十五話 ウィルガンドの逆鱗

ホーククロウともなれば奴隷としての制限も緩和され、城内をある程度出歩いても許されるが、まだ王女への面会までは許可されていない。

 なのでその日の夜を待ち、ウィルガンドはいつものようにシルファの協力の元で壁を登り、窓辺からエリンの部屋を訪れた。

 ウィルガンドを招き入れたエリンは神妙な表情をしていて、目元ははれぼったく頬には血の気がない。何事かあったのか、と訝りつつもとりあえずリアンロッドの無事を教える。


「そうですか……リアンロッドが」


 良かった、とエリンは胸をなで下ろす。


「将軍からは今は王女殿下の御前へ馳せ参じる事はかないませんが、時が来たら必ず、との言づてが。ですので今後は、彼とも水面下で連携しつつ事に当たっていく所存です」


 リアンロッドはこの地上でもっともエリンの身を案じている。自分などよりよほど王女の守護者にふさわしいだろうが、当の本人にエリンを託されたのなら、期待に添えるよう努力するしかないし、そうでなくてもこの立場は存分に利用させてもらうつもりだ。


「姫、どうかお心を乱されずに……国王陛下が、帝国の手により、処刑されたと……」

「……存じています。先刻、皇帝自ら私に父の死を突きつけました」


 なんとすでに知っていたとは。差し詰め今のエリンは、悲しみに暮れ、一人部屋で泣きはらしていたというところだろう。


「それは……なんとおいたわしい。かける言葉も見つかりませぬ」


 ――では。閉じきらぬ傷口をえぐるようで悪いが。焚きつけるまたとない好機でもある。


「帝国め……よもや陛下を手にかけるような愚行に走るとは。――エリン姫、奴らの蛮行は我ら王国の威厳を蹂躙し、尊厳を汚し尽くしました。ここより解放された暁には、諸侯と結託し、今こそ陛下の弔い合戦に打って出るべきです!」


 力を込めて言う。国王が急逝し、ファリアを導けるのはついにエリン一人。この姫が帝国への強い敵愾心を抱いてくれれば、自分の復讐の大きな手助けとなりうるだろう。


「……いえ。私は報復のためには戦いません」


 なのにエリンから吐き出された言葉は、ウィルガンドの期待するものとは対極にあった。


「なっ……なぜです! 姫も奴らが憎いはずです! それこそ全員くびり殺してやりたいはず! 姫さえ号令をかければ、応じるこそあれ反する者などいないというのに!」


 思わず気色ばむ。この王女様は、甘いだけでなくふ抜けてしまったとでもいうのか。


「私とて帝国を簡単に許す事はできませんし、父の痛みを思うだけで胸は張り裂けそうです。ですが父は最後まで王として戦い抜きました。だからきっと、敵討ちなど望みはしません。ならば私も自分に恥じぬよう、ファリアを守るため微力を注ぐ心づもりです」

「分かりません、おっしゃる事が……! ファリアを思うならなおさら、帝国はこの世にあってはならぬはず。あなたは誰よりも強く激しく復讐に起つべきなのです!」

「――復讐。やはりそうなのですね。あなたの目的は」


 気づけば、エリンはひたとウィルガンドを見据えていた。

 心の芯まで見通すような曇り一つない瞳に、すんでのところで動揺が表出するのをねじ伏せる。


「気に掛かっていました。あなたが何を隠しているのか。何に思い悩み苦しんでいるのか」

「な、何を……おっしゃっているのか」

「こうして己を抑えられず尋ねてしまうのは私の弱さです……でももう目を背けません。ウィルガンド。あなたはファリアを守るためや、まして私や父への忠義からでもなく。最初から、自身の復讐のために剣を振るっていたのですね」


