人を信じすぎます。愛深きゆえに無意識にでも他者へそれを求めてしまう。――自分はこれだけ尽くしたのだから相手も必ずや応えてくれる、と」

「その傾向は……思い返せば、ない事もないな。冷徹に見えてその実優柔不断。協定を持ちかけられた身で何だが、奴はあれもこれもと全て手に入れようとして足下をすくわれる末路しか見えない。戦争を止めると言うが皇帝を説得してどうにかなる問題とは思えん」


 帝国の民も黙ってはいまい。ただでさえ双子の隠匿という爆弾を抱え込んでいるのだ、万事うまくいってもいつか表沙汰になれば命取り。

 それが引き金で暴動が起こり、帝国そのものも終わるかもしれない。そんなざまで、とてもブラムの運命まで引き受けられない、とシルファは言っているのだ。


「それに、あなたです。最大の不確定要素であるあなたがラセニア様の側にいるのは、みすみす破局を招くようなもの……ウィルガンド様が決して考えなしに暴れるような方でないのは分かっています。ですが、それでも……死んでいただきます」

「私情を排して考えれば、並々ならぬ憎悪を帝国に抱く俺はいつ裏切ってもおかしくないからな。妥当な判断だよ」


 それだけではない、とシルファは胸中で呟く。

 この騎士はかつての自分だ。放逐ほうちく された事を恨み、境遇を憎み、憎悪のままに生みの親を手にかけた、ラセニアに出会う前の自分。

 シルファは腰に差した鞘から、一振りの得物を抜き出す。それは小太刀と呼ばれる、ナイフよりも長く剣よりは短い、片刃の刃物。逆手に持ち替え、身を低めた。


「あなたに罪はありません……ですが、何もかも救えるという、ラセニア様に偽りの希望を幻視させる。次にあの方が目を覚ます時は、長く見ていた夢からも――覚めるのです!」


 弾丸の如く肉薄する。剣を構えての防御をくぐり抜け、懐へ飛び込むと袈裟懸けに斬りつけた。ウィルガンドは低くうめき、飛び退いてシルファから間合いを離す。


「……物事に優先順位をつけて取捨選択ができる。ラセニアよりよほど王族っぽい考え方だな。ブラムを――その他全てを切り捨てようとも、ラセニアだけは守り抜くってか」

「はい。……あの子は私が救います」


 シルファは小太刀を構え直すが、今の一撃には違和感があった。間違いなくウィルガンドの胴体部へ命中した手応えがあったのに、斬った刃が何かに弾かれたような。


「そっちの事情は分かったが、こっちにも都合がある。……簡単に死んではやれないな」


 ウィルガンドも態勢を整え、抵抗の意思を見せてはみたものの、先ほどのシルファの攻撃はほとんど見切れていない。

 その上それまでの動きに慣れた目には辛く初太刀を許してしまった。紛れもなく、これがシルファの真骨頂。

 さっきまでの剣は、恐らく本命の小太刀を隠すためのブラフ――あれだけの剣技にも関わらず。

 シルファが袖口から小型のナイフを取りだし、ウィルガンドへ投じてきた。

 柄部分を指に挟み込むようにしながら放たれたナイフはグラップのそれよりも速度や精度が数段上で、なんとか剣で叩き落とす。

 だがシルファは続けざまにナイフを二本目、三本目と投擲し、牽制とは思えぬ鋭い攻撃にウィルガンドはその対処へ追われる羽目になった。


「残らず打ち払うとは……やりますね」

「こんな小手先の小細工ばかりに頼って……さっきの剣術は飾りか?」


 時には二本まとめて投げ込んでくる事もあり、挑発めいたセリフとは裏腹にウィルガンドに余裕はない。しかしシルファは突然ナイフ投げをやめると、冷えた口調で。


「――いいえ。私の攻撃はすでに終わっております」


 構えもせず、無防備な棒立ち。何か罠があるのか。


「なら……そいつごと踏み破ってやるだけだ……!」


 何を策しているのか知らないが、次の行動に移らせる前に勝負を決めてやる。ウィルガンドは剣を携えて踏み出しかけ――背筋を走る怖気と腕に走った痛みに動きを止める。

 感じた。強烈なまでの死の気配。そして痛みは腕だけでなく、頬と、首にも。威勢の良い踏み込みからうって変わって、ウィルガンドはゆっくりと身を引き、視線を落とす。

 腕に、一筋の赤い線が走っていた。刃物か何かで引いたような裂傷が、薄く一文字に口を開け、ぷつぷつと血液を浮き上がらせている。そして頬や首にも手を這わせると、そこにも同じような傷口と、付着した血糊。


「やはり、恐ろしい反射神経と勘の良さですね……もう少し進んでいたら、今ので終わっておりましたものを」


 シルファがいる、目の前の空間。そこに、三本ほど赤い線が延びている。いや、それは血だった。多分、ウィルガンドの血が宙に浮いていて――目を凝らせば、ごくわずかに光る線が見て取れる。


「銀の線……糸、か……?」


「はい。人体を容易に切断する銀糸を、張り巡らさせていただきました」


 慇懃いんぎん に告げるシルファ。ウィルガンドは慌てて周囲を見回すと、いつの間にか同じものが縦横に走り、自身を檻のように取り囲んでいる。

 さっきウィルガンドはこれに触れて、すんでのところで助かったのだ。あのまま気にせず突き進んでいたら、腕と首がぽろりと落ちるところだった。

 だが、いつこんなものを。人体を切断するなどという殺傷力の高い糸を、いつ――と、脳裏によぎるものがあった。

 ナイフ。はじめにシルファが投げて来たあのナイフの柄かどこかに、糸がくっついていたのだ。地面に突き立つナイフの数だけ、糸は身動きを封じるように何重にも張り巡らされたのである。

