十一話 断罪の火焔

「五日後に試合する事になった」

「早ぇよっ! もうかよっ! まだほとんど何もしてねぇよっ!」


 翌日、リロの事務所を訪ねて開口一番そう告げると、瞳孔をかっ開きながら怒鳴られた。


「落ち着け。急には決まったがその後にはまた次の試合まで猶予期間がある。お前からの報告を受けるのはさらに次の試合後でいい」

「なんかもうあんたなんなんだよ、心臓に悪いよ」


 それより、とウィルガンドはリロの机へ近づき、懐から金銭の入った袋を取り出して置いた。

 ずん、と机に振動を与える重量の銭袋にリロは目を丸くする。これは支払う事になっていた(ラセニアに無心した)前金だ。

 すげぇ額、とリロは中身を逆さにして机にばらまくと、何か思いついたようにかがみ込んで机の引き出しに手をかけた。


「ちょっと釣り銭持ってくるから下でガキどもと遊んでろよ」


 と、引き出しから重たそうにばかでかい金庫を持ち上げ、銭袋よりも一回り大きな振動を立ててどしんと置く。そのまま解錠や釣り銭の計算をするようなので、ウィルガンドは時間潰しのために一階へ下りた。

 酒場には先日みたいに子供達がいるわけではなかったが、客の姿はちらほら窺える。

 東側に住む王国の人間は肩身が狭く、町並みもやせ細りひなびているが、この酒場はまだ活気がある方なのだろう。


「あんた……コロシアムの騎士様だろう? 良かったら少し話に付き合ってくれねぇか」


 カウンターの奥にいるゴームから話しかけられる。断る理由もないのでずらりと空いた椅子の一つに腰掛けた。


「何か飲み物は」

「水でいい」


 たった今無一文である。リロから釣り銭が届けば金は払えるが、昼間から酒が呑みたいわけでもない。


「……また戦うのかい。王女様を守るために」

「そうなるな。そのうちに」


 そうか、ゴームは一呼吸置いて。


「……大変じゃないか。あんたたった一人なんだろう? なのに、帝国の出来レースじみたふざけた馬鹿騒ぎに出なきゃならない」

「大変だよ」

「俺達からしても他人事ってわけじゃねえ。何かあったらリロを頼りな。あいつはすばしっこいし、こざかしいがそれなりに役に立つ」


 ウィルガンドはゴームを見た。第一印象では寡黙そうな男だったが、酒場の店主だけあり気立てや面倒見はいいのだろう。こんな風に同情されたのは初めてな気がする。


「リロはこの町の人間じゃないんだろう? その割にはずいぶん溶け込んでいるようだが」

「ああ……あいつが来た日はよく覚えてるよ。二年くらい前になるかな、あいつの師匠とか名乗る奴と二人連れでやって来て、情報屋をやるから二階を貸してくれって頼まれたんだ。そのための金も師匠ってのからもらって、まぁ怪しかったが悪い連中じゃなさそうだったんで貸した」

「師匠、ねえ……」

「最初の内は失敗ばかりで良く客が二階の部屋に怒鳴り込んでたが、今じゃ慣れたのか腕が上がったのか良く俺に仕事がいかにうまくいったか自慢してるよ。それだけだとただがめついクソガキなんだが、仕事の報酬自体は孤児達の養護施設にかなり寄付してるらしい」


 中々興味深い。あれだけ金に目がくらんだ亡者かと思わせて、裏ではその金を施設に渡している。師匠なる人物の存在といい、リロは単なる流れ者というわけでもなさそうだ。


「まぁ、気になるならあいつ自身に聞いたらどうだ。あんたの事を気に入ってるようだし」


 そうしよう、と適当に頷いたところで、突如酒場のドアが蹴破るように開けられた。


「――た、助けて!」


 現れたのは一昨日に見かけた子供達の一人で、肩で息をしながら落ち着きなくあたりを見回している。どうしたの、と酒場で働く年長の少女が問いかけると。


「い、家がっ。家が燃えて……っ」


 がくがくと震える子供に何事かと客が顔を見合わせる。その直後、二階で釣り銭か何かをぶちまけるような音を立てながらリロが階段を駆け下りて来た。


「リロ姉ちゃん、み、みんなが……」

「何があった、教えて!」

「家の外で変な人達が暴れてて、それで、急に火が出て、みんな出られなくてっ……」

「――よし分かった。すぐ行く!」


 まとまりのない言葉からもある程度状況を察したのか、リロは少女に子供を任せてドアから外へ飛び出して行く。

 見れば、客連中も心配なのか早足でリロを追って外へ。


「……あんたはどうする?」


 ゴームが物問いたげな目を向けて来る。ウィルガンドはおかわりにもらったグラスの中身を空にしてから、礼を言って酒場を出た。

 少し進むと空気に白い煙が混ざり、焦げ臭さが鼻につく。

 酒場に来た子供が言っていた家というのは、恐らくリロが語っていた子供達の暮らす養護施設の事だろう。次第に人のざわめき声が増し、何度目かの角を曲がると人ごみの中へ出た。

