十二話 第一試合 火剣のモッド

 やって来た円形闘技場では、はるか格上のモッド伯と奴隷騎士のファイトという触れ込みだけあり、またもほぼ満席の状態だった。

 ウィルガンドを取り囲む観客達。広場に凝縮された熱気。背後を見上げれば、またあの最後の審判を待つ処刑台のような特等席にエリンがいた。強制されて引き出されたかどうかは定かでないが自分達は一蓮托生、エリン自身が見届けないわけにはいかないだろう。

 不安そうに指を組むエリンに安心するよう頷きを送ると、ふと視線を感じ相手側のやや右側の観客席へ振り返った。

 そこにはラセニアとシルファが並んで座っている。こちらも試合の行方に立ち会うつもりのようだ。

 ラセニアと目線が合ったが、不機嫌そうなジト目で睨まれる。やはり怒っているらしい。当然だが。

 皇帝の席にはアーディウスの姿はない。奴が次に現れるとしたら御前試合だろう。それまでは下々の戦いなど見る価値もないというわけだ。ついでにファンハイトもいない。

 と、前方にある鉄柵が上がり、対戦相手が入場してくる。その男には見覚えがあった。一昨日、酒場へやって来たレジスタンスの集団の先頭にいた貴族。彼がモッド伯だったのか。

 といってもあの時のような動きにくい装飾過多な装備でなく、耐久性と機動性を重視した関節部を柔軟に動かせるプレートメイルに、目と鼻の部分だけがY字型に開いた兜を身につけている。


「貴様が奴隷騎士ウィルガンドか」


 モッド伯をためつすがめつしていると、あちらから誰何された。声音には剣呑な色があり、視線からはむき出しの敵意が浴びせられる。


「出会い頭に奴隷呼ばわりとは心外だな」

「貴様など奴隷ごときで十分だ。わざわざ私がこの試合を組んだ理由は理解しているのか?」

「……多少は。あんたはモッド・フィルバート。レジスタンスのリーダーだそうだな」

「ならばよくもぬけぬけと私の前に顔を出せたものだな。……この裏切り者めが」


 裏切り者、とウィルガンドは胸中で反芻する。


「教えてくれないか。俺がいつ、あんたを裏切ったというんだ」

「しらばくれるか、帝国の犬め! 我らが帝国に領土を奪われた屈辱に打ち震えている時に、貴様はエリン姫の側にいながらお救いもせず、仇敵に唯々諾々と膝を屈している。これがファリアへの背信でなくてなんだというのだ!」


 そういう事か。別に屈したくて屈しているわけではないのだが、やはり客観的にはそう映るのだろう。だが。


「……だったら、そういうあんたなら王女殿下を救えるというのか」

「無論だ。そのために今日まで辛抱に辛抱を重ねてきた。エリン姫をお救いし、擁立し、帝国を徹底的に打倒する! ウィルガンド! 貴様は不要だ! 重荷だ! 目障りだ!」


 威勢良く啖呵を切り、きん、と澄んだ金属音を鳴らしてモッド伯が剣を抜き放つ。


「――数日前、子供の家が火事になった」

「……なんだと?」

「帝国との戦争で家も肉親も失った子供が集まって生活していた養護施設だ。それがある日突然燃えてなくなった。……あんたらレジスタンスの抗争に巻き込まれたらしいが、知っているか?」


 数拍、モッド伯は押し黙り。


「知っているとも。王女救出に消極的であった一派を処罰していたところ、不運にもその施設へ飛び火したのだ。それがどうした」

「……それだけか? 自分達の手で守るべきだったはずの、自分達と同じように帰る場所を失った奴らに対して、何か他に感想はないのか?」

「何が言いたいのか分からんが、あれもまた必然だったのだ。慎重派を野放しにしておいては恐怖にかられて機を逃す。我らには失敗は許されん、後顧の憂いを断つためにも必要不可欠な一手だったのだ!」


