十話 八百長試合

 それから二日が経過。徐々に傷の回復を実感して来たウィルガンドは、今日も今日とて訓練場でリハビリがてら武器を振るい、一汗流して自室へと戻ってきている。

 そしてドアを開けた瞬間ぎょっとしてつんのめった。


「あら、お帰りなさい」


 眼前には、ラセニアが新品同然の染み一つない白いテーブルに腰掛け、側にシルファをはべらせ優雅にティータイムを楽しんでいる。まあ、皇女ともなれば一剣闘士の部屋へ無断侵入するのも許されるのだろう。

 しかし、そのまま岩肌をさらしていた壁と床は塗り直されて補強され、これまた滑らかで落ち着く色合いを醸し出し、ゴージャスなベッド、厚く良い香りのするカーペット、果ては天井からシャンデリアと、もはや改装というより改造と表現した方が的確な、別空間と成りはてていたのである。


「……これは、なんだ?」

「見て分からない? 密会場所にしてはお粗末な部屋だったから、シルファに頼んでちょっと模様替えしてもらったの。気に入ってくれたかしら」


 模様替えというレベルではない。どう考えてもあの小さいドアからでは入りきらない家具も多々ある。


「あなたの分の席も用意してあるわ。一緒にお茶会でもどう」

「……遠慮しておく」


 ドア付近に陣取り、腕組みをして憮然とする。おかしかったのかラセニアはくすりと微笑み、やっとカップを皿に置く。


「あなた……ファンハイトに目をつけられたわね」


 手袋をはめた手で黒金の柄が刺繍された扇子を取りだし、ウィルガンドへ突きつける。


「相当腹に据えかねているみたいよ。彼に何をしたの」

「別に……王女殿下につっかかっていたから思ったままの事を言ってやっただけだ」


 簡潔に結果だけを答える。案の定、ラセニアは呆れ返って額に指を置いた。


「――ねえ、前から思っていたけれどあなた、ここが帝国という事を抜きにしても大概不遜よね」

「そうかね」

「そうよ。本当に騎士なのかも疑わしい傍若無人さだわ。でも、ファンハイトに敵視されたのは痛いわね。ただでさえ問題だらけなのに……」


 おおげさじゃないか。自分など王女の添え物、帝国皇太子と比べたら天と地ほどの矮小さ。せいぜい虫が鳴くようなものなのに、どこがかんに障るのか。


「私生児なのよ、あの男」


 ぽつりとラセニアが言った。

 私生児。妾に召し抱えられるわけでもない行きずりの市井の女と皇帝との間に生まれた、正当な嫡子として認められていない子供。


「今でこそ皇帝の近くに控えるほどになってはいるけれど、生まれた時からあの男は周りの人間に蔑まれ疎まれ、嘲られ軽んじられ。叩かれる陰口には枚挙に暇がないほどだったわ。そんな中で並々ならぬ執念でもって成り上がり、王国征伐において総司令官という地位を許されたわ」


 玉座の間ではいかにも自分こそが第一の王位継承者、という顔をしていたが、ラセニアと比べれば血統の格は歴然。誇りも尊厳もなげうって必死に媚びを売り皇帝の寵愛を得なければ、生きていく事すら難しかったのだという。


「実際、実力さえあれば王位継承権から遠くても次期皇位の座は十分狙えた。だけど――だからこそファンハイトは誰よりも血筋に執着してる。……そんな劣等感の塊に、お前はファリアの王族に似てるなんて言ったら、どう思うかしら」

「……特大のジェラシーを踏み抜いたわけだ、俺は」

「そういう事。ほんと、発言にはくれぐれも気をつけてちょうだい。一度目をつけられたら最後、どこまでも粘着されるから」


 まあでも、とラセニアはテーブルに立てた肘に顎を乗せる。その横でシルファが中身が半分ほどになったカップへ茶を注いでいた。


「それほど知恵の回る相手でもないから、気を張っていても疲れるだけだけれど……ファンハイトは身分を問わず人を見る目だけはあるわ。その証拠に、ゼディンなんて規格外を連れてきたのだもの」


