二十一話 シルファの手腕
「ああ……ブラム。どこへ行ってしまったの」
庭園へラセニアとシルファを集め、リロとともにブラムの行方を話すと、ラセニアの動転ぶりは想像を絶するものだった。
まず、どうしてブラムを放っておいたのかウィルガンドを責め、それからブラムが抜け出した事に気づかなかったシルファや使用人達をなじり、それでも気が収まらないのか今すぐ探しに行こうとしたところをシルファに制止され、散々暴れた
今のラセニアからは普段の凛々しさも果断さもなりをひそめ、廃人のようである。あれだけブラムを守ろうと苦心していたのに、それがあっけなく手の中からこぼれ落ちてしまえば、その動揺と落胆は察するに余りあった。
これでは協定への返答どころではないし、はるか雲の上の存在である皇女を前に緊張しきった挨拶をするリロへの反応も心ここにあらずである。
「そもそも、皇太子様が消えたってのは……やっぱり事件に巻き込まれたからか?」
ああ、とウィルガンドは頷く。ブラムはその気になれば兵士の一人にでも自分の身分を話せば、少なくとも城へ帰って来る事は可能なのだ。それもないとなると、いよいよ何らかの事件性を疑うしかなくなる。
「では、誘拐……でしょうか」
「しかもブラムの正体を知った上でだろう。ブラムが行方不明になったのは酒場周辺の路地の一つ。それもすぐ側に子供達や多くの通行人がいた。なのに白昼堂々連れ去ってしまえたという事は――周到かつ計画的な犯行で間違いない」
そんな真似ができて、なおかつブラムを手中にする事で得をする人物。
「裏で糸を引いているのはファンハイトだな。奴にしてやられた」
「ファンハイトって……帝国の第一皇子様だろ? なんで弟を誘拐なんかするんだよ」
「ファンハイトは私生児だ。劣等感を持ち、他の姉弟を憎んでいる。おおかた奴の目的は、ブラムの命を盾に取り、ラセニアに王位継承権を放棄させるために脅す事だろう」
まじかよ、とリロが苦い顔をする。だがこの推量にウィルガンドは確信があった。
ファンハイトにはラセニアとウィルガンドの協力関係が知られている。ウィルガンドを登用し、ブラムへの護衛につかせようとする魂胆までもを看破し、ラセニアにとってのブラムの重要性をより理解したのだろう。
そして悪い事に今日、ブラムは一人城を抜け出して町へ降りて来てしまった。居所は知っていても厳重に警護され手が出せずもどかしい思いをしていたファンハイトに、拐かしてくれと言っているようなもの――だからこれは、さっさとブラムを城へ返さなかったウィルガンドの手落ちだ。
「いずれにしろ一刻も早くブラムを見つけ出す必要がある。リロ、頼めるか?」
「あ、ああ……! 城下町で隠れられそうな場所を探せばいいんだろ? やってみる」
「それとシルファ。敵のアジトを捜索している間にファンハイトから取引を持ちかけられるかもしれない。そうなったらできるだけ時間を稼いでくれ。脅迫には屈するな」
「ブラム様の安全が確保できる範囲で、可能な限り引き延ばします」
ウィルガンド自身も足で少しでも手がかりを探すとしよう。と、そこでぼんやりと座っていたラセニアが、途切れ途切れに独り言を漏らしていた。
「私には……何も守れないの……? 奪われてしまうというの……また……?」
こんなふさぎ込んだラセニアは見ていたくない。三日後には試合が迫っているが、とにかく朝一番からウィルガンドは城下町へ赴く事に。
焦燥とは裏腹に収穫なく二日が経過し、一同はまた庭園へ集まった。
ラセニアは相変わらず覇気が感じられず、寡黙に口を閉ざしている。ただリロは違った。
「目星がついたぜ」
会心の手応えという調子で言ってのける。ウィルガンドが続きを促すと。