 見抜かれている。真意を。いつ頃から疑われていたのかは知れないが、この確信の籠もった眼差しがある以上、千の言葉を尽くしてなだめようとごまかそうと無意味だろう。


「……はい。姫のお側にありながら不忠者であった私をお許し下さい」

「いえ、いいのです。でもウィルガンド、あなたはどうしてそこまで帝国を憎むのです……? 一体、いつから闇を抱えていたのですか」

「十年前、私の故郷が帝国の侵攻に遭い、滅ぼされました。家族は皆死にました」


 そんな、とエリンは口元を手で覆う。その同情と共感めいた視線が、どうにか話の軌道修正を行おうと苦心するウィルガンドをいらつかせた。


「私と同じ……いえ、それよりももっと、辛い目にあって来たのですね。……ですが、ウィルガンド。憎悪は何も生みません。あなたの心をもっと苦しめるだけなのですよ」

「帝国が倒れれば、我々のような悲劇はなくなりましょう」

「……そのためだけにあなたが作り出した屍の大地には、新たな憎悪が芽吹くだけです。憎むだけでは、きっと何も変わりはしない……」


 がり、とウィルガンドは奥歯を噛んでいた。知らず、爪が食い込むほど拳が握りしめられる。

 もういいだろう。いい加減にしてくれ。訳知り顔で、説教でもする気か。


「――だから何だというのです」

「え……?」

「復讐の何がいけないというのです。何の問題がありますか。復讐に生きたとて構わないではないですか。あなたはその慈悲に根ざした理想で国の再興でも好きにすればいい。あなたには関係ない」


 居直るようにきっぱりと、それでいてがらりと気配を一変させたウィルガンドに、エリンはつかの間言葉に詰まったが、怯む事はなく毅然きぜんと返した。


「関係ならあります。私の望む平和な王国には、ウィルガンド、あなたの姿もあるのですよ。憎悪を捨てて、この戦争を終わらせるためにどうか私と共に前へ歩んで下さい……!」