 いや、と思う。点滅するみたいにかすかにしか見えない糸なら、シルファにも見えていないのではないか。確かにほとんど視認できない糸は厄介だが、この程度の数、慎重に回避していけばいずれシルファへたどり着ける――。

 そこへまた、シルファがナイフを投げてきた。

 ウィルガンドを拘束した上で遠距離からとどめを刺す心算か。舐めるな、と舌打ちし、今度はナイフと糸ごと破壊するつもりで剣を振るう。膂力を込めて打ち下ろされた剣はものの見事にナイフを打ち砕いた。

 ――その内部に詰められていたものを盛大にぶちまけさせて。


「なっ……!」


 粉だ。破壊したナイフの中から粉が。疑問に感じる暇もなく、飛散した粉末に視野を奪われた。とっさに頭を反らして半分は躱したが、熱く突き刺すような刺激が両目を襲い、左腕で拭っているとその腕に衝撃が走る。

 見える程度に視界が戻ると、ウィルガンドが隙だらけだった瞬間を突いてだろう、左腕を何本かの銀糸が貫通していた。

 銀糸はシルファの小手の中から伸びており――その糸がぴん、と指で弾かれると、ウィルガンドの腕に食い込んでいた糸が肉片を纏って弾けた。

 血しぶきが上がり、周囲の糸が一気に赤く染まって、気づく。見える。周りの糸に、色がついている。血ではない、これは――今し方飛び散った、あの粉末。


「おいおい……ずいぶん手の込んだ目潰しじゃないか」

「安価で手軽に手に入る香辛料を調合させていただきました。製法は企業秘密です」


 言ったシルファが、さらに小手から大量の糸の束を投げつけ、ただでさえ数え切れなかった糸の檻がより重厚なものへと様相を変える。ここにきてようやく理解した。これは結界だ。ウィルガンドという獲物を逃がさないための。

 初めにナイフをカムフラージュにした糸を張り、敵の動きを鈍らせる。次にあの粉末を振りかける事で透明に近い状態だった糸が識別できるようになるのに加えて、目潰しの役割をも果たすので糸による奇襲も可能。そして最後に糸の束を放ち駄目押し。

 今のウィルガンドのように皮一枚隔てて糸に囚われ、指一本動かせなくなる。この糸の一本一本の動きも、どれがどうつながっているかも把握し、縫い針の如く繊細に操れるのだろう。全ては布石。

 論理的に考え抜かれ、洗練された理詰めの戦術。今までにないタイプの敵だった。


「あんたの言う通りだったな……。罠がある、と思った時点で――手遅れだったわけか」


 ウィルガンドはやけくそ気味に腕を動かそうとしたが、ちょっとでもずらそうとすれば痛みと血が吹き上がってくる。駄目だ。糸を破れない。


「その武器も……没収させていただきます」


 シルファが何本かの糸を引くと、横の空間でぐるりと糸が渦を巻き、ウィルガンドの右手へ殺到する。

 反射的に剣を手放して腕を引っ込めると、糸は刀身へ巻き付き、結界を抜けてシルファの後方へと吹き飛ばされてしまった。後少し剣を手放すのが遅かったら、柄にウィルガンドの右手がくっついたままだったろう。


「なあ……お前、暗殺の技術もつちかったって言ってたよな。これだけの腕前があるなら、わざわざコロシアムに出なくても俺や……ゼディンだって、暗殺すれば良かったじゃないか」


 正体のばれる危険性があり、こんな正々堂々戦う場でなくても、殺す機会なんてざらにあった。なのにシルファはコロシアムを選んだ。それに対する合理的理由が見つからない。


「ゼディン将軍を暗殺できるのであれば、とうにそうしております。しかし彼の者に至ってはこれまでも数々の殺し屋が赴きましたものの……残らず返り討ちという有様。中には裏の世界にとどろく私よりも優れた暗殺者の名もありましたが、これも同様」


 だからコロシアム……いや、それでもやっぱり暗殺の方が殺せる確率は高く感じる。騎士道精神も人道もクソ食らえなウィルガンドとしては、シルファの立場に置かれ敵の排除に暗殺と決闘で選ぶならば迷わず暗殺を選択しているだろう。


「いえ、逆なのです。コロシアムという逃げ場のない場所であり、護衛は存在せず持ち込める武器も限定されている――そんな舞台こそ暗殺には最適なのです。その段になれば、ルールを無視した殺傷力と殲滅せんめつ 力の高い暗器を用いれば済む話ですから」

「お前にかかれば、審査の目くらましや死因の偽装もお手のもの、か」


 このメイド、誘拐事件の時一応心配して損した気分だ。


「イーヴィスとして参加し、剣を使っていたのは自らの真の手の内を隠すためなんだな」

「その通りです。相手の戦法が分からなければいかにゼディン将軍といえども、一度はこちらの技が通用するはずですので」

「だがその目論見は、俺を前にして戦術を明かす事で半分は崩れ去っているぞ」

「あなた相手に温存するなど、愚策もいいところですので。ウィルガンド様については、なにぶんラセニア様がいつブラム様の護衛として認めるか、その時期が予想できなかったというのもありますが……それなりに親密な仲になったと自負しているにも関わらず、一向に隙が見当たらないというのが大きな理由ですね」

「そいつは光栄だな」


 シルファはもう不要とばかり小太刀を鞘に収め、両手で幾重にも連なった糸を操り、大きな束をウィルガンドの首へ巻き付けた。


「話は終わりです。あの子にあえかな希望を見せて下さった、あなたの事は忘れません」


 これを引けば、騎士の首は寸断されるだろう。

 あっさりと、ウィルガンドの怒りもあがきも、全てを無にして。

 そうしてシルファの手が、無情にも糸を手繰り――。

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