「西側を通りかかった旅芸人の一座が、放棄された廃教会に男達と身なりのいい子供が入って行くのを見かけたらしい。そこはほんの二日前までは完全に空き家だったのに、明かりが見えたり、声がしたりと何人もの人の気配がするみたいで」
「どの程度の人数がいる?」
「近隣の住民からも聞き込みした限りじゃ、十人かそこら」
ふむ、とウィルガンドは熟考しつつ、廃教会について詳細を聞いてみる。
「十年前、帝国がアンガルスを攻めた時に焼き討ちにあった教会だよ。ファリアの像とかを奉ってたけど、建て直したくないから廃墟のまま放置してるらしい。でも建物自体はまだ残ってるから、隠れ家にはうってつけだな。まず誰も近寄らないし――西側だから」
帝国の人間が多い西側に王国の教会がある事に何か業を感じるが、それはそれとしてリロの言う通りブラムが閉じ込められていると考えて良さそうだ。
「なぜ、ブラム様をファンハイト様の元でなく、そのような場所に隠したのでしょう」
と、シルファ。それについては一つの仮説があった。すぐにファンハイトのところへ連れていかないのはラセニアに追及されてもしらを切れるためだ。
その廃教会には一時的に身を寄せているだけで、ほとぼりが冷めた頃に城内へ連れていくか、もっと辺境の隠れ家へ連れ去ってしまうか――どのみち、あまり猶予はなさそうだった。
「教会の内部構造は分かるか?」
「そう聞かれると思って、見取り図を持って来たぜ」
リロがポケットから古い図面を引っ張り出し、広げて見せる。
「――って言っても、壁や屋根が崩れてるから人を隠せる箇所は限られてる」
確かに、教会の間取りを描いた地図はリロの手によって数カ所の部屋にバツマークが書き込まれており、ここには入れないという印だろう。早くもかなり所在を絞り込めているが、ウィルガンドはその中の教会奥、懺悔室を指す。
「この懺悔室が気になるな……俺ならここにブラムを隠す」
「俺もそう思う。外からは見えないし、ドアは一つだから見張りも一人で済む。たとえ叫んでも位置的に声が外部へ届きにくい」
シルファも同意見のようで、暫定として懺悔室にブラムが押し込められていると踏み、その上で救出方法を模索する。
「正面から殴り込んでも、敵に防がれている間にブラムを連れ去られてしまうか……」
「陽動作戦はどうでしょう」
提案したのはシルファだ。その内容はウィルガンドが正面から襲撃をかけ、敵の目を引いている内にシルファが裏口からブラムを助け出すというものである。
「悪くないな……時間はどうする。夜に仕掛けるか?」
「いえ、夜明け前にしましょう。夜襲は敵も備えているはず。黎明ならば、多少は虚を突けるかと」
「あー……徹夜明けとかどうしても気が抜けるもんな。けどさ」
と、リロが腕を組み、頭を傾ける。
「すぐに皇子様がどうこうなるわけじゃないんだろ? だったら俺に考えがあるんだけど」
「言ってみろ」
「あいつら、誘拐がばれるのを警戒してろくに教会を出てこないみたいなんだ。そんで、皇子様が捕まったのは二日前。明日で三日だから……そろそろきてるんじゃないかな」
「きてる、って、何がだ……?」
「あの人数が何日も立てこもるなら、相応の食べ物が必要だろ? あらかじめ教会に食料を運びこんでるならまだしも、連中の目撃情報があったのはこれが初めて。つまり、最初に教会へ立てこもってから以降、食料の補給は一切ないって事になる」
荷車を使った形跡もないなら、一人が抱えていける食べ物などたかが知れている。温存していったとしてももって数日。空腹に耐えかねているのでは、とリロは言っているのだ。
「そうだな……あと二日くらいすれば、もう体力も尽きてふらふらになってるはずだよ。一発勝負なんだし、万全を期して敵が弱るまで待ってみたら?」
いや、とウィルガンドを首を振った。いい案だが、一つ穴がある。