「もういい。やめてくれ。押しつけるな。反吐が出る」

「……ウィルガンド……?」


 ついに表面上の恭しい態度をかなぐり捨て、腕を振って拒絶するウィルガンドに、エリンは呆然と呟いた。


「さっきから聞いていれば恨むなだのついて来いだのずいぶん上から目線じゃないか。何の力もないお飾りのくせによく回る舌だ」

「ま、待って下さい、私は……っ」

「いいか、今後一切この話はしない。今は引き下がってやるが、二度と蒸し返すな」


 それだけ吐き捨ててきびすを返そうとするが、なおもエリンは待って、と制止する。


「あなたの気持ちは分かります! 苦しくて悲しくて、どうしようもないほど辛いのも! でも……それでも復讐なんてしても、死んだ方達はきっと喜びません!」

「喜ぶさ。俺の中のみんながそう言ってる。帝国を殺せってな」

「復讐される側にもあなたと同じように家族がいるのです! 彼らを皆殺しても、絶対にどこかで復讐の連鎖が始まってしまいます……!」

「知らない。関係ない。連鎖が始まればそいつらも殺す。帝国の関係者だろうしな」

「怒りのままに暴力を振るえば、あなた自身が嫌悪する帝国と同じになり果ててしまうのですよ……? 復讐に溺れてはいけません、待つのは破滅だけです!」

「それこそ今さらだ。俺がどれだけ帝国の人間を殺して来たと思ってる。破滅? 結構じゃないか。帝国を巻き込めるのならな」

「過去よりも……っ、今に目を向けて下さい! 私はどう利用されても構いません、でもどうかあなたのその力を、同じように苦しむ力なき民を守るために活かして!」

「断る。嘆くばかりの弱い奴らには軽蔑すら覚えている。理解されるつもりも、気持ちを共有するつもりもない」


 とうに涙声になっているエリンを射殺すような目つきで睨めつけ、壁際へと一歩一歩追い詰めていく。


「もういいか? 充分か? 気は済んだか? なら俺に指図するな」

「……一人孤独に思い出の中に閉じこもっているなんて……悲しすぎるではありませんか」


 いい子ちゃんぶるなよ、とエリンの耳元で悪魔の如くささやきかける。


「お前だって憎いんだろうが。仇を討て。連中を同じ目に遭わせてやれ。嘘でごまかすな」

「私は……復讐のためには、生きません」

「どれほど美辞麗句を重ねても世界は違う。お前が耐えても国民はどうだ。死んだ国王に近しい奴は。所詮どいつも同じ穴のむじななんだよ」

「確かに私達は弱いです。目先の怒りに囚われる事はあるでしょう、理性が負ける時もあるでしょう……でも! 人は本当は、もっと大きなもののために力を振るえるんです! 大切なものを守ろうとする力は、憎悪だって救って見せるんです!」


 頑として認めようとしないエリンに、ウィルガンドは身体を離す。全身の血液が煮立ち、視界が赤く染まっていた。

 こいつは何て言った。俺の力がちっぽけだと言いたいのか。


「……とことん立派だな。素晴らしいご高説だ、ああよく分かった。でもな――」


 思考よりも先に腕が動き、腰の剣を引き抜くや否や手近にあった椅子を斜めに叩き斬る。


「俺をこれまで生かし、今も身体を動かしているのは怒りだけだ! 他には何もない!」


 その勢いでエリンめがけて剣を薙ぎ、細い顎の下、白い首筋の寸前で止めて。


「たかだか私怨と罵るならそうしろ……! 邪魔をするならお前でも容赦はしない」


 呪いがある。譲れない黒き憤怒がある。

 これは最後通牒つうちょうだ。軽々しくウィルガンドの逆鱗へ触れた愚者への。


「王女殿下。どうかなさいましたか?」


 その時、見張りに巡回していた衛兵が変事が起きたと思ったのかドア越しに声を掛けて来る。ウィルガンドは剣を収め、そのまま流れるように窓から外へ飛び出す。

 そして中庭へ降り立つと、木陰に待機していたシルファへ目線を振った。


「やっぱり聞こえていたか」

「……あれほどの口論ですので」

「ラセニアには後で俺から説明する。それまで済まないが黙っていてくれ」


 はい、と頷き、鉤縄の回収にかかるシルファを置いて足早に歩き出す。

 傷心の王女を復讐に駆り立てる事も目的の共有もできず、それどころか当たり散らしてしまった。あのまま中断されなかったら自制がきかず殺しそうで。

 それは大地に刻まれた傷痕から滾々こんこん と湧き出るのだ。

 ただし循環する清涼なわき水ではない。禍々しくたぎり、溶岩のように沸騰し、立ちふさがるもの全てを焼き尽くす呪詛。

 自然の猛威が人の手には余るように、もはや歯止めがきかない。いずれ行くところまで行くだろう――それがエリンの言う破滅だったとしても躊躇はなく。



 一方でエリンは衛兵に何もないと答えてから、ふらふらと壁へ背中をつけ、沈み込むように腰を下ろして膝を抱えた。どうしてこんな事に。なぜ自分は何一つ為せないのだろう。

 自分と同じ家族を失い復讐に身をく騎士の支えになる事すら。

 他には何もないと叫んだウィルガンドがあまりにも悲しくて。寄り添って癒してあげたいと願った。なのに傷つけてしまった。

 境遇を知りながら頭ごなしに否定して決めつけて、あんな言い方しかできなくて。尽きぬ自己嫌悪が胸の奥を苛む。それ以前に彼の事は何も知らなかった。

 そうだ。もっと昔に気づいてあげるべきだったのに。あの屋敷の一角で一人、日が暮れてもなお剣を振るうあの少年の、決死の表情の薄皮一枚の裏に何が隠されていたのか。

 顔を覆う。何もかも遅すぎた。挫折と無力、そして二人の間に刻まれた決定的な亀裂に、湧き上がる寂寥感から逃れる術はどこにもなかった。

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