二十六話 御前試合 上 ゼディンの剣閃

 弓の月の御前試合当日、黒曜の日。ラセニアはシルファとともに闘技場へ向かっていた。


「おや……ラセニアじゃないか」


 一階の十字路で、ファンハイトと鉢合わせる。異母兄妹の男はラセニア達を見るなり気取った笑みを浮かべて。


「その様子だと……コロシアムに行くつもりだな? まあ、お前にとって今日は欠席するわけにもいかない大事な一戦だろうからな」

「何が言いたいのかしら」

「お前達の暗躍には色々と手を焼かされたがそれも今日まで。あの奴隷騎士の悪運もここまでだ。その目でしっかり、自分の手駒が敗死する瞬間を見届けるがいい」

「ウィルガンドがゼディンに負けるというの? そううまくいくものかしら」

「ゼディンの強さは誰よりも私がよく知っている――一瞬で勝負はつく。何なら私の総司令官の座を賭けたっていい」

「あなたこそ、私のウィルガンドを甘く見ない事ね」


 一歩も退かず睨み合い、火花を散らす二人。そのうちファンハイトは鼻を鳴らして。


「奴の死に様にお前がどんな顔をするのか見物だよ。奴隷騎士の次はお前を排除してやる」


 捨てセリフを残し、悠然と歩き去っていく。

 はったりでも虚勢でもない、ゼディンの勝利を信じて疑っていない態度だった。

 大見得を切って見せたラセニアさえ、厳しい表情で指を噛む。

 そもそも、ラセニアの予定では初めからウィルガンドをゼディンにぶつける気はなかった。ゼディン対策のための手段は用意してあり、ウィルガンドと協力して準備を進めていたのだが、それはエリン脱出に注力するため中止され、さらに脱出計画も失敗したとあっては時すでに遅し。


「ラセニア様は、ウィルガンド様がゼディン将軍に負けると、そうお考えでございますか」


 シルファの問いに、ラセニアは答えられなかった。重い足取りで歩き出そうとすると、後ろからぱたぱたと足音が迫ってくる。振り返ると、リロが駆け寄って来ていた。


「あなたは……リロ?」

「あ、どうも皇女様」


 ぺこりとラセニアとシルファに向かってお辞儀をする。ラセニアはともかくシルファにまで頭を下げるのは正体がばれそうでやめて欲しいのだが、などと苦笑していると。


「あの……王女様の容態は……?」

「命に別状はないらしいけれど……まだ目を覚まさないわ」


 それを聞いてリロは下を向き、悪態をつく。


「大将軍さんまで死んじまって……あの作戦が失敗したのは多分、俺のせいなんだ」

「……確か、ゼディンに待ち伏せされていたのよね。その理由が分かったの?」


 うん、と陰りを帯びた表情でリロは頷く。


「多分だけど……ゼディンの間者がいたんだ。それもすぐ近くに」

「すぐ近くって……あなたの?」

「そう。脱出が失敗した後、いつも酒場に来る常連の客の一人が、来なくなってた。気になって調べたら、そいつはこの城下町のどこにも住んでなかった。つまりスパイだよ。ずっと酒場を――俺を見張っていたんだ!」


 後悔の色も濃く、リロは悔しげに拳を握る。


「あいつは俺が大将軍と会っていたのも、何度も水路を下見に行っていたのも全部知っていた。だから脱出経路までもがゼディンにも筒抜けで……噂を流した時も、逆に俺達が行動に移すという合図を大々的に喧伝するようなもんだった」

「でも、ウィルガンド達が本当に地下水路へ向かったと確信するには弱くないかしら。いくらあの男が神がかった推理力を持っていたとしても、そこまで特定できるものなの?」

「西側以外にレジスタンスが集まってる噂なんて、怪しいにもほどがあるだろ。そこまで知っていたゼディンに対してあの偽情報はまるで逆効果で、西側にこそ何かあるって子供でも思うはずだぜ……くそ!」


 後は騒ぎを契機に下水道へ行き二つの経路の両方に兵を分けておけば良かった。ゼディンの方にエリン達がやって来たのはまさに運だったろうが、これが逆であれば結果はどう転がっていたろうか。今さら仮定は無意味だが。


「情報が漏れていた事にも気づかなかったなんて、大間抜けもいいところだ。でもさ」


 と、リロがなんとも言い難い感情をこらえるように、唇を噛む。


「ブラムをさらったのも、酒場にいたスパイだった――それなら合点がいくんだ」

「……そうね」

「そう分かった時は、信じたくなかったよ。だって、あんなにガキどもと一緒に、楽しそうにしてたのに」


 全部、演技だったのか。その事実は予想以上にリロを打ちのめしているようだった。ラセニアはなんと声をかければいいか分からず、静けさがひと気のない回廊に充満する。


「ウィルガンドはどうしてるかな……?」


 分からない。会おうにも、自室にも戻っていないようなのだ。どうしているのか。

 その時、遠くで人々の歓声と大音量の音楽が聞こえて来た。ついにコロシアムが開演となったのだ。立て続けの急展開にまだ心の準備もできていない。けれど。


「行くしかないわ。これが最後よ。私達にできるのは――ウィルガンドを信じる事だけ」




 円形闘技場は普段と装いを異にしていた。居並ぶ壮麗な楽団が大音響の楽器演奏を繰り広げ、大燭台からは燦々さんさんと火柱が上がり、位置取った技師達が特上の火薬を用い、色とりどりの炎のアーチを作り出している。舞台では名だたる剣闘士達による剣舞が披露され、早くも熱は最高潮に達していた。

 急遽きゅうきょ 決まった日程ではあるがそんなものは関係ない。神に捧ぐ御前試合に恥じないよう、帝国の誇る様々な催しで盛り上げているのである。

 観客席は当然の如く満員。皆これから始まるであろう最高の熱戦に目を輝かせながらも、粛然とその時を待っていた。

 ラセニアとシルファ、そしてリロも到着し、コロシアム上部の玉座には皇帝アーディウスと、傍らにファンハイトが控える。


「帝国の民よ! 今日までよく耐えてくれた!」


 最初のエキシビションマッチと違い、皇帝の前口上よりも先に今度はファンハイトが進み出て、腕を広げスピーチを始める。


「亡国の姫君、エリンデール! ファリアの騎士、ウィルガンド! この二人は浅ましくも帝国の闘士達を倒す事で生き延び、反逆の機会を虎視眈々こしたんたんと窺っていた。彼らをなぜ帝国は罰してくれないのか! そう歯がゆく思っていた者は多いだろう」


 だが安心して欲しい! とファンハイトは絶叫にも似た声を上げる。


「今こそ時は満ちた! この聖なる御前試合と、帝国の英雄ゼディン! 舞台は整い、奴隷騎士ウィルガンドは速やかに罪を裁かれるであろう! そして同時にエリンデールの運命をも断ち、ここに王国の完全なる終焉がもたらされる事を約束しよう!」


 その語り口は主観的で荒々しく、およそいつものファンハイトらしからぬものだった。

 やはりこの試合はいつもと違う。いやがおうにも観衆の興奮と期待を高めていく。


「かつて、太古に在りし我が国は蛮王ファリアの侵略を受けた」


 ファンハイトが下がると皇帝が立ち上がり、観衆が静聴する中口上を述べる。


「戦いは数十年もの歳月をかけて続き……やがて消耗した双方は軍を退いた上で、一騎打ちにて雌雄を決する運びとなった。敵は当然、蛮王ウィル・ファリア。対するは今もなお語り継がれる伝説の勇者、ゼディン」


 戦争の年数にはついては諸説あるけれどね、とラセニアは呟く。


「決闘は見事ゼディンが勝利を収めた。しかしファリアは条約を違え、卑劣にもゼディンの陣営へと攻撃を仕掛けたのだ。勇者ゼディンは奮闘するも力及ばず非業の死を遂げた――だがそれにより、彼は悠久なる希望として永遠に生きるのだ」


 いつしか、観衆の中には人目をはばからぬすすり泣きや、王国への怒りに燃えている者もいた。ラセニアはそれらを冷めた目で眺める。

 コロシアムの起こりはこうしてゼディンの強さと正しさを受け継いでいくため、というのがお題目で、お遊びのような規模だがここにそれが再現されるという事なのだろう。


「これより御前試合を執り行う。戦士達よ、舞台へと上がり、存分に果たし合うがいい」


 皇帝の宣言の後、広場の柵が上がり、いよいよウィルガンドとゼディンが姿を現す。

 初戦から瀕死の状態で血路を開き、以降も様々な強敵、忍び寄る謀略を相手にその全てを薙ぎ倒してきた、奴隷騎士ウィルガンド。

 そして皇族をも打ち倒し、将軍へと成り上がった黒ずくめの異邦人、帝国の懐刀ゼディン。彼らが歩み出て来ただけで、コロシアム内の興奮は頂点へ達した。


「さすがのウィルガンドもこれで終わりだろう。いい踊りっぷりだったけどな」


 観客席でそう言ってくつろぐ男に、その隣にいた観客はおずおずとした調子で。


「い、いやいや……お、俺はウィルガンド卿を応援するぜ。戦士の戦いに国は関係ねぇ」


 最初こそ圧倒的にゼディンの名が叫ばれていたが、次第にウィルガンドへ声援を送る者が増えてくる。

 奴隷騎士の凄絶凄惨な戦いぶりは観衆を魅了し、ここに来てゼディンと人気を二分するほどになっていた。そんな事は露ほども気にせず、ウィルガンドとゼディンは相まみえる。

 ウィルガンドは肩越しに特等席を振り返った。そこにエリンはいない。

 今は治療中で、助かるかどうかも分からない。ゼディンは助かると言っていたが、それすらブラフの可能性もある。エリンは来られない。

 だからこの御前試合は、ウィルガンド一人の戦いだ。

 敵は一度ウィルガンドを下した、黒騎将ゼディン。

 勝ち目が見えないと勝負から遠のこうとした事もあった。だが今は違う。はちきれんばかりの憎悪が体内を駆け抜け、殺意が漏れ出るかのように右手が痙攣を始めている。


「ようやくここまでたどり着いた……貴様はここで死ぬ。――ゼディン」

「騎士ウィルガンド。お前は帝国へ復讐を果たそうとしているらしいが……本当なのか?」


 何を今さら。この男の情報網があれば、とっくにウィルガンドの目的など掴んでいるかと思ったが。

 ――いや、掴んでいるのだろう。その上で尋ねている。確認を取るように。


「そうだと言ったら」

「何のためにだ?」

「故郷が滅ぼされた。帝国の攻撃でな。だから殺したい。それだけの話だ」


 そうか、とゼディンは何ら情感を込めず、剣を抜きながら事務的に言った。


「危険な男と再確認した。お前は抹殺しておこう」

「……ああ。やってみろ――!」


 角笛が鳴り響く。ウィルガンドのリベンジマッチが、始まった。


 先制するようにウィルガンドは切り込んでいった。雄叫びを上げ、ゼディンめがけ猛然と剣を振り抜く。

 音よりも速い一撃をゼディンもまた剣で防ぎ、つかの間至近距離で押し込み合った後、火花を発しながら同時に後退して距離を取る。

 そして間を置かず、接近しての攻防を繰り広げた。攻めに比重を置いたウィルガンドに対し、ゼディンはウィルガンドの動きを読み剣の嵐に対応する。

 結果――ゼディンの剣が的確にウィルガンドを傷つけ始めた。ウィルガンドが踏み込めば波が潮を引くように下がり、打ち込めばその間隙を縫うようにゼディンの剣が突き入れられる。

 守りに入ろうと一呼吸置いた瞬間を見計らっていたかのように追撃が叩き込まれ、どちらが優勢かは誰の目にも明らかだった。


「くそっ……当たらない……!」


 傷は浅いが着実に増えていくのに反し、ゼディンはまるで無傷。この感覚には覚えがある。エリンを救いに駆けつけ、剣を交えたあの時。

 常に一歩上を行かれ、最善手のみを取られているような。人間でなく機械か何かを相手にしているような不気味な手応え。これでは一戦目と何一つ変わらない展開。いいように翻弄された二の舞だ。


「……分析は完了した。――もういい」


 焦りを募らせるウィルガンドに、ゼディンはそう言ってのける。挑発か。はったりか。


「何を言っている……! まだ始まったばかりだ、寝言を抜か――」


 より怒りが駆り立てられ、そう返そうとしたウィルガンドの動きが止まる。ゼディンが予備動作なく急加速し、猛烈な刺突を放ってきたのだ。

 なんとか反応し剣を払って迎撃しようとするが、その軌道すら読めていたとばかりにするりと懐に潜り込まれ――。


「ウィルガンド!」

「ウィル!」


 ラセニアとリロの叫びが木霊する。


 ゼディンの剣が、ウィルガンドの左胸を貫いていた。

 あの位置。嫌だ。まさか。


 ウィルガンドは目を見開いたまま口の端から血を垂らし、ゼディンの剣が引き抜かれると、膝が折れた。完全に力が抜けてしまったかのように、地面へとうつぶせになる。


「な、なんだ……? ゼディンがやったのか?」

「そ、そうらしい。ずいぶんあっけなかったな……」


 血だまりが広がり、ぴくりともしないウィルガンド。観衆から狂ったように歓声が沸き起こる。番狂わせはそう何度も起きないし、文字通り相手が悪かった。

 ゼディンは戦えば勝つ。今回もその予定調和が起きただけなのに、盛り上がりは絶頂にも等しかった。


「や、やれやれ、手間取りおって……」


 食い入るように見つめながら知らず息を止めていたファンハイトは、冷や汗とともに呼気を吐き出す。

 一瞬とはいかなかったが、まあ想定通り。ゼディンに敗北はありえない。


「そんな……っ! ウィルガンドが――ねえシルファ、ウィルガンドが……っ」

「う、嘘だろ……あのウィルが、こんなあっさり……!」


 ラセニアは眉根に皺を寄せてシルファへすがりつく。リロは呆けたように口を開けている。

 だって受け入れられるわけもなかった。あんなに強かったウィルガンドが、試合が始まってからものの数分と経たずに、地に伏しているなど――。


「良くやったゼディン! もう少し引き延ばしても良かったが、お前らしい勝ち方だ!」


 ファンハイトがねぎらいの声をかける。ゼディンも何事もなかったみたいにきびすを返そうとした、その瞬間。

 ぴしり、と異音がした。直後、ゼディンの肩口を覆う甲冑に斜めの亀裂が入ったかと思うと、放射状に砕けながら鮮血が噴水の如く吹き出す。


「な――!」


 気を抜いていた所にその光景を目の当たりにしたからだろう、ファンハイトも観客達も揃ってあっけにとられ、ゼディンすらも数秒、飛び散った自分の血に釘付けとなっていた。


「……待てよ。まだ――終わってないだろう?」

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