「食料がなくなれば、敵はブラムを連れて教会を出ようとするだろう。またはそれまでに別働隊と合流し、より戦力を増強してしまうかもしれない。そうなれば救出は難しくなる」
とはいえ食料の残量が一つの指針になるのは間違いない。明日にはコロシアムという用事がある以上、作戦を実行するタイミングは決まったようなものだ。
「――明日の未明、ブラムを助けに行く」
ウィルガンドの宣言に、場の空気が引き締まる。そしてシルファへ視線を移し。
「十中八九荒事になるが、あんたは大丈夫なのか? 裏から回るとはいえ危険だぞ」
「及ばずながら護身術には心得があります。足手まといにはならないかと」
頼もしい言葉だ。ここまでの働きぶりを見ても、シルファなら問題ないだろうという一種の信頼感が生まれている。ここは任せて良さそうだ。
「あ、あのさ、俺にもまだ、できる事はあるかな。まあ戦ったりするのは勘弁だけど」
「いや……ここからは俺の仕事だ。リロは充分お手柄だよ。助かった」
リロは面はゆそうにはにかみながらそっぽを向く。ただウィルガンドにはもう一つ危惧があった。まだ誘拐時の手口が判明していない事である。
思いつくとすれば、ブラムの尾行を見破ったウィルガンドの油断を突いてさらに尾行し、ブラムが一人になった瞬間にさらっていった――違う、何か釈然としない。もっと決定的な仕掛けが隠されているような。
それに、ファンハイトが首謀者ならゼディンが一枚噛んでいる可能性も否定できない。
(上等だ……決着をつけてやる)
闘争心を燃やしていると、それまで一言も喋らなかったラセニアが、こちらを見て。
「……無理よ。あなたなんかに何ができるの」
「これでも責任を感じている――ブラムがさらわれたのは俺のせいだ。だから助ける」
大した胆力ね、とラセニアが皮肉と自虐を混ぜ込んだような笑みを浮かべる。
「私さえいなくなったのに気づかなかったのだから、見つけられるわけがないわ」
「そうだな。確約はできない。――だが今だけは、信じてくれ」
ラセニアの双眸を見据えてそう言うと、皇女の表情が崩れた。
「……大事な弟なのよ。もし助けられるなら……お願い。あの子をどうか、救って」
「ああ」
「シルファも……お願いよ。何もできない私の代わりに、ブラムを……」
そこにいるのは冷厳な才媛、帝国皇女ではなく、家族を思う一人の女性に過ぎなかった。シルファは懇願するラセニアの手を取り、静かに頷いて。
「必ずやブラム様を連れて帰って参ります。もう今しばらく、お待ち下さい」
二人は明け方まで待機し、城門前で合流してから廃教会へと向かう。リロから聞いていた廃教会は薄闇の中で無機質に佇んでいた。廃墟と言っても壁や屋根は風雨を遮る程度には残り、隙間風が死霊のうなり声めいて不気味な音を発している。
意識を集中してみると、なるほど静寂の中にかすかに人の声や足音が響いてくる。茂みへ隠れて正面まで回れば、教会のドアを挟むように二人の男が立っていた。
「二人ずつ交代で見張りをしている、というところか……。俺達に潜伏場所を特定されている事に気づいてない。急襲するなら今しかないな」
「では、私は裏手にある共同墓地を迂回し、教会へ侵入します」
「ブラムは多分縛られて自力では動けないはずだ。無事に救出できたら、すぐに逃げろ」
ブラムを人質にされでもしたら八方ふさがりである。リロの事は信用しているが、それすらもゼディンがわざと情報を漏らして自分達をおびき寄せる罠なのかもしれない。
「承知しています。ウィルガンド様もご武運を」
万事心得ているとシルファは頷き、茂み伝いに教会の裏へ姿を消す。
残されたウィルガンドは、おもむろに剣を抜きながら立ち上がった。
扉前には壁へ背をもたせかけている男と、肩膝を立てて座り込む男の二人がいる。そこへ足音を殺して側方から接近していくと、手前側の男がこちらに半身を向けた。