 ゼディンはファンハイト直属である。命令の優先度で言えば皇帝にこそ及ばないが、ファンハイトの手となり足となり、彼のヒエラルキー向上にゼディンは大いに貢献したという。


「確かに……あの皇太子様にゼディンは過ぎた手駒だな」

「でしょう。誰よりも血筋に固執する割に、身分の低い者を積極的に側仕えに取り立てる――良くも悪くもそういう男よ」


 まあ、ファンハイトにゼディンなら私にはシルファがいるけれど。と、ラセニアがシルファへ笑いかければ、恭しい礼が返される。そう言われれば、家事から隠密行動までこなす底知れぬこのメイドも決してゼディンに見劣りはしないのかもしれない。


「……待てよ。ファンハイトが王位継承権一位から遠い、って事は、あんたを含めてまだ他に王位継承権を持つ皇族はいるのか」

「え、ええそうよ。珍しく鋭いじゃない」


 急にどもったラセニアの反応に何か引っかかりを覚えたが、話を逸らすように立ち上がり、こちらへと向き合う。


「ともかく、ここからは本題よ。……あなたの対戦相手が決まったわ」


 ほう、とウィルガンドは眼を細める。いよいよか。またあの円形闘技場に出向くのが。


「で、どんな奴が相手なんだ?」

「その前に断っておく事があるわ」


 ラセニアは軽く息をつき、真顔でウィルガンドを見やる。


「この戦い。――負けなさい」

「……は?」


 ラセニアの言葉が理解できず、唖然と口を開けた。


「……冗談にしては笑えないな。だって俺が負けたら」

「あなたが負けても、エリン王女は殺されないわ。少なくとも敗北だけでは」


 ますます混迷が激しくなり、知らずラセニアを睨み付けて。


「まわりくどい言い方はやめろ。おちょくってるのか?」

「そんなつもりはない。まだあなたに説明していなかったルールがあるの」


 なんだ、その後出しは。思わずシルファへ目線を流すも、淡白な視線が戻って来るだけ。


「あなたの憤りは分かるけれど、まさかいきなりこんな展開になるとは思っていなかったのですもの。……そもそも、コロシアムの試合全てが敗者の死で終わるわけではないわ。中には降参し、自ら勝利を放棄する事ができる。もっともそうしたら、ノルマ達成が遠のく羽目になるけれども」

「待て、ノルマが果たせなくなるのは試合に出ない選択――不戦敗をしただけじゃないのか? ……降参もできるのか?」

「勝つしかないあなたに降参という発想が出ないのも無理はないわ。でも、降参するにしても条件がある。降伏の意思表示をしてから、対戦相手と観客の過半数が認めなければならない。それが通らなければ試合続行、もしくは剣闘士の資格なしと見なされ、運営による処刑が執り行われるわ」

「生半可な戦いなら誰も納得しないから、という事か……」


 剣闘士がなまけていないか、全力かどうかは直接刃を交えた対戦相手が一番よく分かるのだろう。コロシアムでは剣闘士すら試合を盛り上げるための歯車の一つに過ぎないのだ。


「ただしチャンピオン戦だけは助命はなく、どちらかが死ぬまで戦う。正真正銘の死合よ」


 そう聞かされて、脳裏にゼディンの姿が蘇る。奴と再戦したとして、果たして最後に立っているのはどちらだろう。今ではそんな迷いがある。

 知れば知るほど得体の知れない相手だ、理性のどこかで恐怖を覚えていたのは認めるしかないのかもしれない。


「……だが、降参や不戦敗を皇帝や皇太子が受け入れるか? 機嫌を損ねればその場で王女が殺される可能性は」

「それもないわ。はじめにファンハイトが言っていたでしょう? あなたの死が王女様の死。ただの敗北ならそのルールには抵触しない。言葉遊びのようにも思えるけど、それが皇族であり運営の宣言であるなら絶対となるの」