 そう、とモッド伯が剣の切っ先を突きつけてくる。


「これは大義の犠牲だ! 我らは国を奪われた! 家の一つくらいでごたごたぬかすな!」

「……分かった。もういい」


 ウィルガンドも剣を抜き、臨戦態勢でモッド伯と相対する。


「始めよう」


 言ったと同時、四方の大燭台が轟と燃え上がり、観客席の興奮もヒートアップし大きなうねりを作り出しながら、試合開始の角笛が鳴り響いた。

 モッド伯の武器はウィルガンドと同じ長剣。距離があるここから眺めても、これといっておかしなからくりがあるようには見えない。

 ただ、気になる点がいくつか。モッド伯は長剣を片手持ちで構えている。しかしあのサイズの剣は斬撃向きで、サーベルのように突きに特化しているわけではない。

 ならばもう片手はどうしているかと思ったら、盾を持っているでもなくだらりと腰のあたりに下げられたままである。

 あんな構えでウィルガンドの剣を受け流せる自信があるというのか。腰には長剣の鞘と、二回り以上も小さな短剣が差してあるが、こちらも投げナイフにしてはやはりサイズが合わない。

 もしもの時の副武装だろうか。何だろう。全体的にちぐはぐな、何か違和感がある。

 モッド伯が雄叫びを上げて距離を詰め、斬りかかって来た。片手持ちであるスピードを生かした連続攻撃だ。

 踏み込み、体重を乗せた連続の突きが襲って来る。ウィルガンドは左右に身をひねり、一つ一つをかわしながら時には自らも剣を振るって弾く。

 しのがれたと見るやモッド伯はそのまま横合いへステップしながら水平に斬り払う。ウィルガンドはこれを身を沈めて回避し、逆に下方から剣を突き入れるとモッド伯は慌ててガードし、さらに側面へ走り込みながら袈裟懸けに斬り下ろしてくる。

 ウィルガンドも合わせて素早く併走し、互いに優位な間合いを奪い合いながら広場を駆け回る。

 動きの良い、拮抗した戦いに観客は歓声を上げていたが、ウィルガンドは疑問を抱いていた。

 モッド伯は強い。それは最初の数合で察した。見慣れたファリア式の剣術は円熟しており、技の数々は気を抜けない。並の相手ならば圧倒できるだろう。

 だがそれゆえに、注意深く観察しなければ気づかないほどのわずかなほころびが、ところどころに散見されるのだ。重装備での身のこなしには目を見張るものの、総合的には攻めも守りも中途半端。

 再び地を蹴って振りかぶってくるモッド伯の剣をかわしながら懐へ飛び込み、ついにウィルガンドの一撃が命中する。振り抜いた剣先がモッド伯の胸当てを削り、大きく後退させたのだ。

