エピローグ リベンジ・ナイト
ファランパレスの眼前に横たわるカクラ平原には、ジェノム公を筆頭とする諸侯の参加したファリア同盟軍と、皇帝自身が統率する帝国軍が対峙していた。
日の出とともに戦いの火ぶたは斬って落とされ、両軍は激突する。
ゼディン死す。その知らせは大陸全土を震撼させ、ジェノム公にこの上ない好機をもたらした。百戦百勝の戦争の申し子。一対一を望もうと束にかかってかかろうと、末路は等しく敗北と死。
ジェノム公やリアンロッド大将軍はもちろん、王国側に彼の者を止められる人材はいなかった。
放っておけば瞬く間に王城へと迫られるのは自明の理であり、ゆえにジェノム公はゼディンを抑えるべくマークした。
こと耐える戦という点に絞ればリアンロッドをも凌ぐジェノム公は、ゼディンの猛攻に肉を裂かれ出血を強いられながらも何度も戦えた五指にも満たぬ人間。
連日悪戦苦闘し、戦下手などという風評まで受けたものだが――実際には王国でも屈指の軍略家である彼だから被害を抑えられたとも言えた。
あまりに負けすぎ、国内では帝国と通じているという噂までが流布された。風聞はゼディンが流したものという説もあるが、おかげでヴェンデルでは後方の後詰めとして参加させてもらえなかったものの、今となっては不幸中の幸いだろう。
ゼディンの動きを誰一人として予想できなかった以上、ジェノムがいたところで
この戦いも、ゼディンの死ゆえに帝国の士気はがた落ちなのは自然な成り行きだったが、それを補うように皇帝が出陣している。
ゼディンという巨星に頼りすぎていた帝国とて、元来より人材は豊富。粒ぞろいの将兵が皇帝を支え、発奮し
神の加護を受けたかのように勢いづく事はないだろうが、士気低下も一過性のものだろうとジェノム公は読んでいたし、領地から引っ張り出しこそはしたものの、実質は寄せ集めに過ぎない連合軍を帝国軍が跳ね返すのはむしろたやすいだろうと思える。
しかし今回は違う。手元には昔日より手塩にかけて育てた従騎士、ウィルガンドより送られたゼディンの作戦指示書がある。果たして
開戦直後からあえて攻め込みやすいよう隙を見せ、劣勢を演じつつ、少しずつ兵を後退させて敵を誘引する。これらの動きも指示書を逆手に取り、あたかもゼディンの作戦が全て当たっているかのような錯覚を帝国軍へ与えているのだ。
時刻は正午へと差し掛かり、いよいよ帝国軍が総攻撃をかけるだろう頃合いになり、ジェノム公は決断を下した。
ゼディンの作戦が完璧であろうと、帝国軍全員が彼のように齟齬一つない動きができるわけではない。焦らし、小さなミスを重ねさせ、今や帝国軍はカクラ平原の大半を占有しながらも、戦線は長く伸びきってしまっている。
しかも
その先鋒と本陣の間を狙い、ヴェンデル丘陵にほど近い高台へ伏せていた別働隊が逆落としに強襲をかけた。糸のように薄くなった戦線をぶち抜き、紙のように引き裂いて分断させたのである。同時に撤退の構えすら見せつけていた連合軍本隊も転進、混乱に陥った帝国軍へと一斉に襲いかかった。
それはヴェンデルの戦いを攻守逆さまにしたような展開。ゼディンの無駄のない作戦を利用しているのだからある意味そうなのだろう。
帝国軍はかつての王国軍と同様に巻き返せるほどの勢いを取り戻せず各個撃破され、次々と将も討ち取られていく。
そんな中戦場を駆け抜けた一人の伝令が、帝国を急襲した別働隊の元へ駆けつける。
それはジェノム公よりの言付け。いわく。
――大局はもはや揺るがぬ。かくなるは早急に追撃し皇帝を討つべし。長き戦乱をこの一戦にて終わらせよ。
その命令を受け、別働隊はファランパレスまで下がろうとする皇帝の軍勢を猛追し始める。
そこにはウィルガンドの姿もあった。エリンと別れた後、ヴェンデル丘陵近くの王国軍斥候と遭遇し、そのまま彼らと合流したのである。
帝国軍を分断する奇襲においても多くの敵を倒し、おびただしい真紅の返り血を浴びながらも、ウィルガンドは馬を駆りながらジェノム公の事を思い浮かべる。
エリンを使い、復讐を果たそうとした。その気になれば、ジェノム公と刃を交える事すら辞さないとも覚悟していた。どちらも恩を仇で返す人非人の思考だが、ここにおいてようやく恩の一つも返せそうである。
(あなたの意思は受け取った……俺がやる)
皇帝を守っていた部隊はばらばらに分散し、今やわずかな手勢とともに森へ逃げ込んだとの情報だ。
ウィルガンドは死に者狂いで立ちはだかる帝国親衛隊を打ち倒し、気づけばただ一騎、森へとたどり着く。