 彼らが遠巻きにして見守る視線の先。二階建ての建物がごうごうと煙を上げ、絶え間ない火に取り巻かれていた。

 その光景を目の当たりにした瞬間、ウィルガンドの目の奥で炎に包まれた村がフラッシュバックする。

 めまいにも似た発作をこらえ、人だかりの中に見慣れた帽子を見つけて近づいた。


「――あ、ウィルガンド……来てくれたんだ」


 リロの側には何人もの煤だらけの子供達が集まり、皆顔を曇らせ、中にはしくしくと泣いている子供もいた。リロは服に煤が付着するのも構わずそんな子供達を撫でて励まし、大丈夫と繰り返している。


「何が起きてる」

「見て分かるだろ……こいつらの家が燃えてるんだ」


 ぎり、とリロが怒りの籠もった目つきで火勢の強まる建物を見上げた。


「何とか全員助かったけど……こんな事になるなんて」

「誰がやったんだ」


 レジスタンス、とリロは忌々しげに吐き捨てる。ウィルガンドは首を傾げた。


「なんだって子供の施設なんかを……お前が連中の仲間にならない報復か?」

「違う。レジスタンスにも過激派と慎重派がいてさ。過激派ってのはエリン王女様をどうにか救い出して帝国と一戦やらかそう、っていう奴らで、慎重派はその名の通り、様子見をしようって奴ら。けどどっちも都合が悪くなったり意見が割れれば暴力沙汰は辞さないし、ちょっとした抗争にまで発展する事もある……今日みたいに」

「ただでさえちんぴらの集まりなのに、内輪もめまでするのか」

「そう。そんでそのとばっちりを受けるのはいつだって無関係な住民で……くそ」


 やりきれない、という風にリロが口を引き結ぶ。子供の住む場所に火を放っておいて、肝心のそいつらは火を消し止めるわけでもなく、影も形もない。


「とにかく、できるだけ急いで火を消さないと――」


 住民達は互いに声を掛け合いながら水の入った樽や容器を持ち出し、消火作業に当たっている。


「リロ姉ちゃん!」


 すると路地から子供が一人飛びだし、リロへと飛びついていく。


「ネビィがいないの! どこにもっ……」

「なんだって! だって全員――ちゃんと捜したのか!?」


 リロは青ざめた表情で建物へ視線を送る。


「う、嘘だろ……」

「どうしよう! ねえ、リロ姉ちゃん助けて!」


 一方のウィルガンドは、またも気分が悪くなりこめかみを手で押さえていた。

 煙の匂いに吐き気がする。子供の泣き声が頭蓋を反響している。火元から距離を取っても肌を撫でる熱が、網膜にあの日の事を想起させる。


 ――助けて! ねえ、誰か助けて!