 残念ながら鎧を損傷させただけで肉体にまでは刃が届かなかったが、それでも剛力から伝わるハンマーに叩かれたような衝撃は伝わったのかモッド伯が胸元を押さえる。

 対してウィルガンドは正眼に構え直すも、先ほどの攻撃で腕に異変が起きていた。

 傷口が開き、中からどろりとあふれた血液が袖を赤く濡らす。だましだまし戦っても、剣を振っていればもっとあちこち出血が始まってしまうだろう。


「……そんなものがホーククロウの力か? 拍子抜けだな」

「黙れ、減らず口を……! 貴様に地獄を見せてやる!」


 呼気を整えたモッド伯が、おもむろに左手で腰の短剣を引き抜いた。そして長剣を縦に、短剣を横に交差させる。

 まさか二刀流か。大きく敵の動きが変わるのなら、ただでさえ長期戦は危険なウィルガンドにとっては死手となる。

 ならば当然、取り得る手段は先手必勝に限られた。

 敵の戦法を恐れず、踏み出したウィルガンドが一直線に突進を仕掛け――不意に戦いの勘とでも言うべき直感が警鐘を鳴らし、身体が勝手にスピードを殺して防御姿勢を取る。 

 ち、と金属同士がこすれ合うような音が鼓膜を刺し、その直後。

 モッド伯の手で交差された剣から火花が散り、蝋燭のように陽炎が揺らめいたと思うと――突如として剣先から巨大な火炎が発生した。

 爆発的に燃え上がる炎はウィルガンドへと突き進み、吹き飛ばしたのである。


「ぐっ……!」

「出た! 炎の剣!」

「モンドがあれを出したという事は、いよいよ本気ってわけか……!」


 観客席の割れんばかりの叫喚にエリンはすくみ上がったが、それ以上にだしぬけに出現した炎に薙ぎ倒されたウィルガンドの身を心配していた。


「どうして炎が……ウィルガンド、どうか気をつけて……!」


 一方、エリンとは離れた観客席ではラセニアが動揺し身を乗り出す。


「本当に炎が出たわ! ど、どういう仕組みなの……っ?」

「モンド――あのモッド伯の偽名ですが、彼の剣には特殊な細工がしてあるようです」


 細工、とラセニアが隣のシルファへ視線をやる。


「あの剣の表面には注意深く観察しなければ分からない程の無数の溝が、幾重にも掘ってあります。その溝へ油を流し込み、着火させる……それで炎を発生させたのです」

「ちょっと待って……! 着火って、どうやって? ただウィルガンドと打ち合っているだけであれだけの火力が出せるものなの? それに、今見た限りだとモッド伯は何もせずとも炎を出していたみたいだけれど」

「短剣です。あれもまた格別な加工法で鍛造された品。あの短剣を着火剤代わりに、マッチのように擦る事で激しい炎を作り出しているのです。モッド伯の武装は剣と短剣、二つで一つなのです」


 でも、とラセニアが頭を振ってモッド伯を見つめる。


「剣に油を流しているなら、さっきの一回で使い切って打ち止めじゃないの? あの炎はいわば奇襲用、一度で決めなければ二度は使えないはず――」


 言った側から、モッド伯が剣に炎を纏わせていた。ラセニアが驚愕に息を呑む。


「いえ、この試合中程度ならば何度でも使えるでしょう。油には予備がある。それもすぐ補充可能な位置に。恐らくそれは……」

「柄……だな」


 ウィルガンドは呟いた。これまでの疑問が一つにつながり、氷解する。どこからどう着火しても十全な火勢を保てるだろう計算され尽くした剣の形状、火打ち石代わりの短剣。

 そして最後の秘密は、きっと柄に隠されている。柄の中に油を満たし、何らかの方法で蓋のように開け必要に応じて剣へと流す。そうする事で油が尽きない限りいつまでも剣で炎を燃やし続ける事ができるのだ。


「その大道芸で、施設を焼いたのか?」

「これは裁きの炎だ! この灼熱に焼かれるという事は、その者にも罪があったという事! 貴様のみならず帝国の野望をも焼き捨ててくれる!」

「……気に入らないな」


 この、自らのエゴのみに目を向け、他は一切顧みない。どこか自分と似ている。まるで同類。だからさっきから、こんなに嫌悪感を抱くのか。

 自分はこいつほど愚かしいとは思わないが、こう長く前にしていると虫唾が走る。

 種が知れたのだ。さっきのような不意打ちはもう受けない。

 モッド伯が明らかに間合いの外から剣を振り下ろす。すると剣にまとわりつく炎が鞭のように伸びて、ウィルガンドを捕らえようと迫って来た。

 半身をずらして避けるが、じりじりと肌が熱にあぶられる。まだ距離が遠い事を武器に、モッド伯はさらに炎の剣を振り回す。蛇のように鎖のように乱舞する炎が、縦横に襲って来るのだ。

 しかもこれは剣で受ければ剣ごと焼かれる。回避しようにも不規則に長さも太さも速さも変化し、逃げに徹するのが精一杯。

 ここに来て理解する。これこそがモッド伯の真価。微妙に思えた技はその実、炎によるリーチと火力の上昇を効率的に織り込み完成されていたのだ。

 火勢は一層増して、炎の渦を思わせる巨大な火の塊が投げつけられてくる。ウィルガンドは防戦一方、肩や脇腹、四肢といった部位が発火し、しかしそれを消し止めようとすれば追撃が来るため火傷を強いても動き続ける以外にない。


「火だるまとなれ!」


 ぶん、とモッド伯が横一線に薙げば、剣から解き放たれた炎の刃が飛来する。

 ウィルガンドはほとんどひざまずくようにして頭上でやり過ごし、そのまま一息に駆け込んで距離を詰めた。

 目を見開くモッド伯の肩口に斬撃を叩き込み、分厚い鉄板をのこぎりのように引き砕く。 反撃に炎剣が飛んでくるので今度は勢いよく後退……した矢先。踵が何かを踏みつけた。