深く生い茂った木々では馬は走れないと見て、下馬し徒歩で奥へ進む事にした。剣を携え、皇帝を求めて森の中を疾駆する。
戦場の音すら遠ざかるほどに走り続け、やがて開けた広場の一つに、複数の兵士達と――こちらに背を向ける皇帝の後ろ姿があった。
ウィルガンドは喚声も雄叫びも上げなかった。
ただ双眸を血走らせ、犬歯をむき出しに無音のままその背へと肉薄していく。
それでも、側へ迫る異様な気配を察したのだろう、皇帝は何気ない風に振り向き――ウィルガンドを認め、声を上げる時間も惜しいとばかり剣を抜いて構えを取る。
周囲の親衛隊がその動きに反応した時には、すでにウィルガンドは皇帝の懐へと飛び込んでいた。
剣が皇帝の防備を突き抜け、脇腹から背中にかけて貫いた。皇帝アーディウスは目を見開き、ぐらりと身を傾がせて、剣を握った手からは力が抜けていく。
――と思った瞬間、まるで地の底へ道連れにしようというように、もう片手で自らを刺し貫いた剣の先のウィルガンドの腕をわしづかみにする。そして唇を歪め、血を垂らしながら言葉を紡いだ。
「――やはり……余を殺すのはお前であったか」
「……なぜ笑う」
「なに……お前のその在りようが哀れでなあ」
いまわの際だというのに、極上の玩具を前にしたようにアーディウスの眼光はぎらつく。
「哀れなのはお前だ。お前は大願を果たせずにここで死ぬんだ」
「ああ……余は退場させてもらうが……お前はまだまだ、地獄を味わって往け」
なあ、とアーディウスは自問するように、虚空へと視線を流し。
「誰も彼もが……呪いに囚われた奴隷よなあ」
今度こそ腕が落ちて、アーディウスは倒れた。その捨てセリフというより予言のような遺言に、ウィルガンドは自失したように立ち尽くす。
終わった。皇帝はここに、死んだ。帝国への復讐は、完了したのだ。
剣が手からこぼれ落ちた。魂が抜けたように口を開けて、忘我の眼差しで皇帝の死体を眺める。
これで……解放されるのだろうか。
死んだみんなは少しでも、慰められるのだろうか。分からない。何も。念願の復讐を遂げたのに、去来する感傷も、思い出も何もなかった。
そもそも、ウィルガンドに恩讐以外の思いなどない。普通の人のように苦労を思い返したり、走馬燈を巡らせる事などできるはずもなかった。ウィルガンドは復讐そのもので――終われば、朽ちるのみ。
衝撃が身体を揺らした。振り返ると、背中に数本の矢が突き立っている。木立の向こうには追いついて来た帝国兵。
皇帝の死に激昂した親衛隊までもが怒りに顔を歪めて迫って来ている。始まる復讐。報復。
でも、もういいか。やるべき事は済んだ。思い残す事もない。
何だかすごく疲れた。自分にしては、よく頑張った方だ。だからここで終わろう。もう、復讐なんかしたくない。
近づいて来る死をぼんやりと見つめた。五感はあやふやで、少し遠くに村のみんながいた。待っていて欲しい。後少しで、そちらへ行ける。もうこんな怖くて辛くて、恐ろしい世界はまっぴらだ。まぶたを閉じると、闇の帳が降りて、音も景色も痛みも溶けていく。
漆黒の闇で浮かぶ小さな道に、ウィルガンドは立っていた。その先には何もないけれど、みんながいる。
だから一歩、踏み出そうとした時――どこかで自分を呼ぶ声がした。別の方向。やや隣の、これまた途切れた道の向こう。
ぽつんと、金髪碧眼の、見知った少女が立っていた。幼い頃から親しんで、再会するまでその正体に気づかなかった少女。他者を慈しみ、許す事のできる心を持った少女。
――死んでは、駄目です。帰って来て下さると、約束しました。
――もういいんだ。俺はここで死にたい。お前に愛があるのなら、死なせてくれ。
――嫌です。戻って来てくれないと、私も……死にます。
そうまでして、諦めてはならないというのか。それともウィルガンドの中にわずかに残った未練が見せた幻なのか。
生きなければ、自分も死ぬとは。コロシアムの延長のようだ。
(約束……したんだったな。それなら……、それなら……――まだ)
――死ねない。思った瞬間、眼下の暗黒が、ぽう、と優しく輝き、切り離されていた少女へと続く岐路が浮かび上がってくる。
ウィルガンドは目を開けるとともに剣を拾い上げ、接近する帝国兵達を斬り伏せると、そのまま森を駆けた。
どこまでも、どこまでも。力の限り。
復讐の道は途切れたまま。でも、確かにあるのだ。
か細く、今にも消えそうに頼りないけれど、ここに――二人でつないだ絆の道が。
リベンジ・コロシアム 牧屋 @ak-27
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