七話 囚われのエリン

「コロシアムのルールについてはどこまで理解しているのかしら」


 ラセニアに連れられて地下を通り闘技場を抜ける道すがら、そんな事を問いかけられる。


「どこまでって……要は生き残ればいいんだろう」

「それはそうだけど……その様子だと、ちゃんと説明した方が良さそうね」


 はぁ、と小さくため息をつかれる。


「勝利条件が勝てばいいというシンプルなものには違いないけれど、もう少し色々と規則が定められているの。たとえば武器。基本的にはどんなものでも持ち込んでいいし使ってもいいけど、目に余るものなら審査が入るわ」

「毒でもいいのか? 飛び道具は」

「即効性の致死毒とかでなければ構わない。じわじわ効いてくるならより盛り上がるもの。後は制限時間。基本的に一時間と定められているけれど、あまり泥仕合になるようなら延長されたり切り詰められる事もたまにある。他は取り立てて禁止とされる行為はないわね」

「それは良かった。これ以上かったるい決めごとが増えたら次から反則のオンパレードになるところだった」


 と、そこでウィルガンドは疑問を漏らす。


「ところで俺の対戦相手について調査してくれると言ってたが、もう次はどんな奴と戦うのか分かるのか?」

「そのあたりの予定についても教えておくわね。このコロシアムは一年周期で開催されてる。剣闘士には戦績に応じてランクが与えられ、より上位への昇格を目指すの。あなたは最下位のラットトゥースよ」

「不思議に思ってたんだが、なんで最下位なんだ? 俺はあのルヴァンダルとかいうのを殺しただろ」

「あの男は正式な剣闘士ではないし、そもそもあなたが戦ったのはエキシビション。昇格のための実績には何ら加算されないわ」


 なんとも肩すかし。完全に骨折り試合だったというわけである。


「でも、おかげで剣闘士として認められたのだから徒労というわけじゃないでしょう――ファンハイトはずっと反対してたけど。話を戻すけど、剣闘士はランクに応じて開催期間内に課せられた規定勝利回数――ノルマを達成させる。ラットトゥースなら合計五勝、その上のドッグファングなら三勝、さらに上位のホーククロウは二勝、そして最上位のライオンハートは一勝」

「やたらと多いんだな……ランクが上がるごとにノルマも少なくなってるし」

「ノルマが果たせなければ一年の清算時に下位ランクへの降格や、反則を犯した者はそのまま追放される事もある。特にノルマの厳しいラットトゥースなんか剣闘士の回転率が早すぎて有象無象の魔窟と化してるわ。で、そこを越えたドッグファングに戦いに熟練した多くの闘士が所属するわけ。あなたはまずこのドッグファングを目指しなさい」

「熟練てのは戦いだけじゃなく、どう見世物として盛り上げるかにも精通してるんだよな」

「優秀な闘士の集うホーククロウは強者ばかりだし、最上位のライオンハートともなると二人しかいない。そしてその二人のどちらかが勝利できれば、その年のチャンピオンに挑戦できるの」


 チャンピオン戦という晴れ舞台。腕自慢の戦士ならばあこがれるシチュエーションなのだろうが、ウィルガンドはそこまで興味をそそられず、ふうんと適当に頷く。


「いわゆる御前試合ね。皇帝の前でどちらが帝国最強か雌雄を決する決闘よ。チャンピオンともなればその後一年間の生活は保障されるし、王侯貴族の口にするような温かで豪勢な食事が召使いから届けられるほどにもなる。それに……」


 と、ラセニアは声色にわずかに含みを持たせて続きを語った。


「チャンピオンになれれば、その場で皇帝からの褒美をもらえる。つまり、何か一つ願いを叶えてもらえるのよ」

「願いを……叶える?」

「そう。金銀財宝、栄耀栄華。その気になれば一国一城の主にもしてもらえる。だから褒美目当てで毎年剣闘士になりたがる者は後を絶たないわ」

「じゃあ、何か。皇帝陛下の命をくれと言ったらくれるのか?」


 冗談半分本気半分で尋ねたウィルガンドに、ラセニアは冷たい視線を投げる。


「その場合ただちに首をはねられるのはチャンピオンの方ね。褒美と言っても皇帝に可能な範囲だけだから。さすがにそれは分不相応というものよ」


 それもそうか、と引き下がるウィルガンド。しかし願いを一つ叶えるとは太っ腹な事である。誰がどんなふざけた願いをしてくるか分かったものではないのだから。


「皇帝の褒美も、コロシアムも、帝国そのものの深層心理にまで植え付けられた絶対のルールよ。剣闘士はもちろん、皇族を含めた運営側も一つでも前例を違えれば何が起きるか分からない。それほど聖域めいた影響力が民衆にまで浸透している」