視線がウィルガンドへ注がれ、瞳孔が縮小し顎が開く。
その口腔めがけ、ウィルガンドは剣を突き入れた。鋼の刀身が前歯を砕き下あごを裂いて、剣先が喉を貫き真後ろへ突き出たのだ。
男が苦しげなうめきを一瞬だけ上げて絶命した直後、その異音を察知したもう一人が弾かれたように立ち上がるも、彼が一歩こちらへ踏み出すのと同時にウィルガンドは第二撃を横薙ぎとして放っていた。
剣が男の横っ面を掘削し、そのまま力を込めて真横のドアへ叩きつけると、元から腐食し壊れかけていた板はたやすく破損し男ごとウィルガンドの身体を内部へ招き入れる。
何本かの燭台と穴の開いた天井から差し込むわずかな明かりに照らされた教会の中は、より荒廃が際立っていた。
身廊の床は無惨に踏み砕かれ、支柱は半分以上が折れて崩れている。細部まで創意を加えられていただろう多彩なステンドグラスは破片として飛び散り、壁に並べられるはずの名画の数々はどさくさにまぎれて盗み出されたのだろう、跡形もなく残骸すらない。
祭壇の後ろでは巨大なファリアの神像が原形を留めず倒れ、王国の落日を思わせる。かつての壮観さは失われていたけれど、長い年月が経過してもなお、いまだ神聖さを感じる退廃的な美しさが生まれていた。
まだ使い物になりそうな信徒用の座席でくつろいでいた男達が、ウィルガンドの登場に剣やナイフを持って慌てて身を起こしてくる。
ウィルガンドは物も言わずに入り口近くにいた男へ斬りかかる。寸分違わず正中線を斬り分けられた仲間を目の当たりにし、男達はようやく声を上げた。
前触れもなくウィルガンドに押し入られ、瞬く間に仲間を屠られてなお、彼らの士気は下がらずよく訓練されている兵士と見て取れる。
続けざまに側面から襲いかかる男を一太刀で斬り捨て、死角へ回り込もうとする敵は動きを先読みしカウンター気味に首を跳ね飛ばした。あたるを幸い敵を葬り去っていると、礼拝堂奥のドアが開けられ、中の部屋から三人の武装した男達が増援に現れる。
卓越した連携を発揮してウィルガンドを取り囲み、方々から剣を突き込んでくるが座席の上へ飛び移って回避し、別の椅子へ跳躍しながら一人一人撫で斬りにしていく。
ウィルガンドが突入しておよそ四十秒。戦闘は終わり、教会内はすっかり元の静けさと闇を取り戻していた。これだけ派手に暴れられれば陽動役に志願した甲斐があるというもの、と自らの仕事ぶりに満足しつつ、先ほど開かれた奥の部屋へ足を向ける。
かなりの敵を倒したが、ひょっとしたらまだ伏兵がいるかもしれない。もしもシルファが手こずっているようなら、もう一働きしてやらなければならないが――と、礼拝堂を進み祭壇の前を横切った時。
突如として殺気を感じ反射的に剣を構える。
掲げられた剣に、振り下ろされたナイフが火花を散らして食らいつく。数瞬対応が遅ければ、ウィルガンドの首を刈り取っていただろう必殺の軌道だった。気配もなく物音もなく、暗殺者さながらにその男は祭壇の上から襲いかかって来ていたのである。
「あーくそ、今のは絶好のチャンスだったのにな」
すぐさま身を引き、困ったように口を歪めるその男には見覚えがあった。
コロシアムで戦ったが、ウィルガンドを
「お前がいるという事は……どうやら大当たりか。しかし生きていたとはな」
「まあね。ご立腹のファンハイト様にはこっぴどく叱られたけども、命だけは見逃してもらったのさ。代わりにこの任務を申しつけられてね」
人を食った口調で喋りながら肩をすくめ、すたすたと歩き出すグラップ。だがその足取りはウィルガンドの隙を探るように円を描き、何気なく手元で弄ばれるナイフはいつこちらに牙を剥いてもおかしくない。ウィルガンドは剣を構えたまま、口を開いた。
「一応聞くが、ブラムを誘拐してどうするつもりだ」
「喋ると思うか? 俺は口が固いからな。コロシアムの時だって全部は吐かなかったし」