 耳元で、誰かがそう叫んでいた。


「ウィルガンド……っ!?」


 気づけば建物の入り口へ突進していた。背後でリロの驚く声がするも聞き流し、炭化し始めたドアから煙立ちこめる屋内へ踏み込む。


「馬鹿! 無茶だ!」


 炎の支配する廊下を進むにつれてリロや群衆の制止の声は遠ざかり聞こえなくなる。

 代わりに鼓膜を叩くのは激しい火勢。一歩歩けば呼吸がふさがり、炎上する床を踏む足が高熱にさらされる。

 どこだ。子供は。声はしない。呼び掛けようと口を開ければ喉が熱気に焼かれ、視界は煙に遮られる。

 とにかく廊下の片端からドアを開けて部屋を覗いて回った。

 食堂、子供部屋、台所、倉庫。どこにもいない、と二階へ続く階段へ来たあたりで。

 天井から崩れて来た梁に押し潰されたように、小さな子供が倒れていた。

 すぐさまかがみこみ様子を見る。息はある。ただ折れた梁が足を挟んでいて邪魔だ。早くしなければこの梁ごと子供が黒こげになる。

 両手の皮がじりじりと張り付くのも構わず梁を握り、筋力を振り絞り持ち上げ、壁へ投げつけた。

 ぐったりした子供を抱え上げ振り返るが、入って来た入り口は炎と崩落したがれきにふさがれ出られない。やむを得ず二階へ駆け上がり、手近の部屋へ飛び込む。

 まだそれほど炎の侵食を受けていないぬいぐるみや人形が散乱した子供部屋だ。ウィルガンドは矢のように疾走し、部屋奥にある窓から跳躍した。


「ウィルガンド!」


 どんっ、と炎を突き破るように飛び出したウィルガンドにどよめきが上がる。

 両足を曲げて着地すると真っ先にリロが駆け寄って来たので、抱えていた子供をすっと受け渡す。


「よ、良かった……火傷はあるけど、なんとか生きてる!」


 その言葉に住民や子供達から一様に喜びの声がもたらされた。


「でもところどころ火傷を負ってる、だから早く病院に……!」

「なあ」


 こうしてはいられないと駆け出しかけたリロをウィルガンドが無表情に制止する。


「……この騒動を起こしたレジスタンスのリーダーが誰か、知ってるか」

「え、ああ、うん……。――確か、モッド、って……」


 そうか、とウィルガンドは言葉少なに呟き、きびすを返して歩き出す。


「ウィルガンド……?」


 リロの見送る騎士の双眸には、ほの暗く揺らめく黒い炎が宿っていた。




 中庭にラセニアがいたので、周囲に人の気配がないか注意しつつ近寄り、モッド伯の実力について質問した。


「モッド伯について? どうしてまた……」

「今をやり過ごしてもいずれまた試合を申し込まれるかもしれないだろう」

「そうまでしても誰も得をしないし、可能性は低いと思うけれど……。モッド伯は剣を主に使うわ。王国仕込みの剣術だから、あなたにとってもなじみ深いものじゃない?」

「剣、ね……他には」

「熟達した剣腕もさる事ながら、彼をホーククロウたらしめているのはもう一つ、重要な戦術があるからよ」


 誰も聞き耳を立ててはいないのに、ラセニアは殊更声を低めてささやく。


「私も詳しくは知らないけど、火を使うらしいわ」

「……火」

「シルファの見立てだと、彼の使う剣に何か秘密があるみたい。実際の試合でも、あの剣に焼き殺された剣闘士は十をくだらないわ」


 そこまで言って、ラセニアはいやに問いただしてくるウィルガンドの様子に疑いを強めたのか、不審そうな視線を投げて。


「……ねえ。まさかと思うけど、この試合に出るつもりはないわよね」

「そのまさかだ」


 知りたい事は大体分かったため、もう隠し立てする必要はないと白状する。案の定、ラセニアは衝撃を受けたように凍り付き。


「……き、気は確かなの? あなた、ちゃんと大人しくしてるって……」

「戦う理由ができたんだ」


 それだけ告げて、きびすを返す。


「無謀よ……馬鹿げてる! 自分が何を言っているか理解してるの? まだ前回の試合から十日程度しか経っていないのに、その体で何ができるというの! 答えなさい!」

「心配するな。ただ行って、勝つだけだ」


 何を訴えても止まりそうにないと察したのだろう、ラセニアはその場で地団駄を踏まんばかりにウィルガンドを睨みつけ、唇を震わせて叫ぶ。


「――もうどうなっても知らないわよ! この馬鹿!」


 その後シルファを見つけ、エリンの部屋窓まで縄をかけてもらった。登り、窓をノックして気づかせてから入室する。そして試合の日時が決まった事を教えた。


「……また、始まるのですね。あの恐ろしい血の饗宴が」

「はい」

「ですが、あなたはまだ傷が。……本当に他に、何か手立てはないのでしょうか」


 ウィルガンドは降参周りのルールを伝えたが、今回に限り出なければならないともエリンを諭す。


「どうしても戦わなければならない相手なのです。その理由は勝利した後で必ずご説明します」


 はい、とエリンは以前と比べてうろたえる事もなく、澄んだ瞳で騎士を見返す。


「私には見守る事しかできませんが……せめて、何があっても最後まであなたを信じ続けます。この命をあなたに預けます」

「ありがたき幸せ」

「……あの、ウィルガンド。この戦いが無事に終われば、私もあなたに尋ねたい事が……」


 そこまで言いかけてウィルガンドの気を散らしたくないのか、かぶりを振ってごまかす。


「……いえ、気にしないで下さい。今は絶対に生き延びて。それが私の願いです」


 ――そうしてまた、血みどろの幕が上がる。死と絶望逆巻く狂気の舞台が始まる。

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