「それはまた……奇特な事で」


 けど、とラセニアが物思わしげにうつむく。


「古くから続く格式ある伝統の行事も、時代や価値観の変遷とともにエンターテイメントとしてより合理的に改変されて来たわ」

「へえ」

「誇りだのをかけた神聖さも昔の話。皇帝の褒美だって、頂点に立った栄光の付属品みたいなものなのに、今はそればかりに注目されて名誉は二の次。民衆ではコロシアムが賭博の対象になっている上に、公正さと高潔さを評価するルールは変えられ、積極的な殺し合いのみを推奨してる」

「コロシアムってのは元々そんなもんが目的なんだろう?」

「まぁ、洗練されているとも取れるけど。実際には八百長が横行する上に、あらゆる利権渦巻く政治の一つに組み込まれて、本来の強い戦士を鍛えるという目的からはかけ離れていっているわ。こんな調子でコロシアムがどんどん過激化していったらと思うと、嘆かわしくもなるわね……」

「じゃ、このコロシアムのせいで帝国に凶暴性がついて、ついつい王国を滅ぼしたくなったと?」

「そこまでは言わないけれど……何か妙に噛みついてくるわね」

「聞きたくもない皇女様の愚痴を延々聞かされたらな」

「悪かったわね」


 コロシアムとかいう娯楽のせいで村が焼き払われた。面白い。まったくその発想はなかった。軽口を叩きながら湧き上がる怒りを懸命に抑え込み、ウィルガンドは考える。

 コロシアムという混沌。これは利用できないだろうか。皇帝をも巻き込む政治プロパガンダ。一つだけ叶えられる願い。もう少し思考を煮詰めれば、何かが閃きそうだった。


(ただの茶番でなく、これが政治なら――帝国に思い知らせるチャンスはあるはずだ)

「それより俺はどこに連れて行かれるんだ」

「ついてからのお楽しみよ」


 一階の王城へと戻ってきた。時刻は深夜。回廊にはほとんど人の姿がなく見張りの衛兵も眠そうに欠伸をこらえ、門限無視で勝手に出歩くウィルガンドを見とがめてもラセニアのおかげで見て見ぬ振りをしているようだ。


「なあ。ちなみにチャンピオンってのはどんな奴なんだ?」

「噂にはなってると思うけど、聞いてはいないのね。……帝国の将軍、ゼディンよ」


 一瞬足が止まる。忘れもしない、正面から打ち破られ辛酸をなめさせられた敵。そして玉座の間でも顔を合わせた――こちらを路傍の石でも見るような眼差し。


「あいつが……?」

「もう十年かしら……最初にチャンピオンを下してからずっと君臨しているわ。誰が言ってもまぎれもなく、あの男が帝国最強よ」

「……ゼディンについて詳しいのか? だったら教えてくれ。あいつは一体何なんだ」

「私もそこまで知っているわけではないけれど……十年前のある日、どこからかファンハイトが連れて来たのよ。それで何の道楽か、コロシアムに出場させて……流れるようにチャンピオンに。その功績を買われて将軍位にまで登り詰めたわけ」

「……待て。コロシアムの功績で、将軍に?」

「ええ。元々、ゼディンは帝国の人間じゃないの。まれに大陸の外からの漂流者が帝国に流れ着いてね。ゼディンもその一人だった。つまり爵位も戸籍も何も持たない平民以下の存在だったのよ」


 ここ一番。ヴェンデルの敗戦よりも大きな衝撃だった。あれほどの使い手が、地位もない元漂流者。それがコロシアムで名を馳せ、ウィルガンドの前に立ちふさがったと。


「……当時、チャンピオンの座をほしいままにしていたのは皇帝の実弟、アイウォーンよ。彼もまた、並ぶ者のない武を誇っていた。その強さはコロシアムでも遺憾なく発揮されていたわ――まさに鬼神と呼べる戦いぶりだった」