「ラセニアからもファンハイトからも殺されないよう立ち回る、中々食えん男だな……。なぜファンハイトのためにそこまでする? 何度も死にかけてまで身命を尽くすほどの相手とは思えないが」
「ファンハイト様は盗賊上がりの俺を密偵に取り立ててくれたんだ。短所は多いが何かと付き合いも長いし、情も湧く。だったら使い捨てらしくそれなりの働きはしなきゃな?」
軽薄な性分に見えるが、意外と義理堅いところもあるらしい。と、開いたままのドアの先から、怒声や何かを叩きつけるような音が反響して来た。グラップの顔色が変わる。
「おいおい、こっちは囮かよ? しゃあねえ、さっさと片付けさせてもらうぜ!」
何が起きているか分からない以上、双方にとって事態は
「――コロシアムの続きとしゃれ込もうぜ!」
「悪いが、お前と遊んでいる暇はない」
数歩分退いたウィルガンドは、目の前の座席を蹴り上げた。グラップはぎょっとしたように両腕を構えて座席を防ぐが、間断なく詰め寄ってくるウィルガンドにナイフを投げてしのごうとする。しかしウィルガンドは剣を下ろし、左手でそのナイフの柄部分を掴むと、くいっと手首のスナップを利かせてグラップへ投げ返す。
全力で投擲したはずのナイフが、それを上回るスピードと正確さで飛来し、グラップの胸に突き刺さる。男はびくりと硬直し、仰向けに倒れた。
服が血に染まっていくのを尻目に、ウィルガンドは早足で奥の部屋を目指す。
回廊を渡り、頭にある地図から懺悔室へ向かうと、すでにそこも扉が開かれていた。
剣を構え、半身をずらすように入り込む。
「シルファ……!」
その場にはシルファと、傍らにはブラムの姿があった。どうやらどちらも無事らしい。しかも部屋の隅には縄で数珠つなぎにつながれた三人の男が座り込んでいる。
「こいつらは……犯人の一味か。生きているのか?」
「はい。計画の全貌を聞き出す必要がありましたので……」
言われてみれば、男達はぐったり伸びているだけで息があった。それにしても多くの敵はウィルガンドが相手にしたとはいえ、このメイドは武器を持っている様子もないのに、敵を無力化しブラムを救い出したというのか。敵でなくて良かったとつくづく思う。
「兄ちゃん!」
「お前も怪我はないようだな」
「うん……ごめんね。勝手にいなくなって。俺、ちゃんと気をつけてたのに……」
ブラムはむしろ、泣くよりもばつの悪さの方が優先しているのか、うつむきがちだ。その頭をウィルガンドはぽんと叩いて。
「運が悪かったんだ。お前に落ち度はない。それだけ落ち着いているなら立派なもんだ」
「そうかなあ……」
そうだ、とウィルガンドは頷き、きびきび言った。
「さあ、戻ろう。怖いが優しいお前の姉が待っているぞ」
庭園へ近づくにつれてブラムの歩調はとぼとぼしたものになっていったが、テーブルに腰掛けていたラセニアと視線が合うと、ぎこちなく謝ろうとして。
「――ブラム!」
神速でタックルして来たラセニアに抱きつかれ、むごむごと口ごもる羽目になった。
「良かった……! 本当に良かった……っ。私、もうどうしていいか分からなくて……!」
「ら、ラセニア姉ちゃん……」
「お願い、もう二度とどこにも行かないで。私を一人にしないで……! 私達は家族なのよ? ずっと側にいて、助け合って行かなくちゃ……そうじゃないと、私、もう……!」
それまで罪悪感に今にも泣きそうだったブラムが驚くくらい、ラセニアはブラムにもたれかかるようにしながら子供のようにむせび泣いている。
「ご、ごめんね……姉ちゃん」
おたおたしながらも、なんとかブラムがその背中を撫でて――しばらくして、やっとラセニアは落ち着きを取り戻した。
「本当にありがとう、ウィルガンド、シルファ……それにリロも、良く尽力してくれたわ」