 言わずもがな、ノルマを果たせず追放になってもアウトよ、その場合どちらも助からない。そうラセニアは続けたが、ウィルガンドはだいぶ気が楽になっていた。ノルマに支障がない範囲でなら、あえて試合を避ける手段も取り得るのだ。

 と、そこで。


「……なあ。そのルールはあんたが対戦相手の情報を熟知しているからこそ知らせに来たんだよな。だったられっきとした八百長じゃないか」

「使えるものは使うだけよ。猶予があるならせいぜい最大限活用させてもらいましょう」


 国の規範たる皇族が堂々とズルを奨励するとは。だが悪くない考え方だ。


「それで、なんだって俺にずる休みさせたがる? 対戦相手はそんなやばい奴なのか」

「ええ。名前はモッド・フィルバート。伯爵よ。ランクはホーククロウ」


 ホーククロウ。確か、ランクで言えばウィルガンドより二つ上である。


「おいおい、俺よりはるかに高いランクじゃないか。かなりのベテランだから戦うなと?」

「それもある。まだコロシアムに慣れてないあなたでは危険な相手である事は間違いないしね。でも、もう一つ大きな理由が」


 生徒に対する教師みたいに、ラセニアが扇子をぴっと立てる。


「聞いた事あるかしら。彼は王国のレジスタンスなの」

「……ああ、一度町で耳にしたな。どうもそんなのがいるって」

「もちろんコロシアム、ひいては帝国に明かせるわけがないから正体を隠しているけれど、レジスタンスが相手ならあなたには都合が悪いんじゃない?」

「王国の人間同士が潰し合うのを止めてくれたってわけか。お優しい事で。……というか、そのモッドってのがレジスタンスだってよく分かったな」

「まあ、シルファがね」

「シルファ万能だな」

「恐れ入ります」


 しおらしくメイドが頭を下げる。実際このメイドにはウィルガンドの本当の目的を悟られないよう気を払った方が良さそうだ。


「要するに、今回は運が悪かったって事か」

「いえ、それが少し不可解なのよ。どうもこの試合、モッド伯の方からあなたに申し込んだみたいで。本来なら、高ランクの剣闘士が低ランクに試合を申請するなんてないはずなんだけど」


 もしかして、ノルマに加算されないからだろうか。


「ホーククロウ以上がラットトゥースにどれだけ勝っても、ノルマには数えられない。ただのいじめだものね。だから気になって。あなたは心当たりがある?」

 同じ国の人間に恨まれるような事はそんなにしてないが、と言いかけて。

「……あ」


 そうだった。路地裏でレジスタンスを殺していた。


「……心当たりがあると。前から思ってたけどあなた馬鹿よね」

「前というほど長い付き合いでもないだろ」

「短くても分かるわよ。少しは自重という言葉を覚えて」

「ま、あんたの指示には従っておくさ。試合当日はわざと寝過ごす」


 どうであれ復讐さえ達せられればいいのでコロシアムに無理にこだわる必要はない。


「いい心がけね。一応伝えておくけど試合の日取りは今日を含めて七日後の鋼の日よ」

「猶予は意外と短いんだな」

「ランクが低い間はね。高ランクともなれば観客からの人気も相当なものだから運営側も試合のセッティングには慎重に時間をかける。だからある程度はこちらでも調整できるようになるけど、それまでは苦しい展開が続くわ」

「いいよ。どうせぎりぎりまで出ないし」

「私からの話はこれくらいね。後は試合後にまた打ち合わせましょう。ごきげんよう」


 ちょっと意識を離していた隙にシルファがティーセットを鞄に片付け、ラセニアがドアへと向かっていた。


「いいこと。長生きしたければわきまえなさい」


 前触れなく振り返り、くれぐれもと苦言をぶつけられる。そして剣闘士達の劣悪な住居に対し運営へ文句を言ってやると息巻きながら、嵐のように二人は去っていった。

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