「な――!」


 視線を下げたウィルガンドが目にしたのは、視野を埋め尽くす赤々とした炎。

 まばたきをする間もなく、呑み込まれた。何が起こったのかパニックになりかける思考に追い打ちをかけるように、言語に絶する痛みと高熱が全身を苛む。

 火が衣服を食い破り肌をいぶり、焦がす。血液が沸騰し、内側から身体が膨れあがっていくような感覚。反射的に開いた口へ炎の牙が飛び込み、喉を食道を胃を、粘膜という粘膜を等しく炭化させて。

 気がつけばわずかに土の感触を感じながら転げ回っていた。少しでも火を消そうと狂ったように地面へ身体を叩きつけ、声にならない叫びが漏れる。

 炎上が鎮静してようやく五感がまともになったのを知ったのは、のたうち回るウィルガンドの無様さに観客からの失笑や嘲笑が聞こえたからだった。

 なんだ。何が起きた。ふらふらと立ち上がり、地面を見回して、見つける。土に何か、水溜まりのようなものができている。

 いや――水ではない。これは油。大量の油が、いつの間にかウィルガンドを包囲するように溜まりを作っている。先ほどはその一部に空気中を舞う火の粉が引火し、炎に呑まれたのだ。


「気づいたようだな……自身がすでに死地へと身を置いている事に」


 モッド伯は剣に炎を纏わせ、切っ先から小さな火の玉を数個、ウィルガンドの近くの地面へ投げ込む。

 するとどうだろう。火の玉は地面にぶちまけられた油へと引火し、爆音を上げてカーテンのように燃え広がり。数秒後には、ウィルガンドの身長ほどの高さの炎の壁が、すぐ背中越しにできあがっていたのである。

 つまり、これはトラップ。モッド伯はウィルガンドと戦いながら、少しずつ剣から油を散らしていた。このように逃げ場をなくし、追い詰めるために。

 剣術の謎などどうでもいい。斬り合いが始まった時点ですでに、絶望的なまでに術中に陥っていたのだ。

 炎はどこまでも延焼し後退も回避もできず、酸素すら容赦なく消費されていく。おまけに、ウィルガンドの足下には油とは別の溜まり――血溜まりが円を作っている。


「傷口が開いたようです。火傷も無視できません。もって後数分ですね」


 血を流し、剣を杖代わりに肩で息をするウィルガンドへのシルファの冷静な診断に、まずいわね、とラセニアが曲げた親指の関節を噛みながら苦く絞り出す。


「降参しなさい、ウィルガンド……。この状況、もう詰んでいるわ……!」


 ラセニアは知らない。ウィルガンドとモッド伯との因縁を。ウィルガンドがたとえレジスタンスに危害を加えようと加えまいと、遠からずこの戦いは避けられなかった事を。


「諦めるがいい。貴様の悪運はここに潰える!」


 裁きを下す神の如く末路を告げるモッド伯に、ウィルガンドはなあ、と尋ねた。


「あんたの願いは、なんだ? なんだって忌み嫌うこんなコロシアムに出ている?」

「願い? くだらん! そんなものに興味はない――貴様も知っているだろう? このコロシアムの御前試合には皇帝が必ず姿を見せる。その時を狙い、レジスタンスが急襲をかけ、その首を刈り取って見せるのだ! こんな戦いはその前座に過ぎん」

「簡単にいくか? 皇帝の周りは親衛隊が固めてる。城までたどり着けるかも分からん」

「絶対に成功する! レジスタンス決起の暁にはこれまで虐げられた王国の民も味方してくれよう。我らには正義がある! なれば、この剣が皇帝を討つと確信しておる!」


 そして勢いを削がれた帝国を倒すのにエリンを否応なく祭り上げる。その陣頭にはやはりモッド伯がいるのだろう。そんな光景が容易に想像できて、思わず吹き出した。


「き、貴様、何がおかしい!」

「いや……おかしいのなんの。狭くよどんだ組織で威張り散らし、お山の大将を気取った奴はいずれこうなるっていい見本だと思ってな」


 なんだと、とモッド伯が色めきたつ。ウィルガンドは焦げてひび割れた頬の肉を無理矢理歪めて、皮肉な笑みを浮かべた。


「……いつまでも正義面するなよ、なあ。憎悪こそが力という点においては俺も帝国もお前もそう違わないんだ。ばからしい正義とかで自分を偽るのはやめろ。憎いんだろう、大切なものを奪った帝国が」

「な……何を……っ!」

「お前が語っているのは夢想だ。所詮は情勢に取り残された亡霊に過ぎないし、全て思い通りに行くほど帝国は――ゼディンは甘くない」

「おのれ言わせておけば! 貴様だけは絶対にこの手で断罪してくれる!」


 何より、とウィルガンドも剣を握り直し、身構える。


「エリンは俺のものだ。決して渡さない……暴走する哀れな亡者に引導を渡してやる」


 モッド伯が咆哮し、剣を炎によって数倍ものサイズに膨れあがらせる。

 そこへウィルガンドは真正面から突っ込んだ。それはさながら業火へと身を投じるかの如き所業。

 たとえ剣を防げても、わずかでも打ち負けていれば第二の猛威として押し寄せる炎から免れる術はない、必定なる死の空間。

 だが、全霊にまで高められたウィルガンドの刃は押し負けるどころか、炎を叩き割りながら止まる事なく――凄まじい轟音を立てて炎の剣を破壊してのけた。

 愕然と瞠目するモッド伯の前で剣は中ほどから砕け、炎は虚空へ吸い込まれるようにして消え去っていく。


「お、おお……なんと、いう事だ……」


 呆然と折れた剣を見つめ、吐息とともに漏らされた言葉は、同じくあっけにとられて一瞬静まりかえった観客達の耳へと染み入り――絶叫が湧き上がる。


「まさか、剣を叩き折るなんて……」


 ラセニアもまた、驚きに言葉を失っていた。

 いや、よく考えれば自然な帰結だった。あの炎の弱点は武器そのもの。特殊な加工と形状ゆえに剣は強度に欠ける。ゆえに武器を狙い破壊するのはこの上なくシンプルかつ合理的な戦術。現実にその乾坤一擲は功を奏し、起死回生の一手となった。

 でも本当にやるか? 触れたら発火する剣などまともな精神ならまず近づこうとすら思うまい。なのにあの男はやった。捨て身で特攻して見せた。一つ間違えば今度こそ灰燼と帰していただろうに。

 戦慄するラセニアの胸中をよそに、終わりだ、とウィルガンドは剣を突きつける。


「降参しな。命だけは取りはしない」

「降参……?」


 先ほどまでの炎そのものと見まがう威勢はなりを潜め、ぽつりと問い返すモッド伯。


「ああ。俺を付け狙いたいなら好きにしろ。ただ交渉のテーブルにはついてもらう……お前らはほっとくと面倒だからな」

「降参。降参だと」


 見る間にやつれ、数十年と年老いたかのように小さくなっていたモッド伯はだが、突如として目を剥き、歯をむき出して叫ぶ。


「降参! 降伏! ――誰がするものか! 我が家名にかけて、二度と屈しはせぬ!」

「といって、もうあんたに反撃手段はない。プライドは分かるが諦めが肝心だぜ」

「黙れ――黙れ! 我が所領を奪うに飽きたらず命をも愚弄するか! もはや許せぬ!」


 さながら世界そのものに対するかのように血走った目で呪詛を吐き捨て、ぎろりとウィルガンドを睨む。


「認めよう、私は憎悪によって行動している! しかし貴様の存在を見逃すほど腐ってはおらん!」

「……なんだと?」

「分からないとは言わせんぞ……! 貴様の総身から燃ゆる怒り、恨み、呪い。その妄執は必ずやファリアに災いをもたらすであろう! ゆえに我が命に代えてもここで討つ!」


 モッド伯は防具としての機能を失った鎧を引きはがしたかと思うと、折れた剣を高々と掲げ、柄に仕込まれた油を残らず自身へ浴びせかけていく。


「おお……おお! 苦節十年――雪辱を晴らせぬは口惜しい! だが!」


 油を涙のように流しながら吼えると、何の躊躇もなく胸へと剣を突き刺した。


「この身は王国へ捧げん! ファリアに栄光あれ!」


 深々と突き立てた剣へ短剣を滑らせ――モッド伯は炎に包まれた。地獄の底から吹き上がるようなうめき声を張り上げて、目も見えぬはずなのに一心にウィルガンドへと突き進む。

 ウィルガンドはその猛進に合わせ、すり抜けざまに剣を振り抜いた。鮮血が散り、背後の炎の壁へよろよろと近づいたモッド伯は倒れ込み――もう立ち上がる事はなかった。

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