「尾ひれの付いて脚色されたり、誇張された話でなく?」

「いいえ。だってその時、私も父上……皇帝に連れられてあの血に飢えたけだものの試合を見せられていたのだもの。けど、あんなものはとても戦いとは呼べなかった。一方的に相手を殺戮するだけの、コロシアムの変革を象徴するような存在だったわ」


 千の矢を受けようと万の敵を相手にしようと生き残ったと恐れられる、不死身の暴威。対面するだけで敵の戦意を消し飛ばし、まことしやかな武勇伝は王国侵攻への機運をおおいに高めたと言われている。


「……でもね。その手のつけられない怪物が。その時、ほんの十五歳くらいだったゼディンに殺されたのよ。それも、一撃でね」

「一撃……」


 見れば、その瞬間の映像を思い返しているのか、ラセニアの声が低くなり、肩はかすかに震えていた。


「見ていて、夢か何かと思ったわ。鍛え抜かれた鋼のような筋肉と古傷をこしらえた悪魔が、なぜか棒立ちのまま、心臓を一突き。それで倒れて、動かなくなったのだもの。自分で推薦したくせに腰の引けていたファンハイトも、観客も……それに父上まで、信じられないって顔だったわ。……父上があんなに驚いた顔、初めて見た」


 いくばくかの沈黙が降りる。ウィルガンドはそこでふと引っかかるものを覚えた。


「待て。いくらなんでも皇帝の弟を殺したんだ、さすがにチャンピオンでもただじゃ済まないだろう?」

「済んだのよ。皇帝はゼディンの皇族殺しを許し、それどころか褒美を求めるよう迫った。でも彼はそれを断った――だから、今の地位も周りの人間の必死の推挙の結果なの。ゼディンは不敗神話を築く十年間、ただの一度も皇帝に褒美をもらっていない」


 そして王国との戦争。八面六臂はちめんろっぴ の活躍をしたのは恐怖の皇弟ではなく、彗星の如く現れた異邦人だった。


「改めて聞くととんでもない奴だな……で、あんたの計画だと俺はそのうちそいつと戦わなきゃならないわけか?」

「そうね。まぁ健闘を祈るわ」


 これっぱかしもウィルガンドの勝利なんて期待した風もなく、口先だけで激励される。勝たせたいのか勝たせたくないのか分からない。

 一階の通路を横切り、進んでいくと中庭に出た。ちょうどコの字型の壁に囲まれた庭園である。

 花壇や茂み、樹木に囲まれ緑が多く、夜の闇に包まれ静かに流れる噴水は風光明媚な雰囲気を漂わせていた。中央にでんと設置されたアーディウスの銅像だけが景観を損なっていたが。


「見て」


 中庭で足を止めたラセニアが腕を上げ、まばらに明かりの灯る城の窓の一つを指差す。


「あそこが王女様の部屋よ」

「……それが」

「反応が薄いのね。心配じゃないの?」


 言いながらラセニアがエリンのいる貴賓室の真下、ちょうど樹木のあたりへ目をやると、いつの間にか木陰から一人のメイドが姿を現していた。

 気配もなく忽然と佇むその銀髪のメイドに、ウィルガンドはささやかに驚かされる。


「シルファよ。あなたは何度か会った事があるはず」

「あ……ああ」

「改めまして、シルファと申します。ラセニア様のお世話をさせていただいています、どうかお見知りおきを」


 ラセニアの紹介に応じて優美に一礼するシルファ。ウィルガンドはどう返していいのか分からず生返事だけ寄越す。


「それで……王女殿下の部屋の近くまで来て、どうするつもりなんだ?」


 シルファ、とラセニアが命じると、メイドはこれまたどこから取り出したのか、その白く細い手には似合わない太く長い縄の束を手にしていた。そのままくるりとこちらに背を向け、窓側へ向き直り何歩か距離を取ると。

 縄を握ってくるくると振り回し始めた。しかもよく見ると、先端には鉤爪が取り付けられており、一回転されるごとに遠心力に重みが増していく。

 そして軽く身体をひねり、縄をまっすぐ上方へ投げる。空へ昇った鉤縄は瞬く間に三階の貴賓室へ到達し、シルファが引っ張ると鉤爪が部屋の窓枠へ硬質な音を立てて食い込む。 何度か引いて安全か確かめると、これまた手早く樹木の根本へもう片側を縛り付ける。ほんの一分も経たずに、中庭から三階へ続く一本のロープが生まれていた。


「こいつは……すごいな」

「でしょ?」


 手際の良さだけでなく、この位置ならロープが木の死角になり発見もされにくい。素直な感嘆の呟きにまるで自分の事みたいにラセニアがにやりとする。


「王女様の部屋まで直通よ」

「これに昇って会いにいけと?」

「どうかしら。あなたに任せるわ」


 ここに来てこちらの自由意思に委ねるとは意地の悪い。さすがに皇帝の血かと辟易しつつも、ここはありがたくロープを使わせてもらう事にした。


「大丈夫? 登り方が分からなかったらシルファが実演して見せるけど」


 別に平気、と返し、ロープや壁の出っ張り、窓枠などを足場にするすると上がっていく。

 エリンはこの夜遅くまで貴賓室の机の前に腰掛け、羽根ペンで何事か書面を書き綴っているようだ。

 リズム良く窓を叩く。他の部屋に聞こえないよう小さく連続で。

 三回目に叩くとぱっとエリンがこちらを向き、目を丸くして唇を開けた。が、その前にウィルガンドは自分の口に人差し指を当てて静かにするよう伝える。


「ウィル……ガンド……? ど、どうしてここに……っ」


 あわあわと窓を開けたエリンの第一声がそれだ。その疑問はもっともである。


「あまり姫を一人にするのも騎士の本分から外れているので。見ての通り昇って参りました」


 ラセニア達の事は隠して自分だけの成果にとどめておく。それから入室の許可を求めると、エリンはこくこくと何度も頷きながら部屋へ招き入れてくれた。


「本当に驚きました……あなたと引き離されてどうやって会いに行くべきか考えていたところに、まさかこんなにあっさり現れてくれるだなんて……」

「もっと早く馳せ参じるつもりだったのですが、身体の方が言う事を聞いてくれず」

「そ、そうです……身体の方は大丈夫なのですか? ここまで昇ってくるような無理をして……っ」

「この通り、何の変調もありません。全盛とは言い難いですが、この程度の運動なら造作もないので」

「あなたにもしもの事があったらと思うと、私も気が気でなく……本当に良かったです」


 エリンは胸をなで下ろす。こうして会えた事で、エリンが独自に無謀な行動をする危険も防げたようだ。

 今は情報収集が先決、考えなしに何もかも台無しにされてはたまらない。


「ともかく、エリン姫におかれましては少しでも長く持ちこたえていただきたい。すなわち身辺に気を配り、不用意な言動を避け、くれぐれも突発的な行いは慎まれるように。そうすれば、必ずや私が全ての問題を解消して見せます」


 犬か何かに言って聞かせるような言葉にも、エリンは生真面目な表情で一つ一つ頷いている。ここで釘を刺しておけばウィルガンドの負担も減る。


「それでは今日の所は失礼します。なにぶん私にとっても事がうまく運びすぎたので、詳しいお話はまた後日という事で。……あ、窓の鍵はできるだけ開けておいてもらえるとありがたいですね。入る手間が省けるので」

「分かりました。……あの、ウィルガンド」


 身を翻して窓枠へ足をかけるウィルガンドに、エリンはおずおずと呼び止める。


「何か」

「えっと……無理は、しないで下さいね。私は大丈夫ですから。それに、何かあれば私もできるだけお手伝いします……ですから、あまり一人で抱え込まないで下さい」

「承知しています。では」


 素っ気なく言ってウィルガンドは窓から躍り出た。

 元の中庭へ滑り降りる。まだ下にはラセニア達がいて、エリンに勘づかれはしなかったかと部屋を振り仰いだが、王女の姿はなかった。


「もういいの? 感動の再会じゃなくて」

「話をしようにも話題がない」


 そう、とラセニアが目配せすると、シルファが窓の鉤縄を外し、回収にかかる。


「今回は協定を記念しての初回サービスだけれどどうかしら。この方法でなくても、何か王女様に連絡があればシルファを通じて伝えさせるわ」

「至れり尽くせりだな。――といってもその鉤縄があれば俺一人でも上がれそうだが」

「いいけれど、危険よ。シルファに言えば見張りになってくれるし、ここまで来るのにも一緒の方が疑われないわ。まだ先は長いのだから、無理はしないでちょうだい」

「肝に銘じておく」

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