「ああ……まあ何事もなくて、何よりだ」
「もったいないお言葉です、ラセニア様」
ブラムは疲れ切り、部屋で休んでいる。テーブルを囲むのはウィルガンド、リロ、シルファ、ラセニアだけだ。
「お褒めの言葉より、情報料に上乗せで頼むぜ」
「後にしろ、リロ。それより……これからはもっとブラムを外に出してやる事だな」
ウィルガンドのセリフに、ラセニアが眉をしかめる。
「何を言い出すの……? またブラムがさらわれてしまうわ」
「あいつが不満を持っていたのは前からだし、その起爆剤が俺やエリンといった外の世界の人間だったのは明らかだ。放っておけばまたなんとかして抜け出す。そうならんよう、俺がついていく。それなら心配はないだろう」
「だけど……」
「ブラムを守るという役目が前倒しになるだけだ。またぞろあいつに何かあってお前に役立たずになられても困るからな」
それにさ、とリロが口を挟む。
「皇子様に危機感がないのも無理はないよ。さぞかし浮かれていたろうし……こんな綺麗なものだけで密閉されたコロニーのような場所に閉塞していちゃさ。だからあんまり怒らないでやって欲しいな。気持ちは俺も分かるから」
「私も、ウィルガンド様に賛成致します。このままの状態でいるのは、ラセニア様にとってもブラム様にとっても、良くはないと存じます」
ラセニアは険しいとさえ言える目つきでウィルガンドを見つめて――ふっと息を吐き。
「……時間のある時でいいわ。お願い」
空気が和らぎ、ウィルガンドやリロは目を見交わせてにっと笑う。意外だったのは、鉄面皮と思われていたシルファの唇も、わずかに歪んでいた事だった。
「ていうか、昨日は雰囲気に呑まれてなんとなく納得してたけど、よく考えたら十人以上の武器を持った相手にたった二人で喧嘩売るのは相当無茶だよな……」
これがウィルガンド達でなければ自殺行為に等しい。かくいうウィルガンドもゼディンがいるかと腹をくくっていたのだが、大山鳴動して鼠一匹とばかり、拍子抜けだった。
「結局捕まえた連中から裏を取れたのはやはりファンハイトが黒幕だった事だけだな」
「他は私達が推理した通りの事柄ばかりでしたね。見落としがない、という答え合わせにもなり多少は安心しましたが」
捕縛した男達は解放した。ファンハイトの手下なら牢に入れてもすぐ釈放されるだろうし、いくらでも補充されるだろうから殺しても時間の無駄である。
「そういえば夜も明けたし、もう数時間後にはライオンハートとの試合か……」
「あ、そっか、俺とした事がすっかり失念してたぜ! でも今回の件でも改めて思ったけど、ウィルを動かすって事は爆弾でもぶち込むようなもんだからな。対戦相手には同情だ」
その肝心の対戦相手だが、ラセニアやリロに聞いてもろくに情報がなかった。せいぜい優れた剣の使い手である事、国籍も年齢も性別も不明である事をおさらいしただけである。
「ごめんなさい、ここしばらくはずっとぼうっとしていて……」
「まったくだ。この次はゼディンと殺し合わなけりゃならんし、モッド伯以降お前クソの役にも立ってないな」
ずーん、とラセニアがうち沈むのは放っておいて、ウィルガンドは立ち上がる。せっかくだから俺も、とリロがその後に続いた。
「大丈夫だとは思うけれど……まだ弱気になっているのかしら、妙に胸騒ぎがするわ」
「新しいお茶をお持ちしました。ご気分が楽になるかと」
ん、とラセニアはシルファからカップを受け取り、とりあえず一口いただいて。
「今日のは変わった味ね……あら、気が抜けたからかしら、少し……眠くなって……」
――そして始まる。騎士の戦いが。どんな敵が立ちはだかろうとも生き抜きて、復讐を果たすために。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます