二十話 クラス・ライオンハート

「ライオンハート?」


 次の試合まで、残り数日。リロに依頼した仕事の進捗を聞きに行こうと、闘技場を外へ向かっている時。食堂の入り口にたむろしていた二人の男から、そんな単語が飛び出した。


「ああ。確か今のライオンハートって、ついこの間昇格したウィルガンドと……えーと」

「イーヴィス、って言ってたな。もう一人は」


 イーヴィス。それが次に戦う相手のようだ。情報提供者であるラセニアとはあれから顔を合わせづらく、この際噂話だろうが構うまいとウィルガンドは壁越しに耳をそばだてた。


「どんな奴なんだ?」

「それがよく分からないんだよ。なんでもフードとマントで全身を覆って、素顔を見た奴はいないそうだ。けどこれがめっぽう強いのなんの。恐ろしい剣の達人みたいでさ」


 正体不明、ときたか。男か女かも分からないが、剣を使うというのは有益な情報だろう。


「ウィルガンドとどっちが強いかねえ……」

「あいつもあいつで常識外れだからな――結局どっちもばけもんさ」

「そんな上昇志向抜群な奴らより、俺達はその日暮らしの小金さえ稼げりゃ満足だよな」


 などと愚痴りながら立ち去って行く。

 リロの事務所を目指して往来を歩いていると、時折見られているような、観察されているような、背中にこびりつく不快な視線を感じた。

 それは人々の雑踏を縫うようにウィルガンドへ注がれ、一定の距離を保っている。監視の目――ファンハイトの手下だろうか。それにしては気配の隠し方がお粗末で、尾行しているのも恐らく一人。

 何者かは知らないが、この調子でリロの所までつきまとわれるのも都合が悪い。ウィルガンドはわざと足を速めて横合いの路地へ入り、ひと気のない突き当たりの曲がり角へ身を潜めて剣に手をかけ、のこのこ追いかけてくる尾行者を待ち受けた。


「わわっ」

「……は?」


 待つ事十秒ほど。慌てたように曲がり角から躍り出て来たのは、なんと昨日庭園で顔を合わせた、第二皇子ブラムだった。

 ウィルガンドはその意外な正体に、そしてブラムは待ち伏せていたウィルガンドに驚き、お互い出会い頭に衝突してしまう。


「いてて……」

「……お、お前、なんでここにいるっ」


 尻餅をついたブラムに、我を取り戻したウィルガンドは思わず指差す。


「庭園から出たら駄目だと、ラセニアに言われてたんじゃないのか……!」


 だってさー、とブラムは露骨に嫌そうな顔をして。


「一人でいても退屈だし、昨日すごく楽しかったから、こっそり抜け出して町に来たんだよ。そしたら兄ちゃんを見かけて、面白そうだからつい追いかけて……」

「お前は狙われているんだぞ……! 町なんかに来たら危ないだろう、帰れ」

「帰らないと、駄目?」

「駄目だ、帰れ」


 むっ、とブラムは頬を膨らませ、ぷいとそっぽを向く。


「やだよ」

「……はあ?」

「だってあそこつまんないんだもん。ここすっごく楽しそうだし、まだまだ遊びたい」


 とか何とか抜かすブラムの首根っこをふん掴まえ、ずるずると通りまで引っ張っていく。


「やだやだー! まだまだ遊ぶー!」

「実力行使だ、庭園につれて帰る」


 どうあってもウィルガンドが引かないと見るや、ブラムは急激に眉尻を下げ、ぱかっと大口を開けて。


「うおおおああああぁぁぁッ! やだやだやだー! 連れてかないでえぇぇぇぇーッ!」


 な、と動きを止めるウィルガンド。

 そう。ここは真昼間であり天下の大通り。道行く住民達のまっただ中で、子供が連れてかないで、などと泣きわめけばどうなるか。

 ひそひそ、と通行人や店の人々が寄り集まり、こちらを見てささやき合う。

 男が幼い子を泣かせてるぞ。いや、あれは無理矢理連れ去ろうとしているんじゃ。まさか誘拐!?


「こ……こいつ……!」


 火の付いたように叫び立てるブラムに、硬直するウィルガンド。戦車だの燃える剣士だの相手にしてきたが、今回ばかりはどうすればいいのか見当もつかない。

 いっそ当て身でも食らわせて黙らせようかとも考えたが、そんな事すれば一発で現行犯である。


「わかった……! 俺が同伴するという条件でいいなら、まだ遊んでていいから……!」

「え、いいの? うわーありがとう」


 身も世もない泣き顔から一転何事もなかったみたいな笑顔になり、その変わり身の早さに面食らう。この堂に入った役者ぶりはまぎれもなくラセニアら皇族の血を感じた。

 仕方なく同行する羽目になったが、若い子犬だか子猫だかを思わせる元気活発極まりないブラムにあっちこっち店舗を連れ回され、あげくの果てに。


「ねー兄ちゃん」


 何気なく発された言葉に、ウィルガンドは顔をしかめた。


「その呼び方はよせ。ウィルガンドと呼べ」

「えーいいじゃん! いいじゃん兄ちゃん兄ちゃん兄ちゃん兄ちゃん兄ちゃん兄ちゃん!」


 この野郎。よせというのに逆にこうまで連呼されては脱力して折れるしかなかった。

 城下町の買い物や娯楽を胸一杯に満喫するブラムと対比し、ウィルガンドは軽くなっていく財布に徐々にため息が深刻なものになっていくのであった。

 結局酒場にたどり着いたのは夕刻近くになってからだ。


「――そんで、その皇子様をうちまで連れて来ちまったわけ?」


 運良く酒場にいたリロへ事情を説明すると、予想通り頭を抱えられてしまった。こんなところでブラムにもしもの事があれば、モッド伯以上の帝国全軍の火力でもってこの辺一帯が焦土と化すのは目に見えている。


「ほんともう……厄介ごと多すぎだろあんた。寿命が縮むっての」

「手は尽くしたんだ」


 二人が事務所で話をする間、ブラムが大人しくしているはずがないので、ここはこれまた不幸中の幸い、ブラムの正体を知らずともノリの良い孤児の子供達が構っておいてくれるようだ。


「あんまり遠くに行くなよー」


 はーい、とブラムと子供達が元気よく返す。これでは酒場ではなく託児所だが、店主や客といった大人も近くで見ていてくれるので、少しは安心だ。


「……時間もないみたいだし、とりあえず本題に入るぜ」


 事務所に来たものの、下の階でわーわー騒ぐ声がする。リロはげんなりしていたが、気を取り直すように表情を引き締め仕事の顔になると。


「ここ数ヶ月で、各地で帝国に散発的な抵抗を続けていた王国軍はほぼ掃討された。けど都市部では大きな混乱も住人の不満もなく、順調に帝国の統治は進んでる」

「同盟に動きは?」


 ない、と情勢の悪化を告げるリロだが、セリフとは裏腹に口調に苦いものは薄く。


「表向きは帝国に恭順の意を示す諸侯が優勢だけど、水面下でジェノム公を中心とした対帝国への働きかけがかなりあったみたいでさ。ファリアの王様の弔い合戦とか、エリン姫を救うべきとか、帝国を討つための大義名分をそこら中からかき集めて、そのための褒賞も用意して利潤に訴えて……とにかくありったけの手段で戦力を拡大してるみたいだ」

「そうか……さすがだな、あの人は」


 王城が落ちても姫が囚われても国王が死んでも頑として動かなかった日和見諸侯の腰を上げさせ、束ねようとするジェノム公の活躍に、ウィルガンドは懐かしげに口角を歪める。


「あんまり驚かないんだ?」

「いつ動くか、とは考えていたが……早すぎるくらいだ。あの人ならそれくらいやる」

「へえ……。俺も食えない人物だと思ってたけど、あんたがそこまで言うんならほんとにやるかもな。――てか、そんな風に素直に評価するウィルとか新鮮」

「そうかね」

「うん。大胆不敵、神をも恐れぬあんたが唯一尊敬する人、って感じ」


 それは言い得て妙かもしれない。ジェノム公に受けた恩は計り知れない。その一方で、彼の心中もウィルガンドには想像できた。


「それだけ準備を整えてまだ動かない……動けないのは、やはりエリンがネックだからか」

「そうなのか? 王女様を助けるのが目的なのに」


 ていうかエリン、ってずいぶん気安いよな、とかぼやくリロをよそに、ウィルガンドには懸念がある。

 ジェノム公は帝国と戦えるだけの軍団を用意できるだろう。しかし、エリンが人質に取られている以上、最後の一線には踏み切れないのではないか。


「あの人とエリンは昔から付き合いが長い。理屈では蜂起するべきと分かっているのに、いざエリンに何かあったらと思うと、二の足を踏んでしまう……」

「私情が邪魔するのか……ままならないよな」


 その言葉はウィルガンドにとっても耳が痛かった。たとえば怒りという感情は力の限界を超え得る大きな武器だが、時としてどんな手傷よりも足を引っ張る要因になり得る。

 今だって、ラセニアへの答えを出しかねているというのに。


「いや……単純にまだ機会を窺っている可能性もある。ここはジェノム公を信じよう。リアンロッド将軍やレジスタンスはどんな按配だ?」

「この間ちょっくら様子を見に行ったんだけどさ――すごかったぜ。あの将軍さん、物乞いのカッコしてた時とは別人みたいにあのごろつきどもをしばき倒しててさ、あっという間にリーダーに収まってた」


 それは凄まじい。ただ隠れ潜むだけのもどかしい生活から王国のための仕事を与えられたからか、リアンロッド将軍もやたらとはりきっているようだ。


「鮮やかに掌握した後は徹底して規律を守らせて、それでも駄目なあぶれ者は見込みのある人間と交代させて、積極的に組織の改革に取り組んでる。なんかもう、ちょっと前とは見違えて、今じゃほんとにレジスタンスって感じ」

「リアンロッド将軍直々の薫陶くんとう なんだ、それくらいは当然だろう」


 そんじょそこらの雑魚とは一線を画す、大将軍指揮下の精鋭部隊。いざという時に頼りになりそうである。続く朗報にウィルガンドの肩からは力が抜けていた。


「助かるよ、リロ。お前のおかげでだいぶ時間に余裕を持てる」

「そ、そうか? 役に立てたなら、へへ、嬉しいな……うん」


 リロが赤い顔で両手の人差し指を胸の前でくるくると回しながら横目で窺ってくる。


「あ、あのさ……ウィル、なんかちょっと変わった?」

「……俺が?」

「うん……前は誰も信用しないって顔してたのに、今は明るくなった、っていうか」


 エリンやラセニアにも、似たような事を言われた。自分では分からないのだが。


「あ、それでさ……ウィル、ライオンハートになったじゃん。忙しいのは分かるけど、せっかくだから、ここでお祝いのパーティーとか開いたり開かなかったり……!」

「遠慮しておく。今は持ち合わせが少ないんだ」


 主にブラムのせいで。


「い、いやっ、それは俺がおごるからさ! たまにはゆっくりしていきなよ、うん」


 妙に食い下がってくるが億劫おっくう なのできっぱり断ると、肩を落とされた。

 一階に戻れば、何やら子供達がおどおどとした様子で集まっている。その中にはブラムの姿がなく、嫌な予感を覚えたウィルガンドが何事か聞いてみると。


「い、いなくなったの……突然!」

「なんだと……」


 ブラムが忽然こつぜん と消えた。その言葉を聞き、リロもろともに顔から血の気が引く。


「一緒に遊んでたのに、気がついたらどこにもいなくて……探したのに……ぐすっ」


 子供達はリロの言いつけを守り、決して遠くには行かなかった。ただ酒場のすぐ側で追いかけっこやかくれんぼをしていただけだという。

 なのに、目を離した瞬間煙のようにいなくなってしまった。何とか平静を保っている年長の子供からそう説明され、ウィルガンドは歯がみする。

 ブラムは自由すぎる無邪気な性格だが、釘を刺されて自分から勝手に姿を消すほど愚かではない、と思う。それとも本当に立場を分かっていなかったのか。


「ウィル……どうしよう」

「……城に戻る。一緒に来い、リロ――多分お前の情報網が必要になる」

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